(6)ロマンスの予感?
「……そういうわけで、手持ちのお金をかき集めて漸く落札して手に入れた絵に、そのろくでなし達が穴を開けてしまったんです! 本当に頭にくる連中!」
「そう……、そんな事があったのね……」
沈鬱な表情で溜め息を吐いたカレリアを見て、アルティナは何とか怒りを抑え込みながら話を続けた。
「あんなに喜んでいたリディアが、本当に気の毒で。絵が台無しになりましたし、『最初に私が足を止めて連中に絡まれた結果だから、貸したお金は返さなくて良いから』と言ったのですが、リディアは『それは筋が違うから、ちゃんとお金は返すわ』と宣言して。それで寮に戻ってからもお互いになんとなく気を使うというか、気まずくなっていると言いますか……」
困り顔でアルティナが弁解したが、カレリアはきっぱりと断言した。
「リディアの性格ならそう言うでしょうし、やはり借りたお金はきちんと返すべきでしょう。悪いのは、その物を弁えない痴れ者どもです。別にあなたが引け目を感じて、借金を棒引きにする必要はありませんよ?」
「……はい、王妃陛下」
神妙にアルティナが頭を下げたのを見て自身も頷いてから、カレリアは難しい顔になった。
「だけど、困りましたね……。絵が気に入らないのでなければ、単なる喧嘩の仲裁で済むかと思っていたら、そんな事情があったとは……。ランディスに、何と言えば良いかしら……」
「王妃様? どうしてここに、ランディス殿下のお名前が出てくるのですか?」
ぶつぶつと独り言の様に言い出したカレリアを見て、不思議に思ったアルティナが尋ねると、彼女は幾らか迷う素振りを見せてから、静かに口を開いた。
「あなたが正直に事情を明かしてくれた事だし、私も本当の事を教えましょう。リディアが落札した絵の作者が、実はランディスなのです」
そんな事を打ち明けられたアルティナは、本気で驚愕した。
「はいぃ!? でもあの絵の作者は確か、ラスマードと言う名前の平民の方では!?」
「それは、あの子が絵を書く時の偽名なの。本名で描いて発表したら、誰もまともに評価などしてくれないからと言って」
「確かにどんな絵を描いたとしても、第二王子殿下の作品を酷評なんかできずに絶賛……。いえ、あの、申し訳ありません」
「本当の事だから気にしなくて良いのよ? アルティナは正直ね」
「恐縮です」
動揺のあまり、思った事をそのまま口にしてしまったアルティナは慌てて謝罪し、カレリアに苦笑まじりに宥められた。それで幾らか気持ちが落ち着いたものの、とある事実に気が付いて再び顔色を悪くする。
「あの……、それでは、リディアは恐れ多くも王族の方の描いた絵を、破損させてしまったと言う事になるのでは……」
(失敗した! ついうっかり、洗いざらい王妃様にぶちまけちゃったわ! これが元でリディアが処罰される事になったら!)
しかしそんな彼女の懸念を、カレリアは笑って打ち消した。
「アルティナ、心配しないで? こんな事で不敬だと言って、リディアとあなたを処分したりはしませんから。悪いのは一方的にあなた達を見下して、絡んできた連中です。正直に話してくれて、寧ろ感謝しているわ」
「……そうでございますか」
そして一度会話が途切れたが、すぐにカレリアが顔付きを改めて話し出した。
「ランディスは芸術展主催者の一人だから、定期的に会場の見回りをしていたのだけど、そこでリディアがあの子が出した絵の前を、何度も行ったり来たりしているところに遭遇したそうなの」
「彼女はあの絵の作者の事を『有名では無いけど、四年前位から毎年素敵な作品を出している画家だ』と言っていましたから、前々から贔屓にしていたんでしょうね」
リディアの話を思い返しながらアルティナが口にすると、カレリアが嬉しそうに微笑んだ。
「それを聞いたら、あの子も喜ぶわ。篤志芸術展に絵を出品し始めたのが四年前で、そこで一昨年に目を留めてくれた画商が取り扱ってくれる様になって、最近絵が売れ始めたし」
「そうなるとリディアは、やっぱり芸術品を見極める目を持っているんですね」
素直にアルティナが感心していると、何故かカレリアは僅かに声を潜めた。
「アルティナ。ここからは内密の話なのだけれど……」
「分かりました。口外しませんのでご安心下さい」
(ランディス殿下が偽名を使って、描いた絵を売っている事も、十分秘密にしないといけない内容ではないかしら?)
アルティナは密かにそう思ったものの、おとなしく話の続きを待った。しかし予想もしなかった事を聞かされて、目を丸くして固まる。
「実は、あの入札なのだけど、リディアの入札額よりはるかに高額の入札額を提示した方が何人もいたそうなの。だけどランディスが裏から密かに担当官吏に手を回して、リディアに落札させたのよ」
「は、はいぃぃ!? 王妃様!?」
「アルティナ、声が大きいわよ?」
「申し訳ありません。ですが……」
忽ち険しい顔付きになったアルティナに、カレリアが冷静に頷いてみせる。
「ええ、あなたの懸念は分かります。治世に直接係わり合いが無くとも、王家主催の公の行事で、しかも不正を行ったのが主催者の一人である王族だと明らかになったら、大問題に発展する可能性すらあります」
「これまでの入札にも不正があって、正当な権利者に美術品が渡っていなかったのでは無いかとか、王家と画商が裏で結託した陰謀だとか、邪推されかねませんね」
「ええ、その通りよ。全くランディスときたら、考えなしな事を……」
「自分の絵が気に入って貰って嬉しかったのなら、個人的に絵を贈れば良いだけの話でしたのに」
思わず溜め息を吐いてしまったアルティナだったが、ここでカレリアが微妙な顔付きで訂正してきた。
「アルティナ。ランディスは単に自分の絵を気に入って貰ったから、彼女に落札させてあげようと思ったわけでは無いと思うの」
「それはどういう事でしょう?」
「だから……、あの子はリディアに一目ぼれしたのよ」
きっぱりととんでもない事を断言されて、アルティナの声が完全に裏返った。
「おおお王妃様っ!? え? まさか、殿下がそう仰ったのですか!?」
「いえ、はっきり口にしてはいませんけど、母親としての勘よ。ランディス自身でも、まだ分かっていないかもしれないけど」
(それで、一目惚れって言われても……)
なんとなくカレリアが先走っている気がしないでも無かったが、アルティナは余計な事は言わずに話の続きを待った。するとカレリアが、アルティナを呼び出した、そもそもの理由について触れる。
「リディアの連絡先が近衛騎士団の寮だったから、彼女が白騎士隊所属だと知ったのよ。それでさり気なく顔見知りのナスリーンに尋ねて、絵を引き取った翌日の昨日、詰めているこちらにこっそり様子を見に来たのね。そうしたらリディアが暗い顔で、勤務しているでしょう? それで『絵をよくよく見たら気に入らなかったとか、彼女にとって大金を払うだけの価値がないと思ったんじゃないだろうか』と愚痴を零し始めて……」
そこで困った様に溜め息を吐いたカレリアを見て、アルティナは納得して頷いた。
「てっきり上機嫌で勤務していると思ったのに、予想と真逆だったから、殿下が相当気になさったのですね。それで同僚にお尋ねになったら、私と何かあったらしいと言う話になったと」
「ええ、疑ってしまってごめんなさい」
「いえ、私にも責任の一端はありますので」
そこで軽く頭を下げ合ってから、アルティナは控え目に尋ねてみた。
「それで王妃様。この件はランディス殿下には、どうお伝えされるのですか?」
「あなたから聞いた話を、そのまま伝えるしか無いでしょうね。あなたやリディアには、迷惑をかけませんから」
「分かりました。それからランディス殿下が、リディアの事をどう思っているのかは……」
益々言いにくそうに言葉を継いだアルティナに、カレリアも溜め息を吐いて応じる。
「この際私から、はっきり尋ねてみる事にします。事と次第によっては、またあなたに相談したり意見を聞く事になるかと思いますので、宜しくお願いします。今日はもう、持ち場に戻ってかまいません」
「分かりました。それでは失礼します」
そして一礼したアルティナはカレリアの前から下がり、所定の待機所に向かいながら、(誤解が解けたのは良かったけど、面倒な事になったわ)と、密かに頭を抱えていた。
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