(13)悔し泣き
夕食を食べ終え、隊長室でナスリーンと幾つかのやり取りをしてから、アルティナはちょっとした荷物を抱えて寮に引き上げた。そして自室がある二階に上がって廊下を歩き出すと、自室の斜め向かいに位置するリディアの部屋の前に、食べ終えたであろう空の食器がトレーに乗せて置かれているのを目にする。
(うん、ちゃんと食べてはいるわね。取り敢えずは大丈夫かな)
体調不良と言う建前以前に、他人と顔を合わせる心境にないらしいリディアが、前日は同様に食事を運んでも殆ど手を付けなかった事を知っていたアルティナは、少しだけ気が楽になりながら、彼女の部屋のドアを叩いた。
「リディア、アルティナよ。ちょっと話があるけど、構わないかしら?」
そう呼びかけてみて少しの間待ち、反応が無かった為、再度ノックしようとアルティナが片手を上げた時、目の前のドアが内側から静かに開いた。
「……入って」
「ええ、お邪魔するわね」
沈んだ表情で薄暗い室内に招き入れられたアルティナは、取り敢えず椅子に座ってからリディアに声をかけた。
「大丈夫? 白騎士隊の皆も心配しているわ。リディアが二日続けて休むのは、初めてみたいだから」
それを聞いたリディアが、自嘲気味に小さく笑う。
「そうね。頑丈なのが取り柄だし、入隊以来体調不良で休んだのは初めてかも。とんだ失態ね」
「失態だなんて、思う人はいないわよ」
軽くリディアを宥めてから、アルティナは椅子の側面に立てかけておいた包みを持ち上げ、彼女の前に差し出した。
「その……、バイゼル団長とナスリーン隊長から、預かってきた物があるの」
「え? ああ、それ? 何だか絵みたいだけど、何?」
「これは団長から。リディアの物だから渡してくれって」
二つ持って来た方の片方を差し出し、リディアがそれを受け取って包んでいた布を開くと、そこから現れた物を見て、忽ち顔色を変えた。
「これって!? 何で! だって昨日グレイシアさんが購入したけど、あれは調査の目的で、騎士団の経費で賄われたはずよね!?」
「本当は規則違反になるけど、団長が私費で買い上げた形にしたんですって。それで今回、リディアに嫌な思いをさせたから、そのお詫びだそうよ」
「そんな……、嫌な思い、だなんてっ……。団長にまで、気を遣って、貰ってっ……」
そう表向きの話を伝えてから、アルティナは遠い目をしながら、少し前に知らされた裏事情を思い返した。
(本当は……、その団長に購入額を全額支払って、最終的にランディス殿下がその絵の所有者になったんだけど。団長と隊長に色々とバレて、お二人とも生温かい視線を殿下に送っていたわね)
そして両目に涙を浮かべたリディアを気遣いながら、もう一つの絵を差し出す。
「それからこっちの絵は、ラスマードさんから。王妃様と隊長経由で届いたの」
「……どうして?」
涙ぐんでいたリディアが一瞬、いつも通りの表情に戻って問い返してきた為、アルティナは冷や汗を流しながら、促してみる。
「さあ……、そこまでは知らないけど……。ほら、中に何か入っているから、読んでみたら?」
「ええ、そうね」
布に包まれた中から、絵と共に出てきた封筒を取り上げ、リディアはその中に入っていたカードに無言のまま目を通した。
「……リディア?」
彼女がなかなか口を開かない為、アルティナが慎重に尋ねてみると、リディアが若干困惑気味に言葉を返してきた。
「ラスマードさんが……、『風景画も良いですが、若い女性なら花の方が気分が華やぐと思うので、よろしかったら以前に描いた絵を差し上げます』って」
「ええと……、そうなの……」
咄嗟に適当な台詞が思い浮かばず、アルティナが曖昧に笑うと、リディアが色とりどりの花々が描かれた手元の絵を見ながら、不思議そうに呟いた。
「このタイミングで、いきなり絵を贈ってくれるだなんて不思議だし、ちょっと意味が分からないんだけど。まるで私が落ち込んでいるのが、分かっているみたい」
「たっ、偶々気まぐれで、誰かに絵をあげたくなったのかしらね? 芸術家って気難しい半面、気まぐれな所もあるって言うじゃない?」
「案外、そうかもね……」
アルティナがそれらしい事を口にして、ごまかそうと試みると、リディアはそれで納得したらしく、それ以上何も言わなかった。
(殿下! そりゃあいきなり見ず知らずの人から花束を贈られても、不審がられると思いますが、絵もどうかと思いますよ!?)
心の中で密かにランディスを叱りつけていると、リディアが徐に口を開く。
「……アルティナ」
「何?」
アルティナが慌てて意識を彼女に向けると、リディアは俯いたまま昔の事を語り出した。
「お義父さん、仕事の合間にコツコツ絵を描いていて……。殆どお酒も飲まなくて、絵を描くのが唯一の趣味で、凄く楽しそうに描いていたの。側で見ていると、色々教えてくれたし」
「そうなの」
素直にアルティナが相槌を打ったが、徐々にリディアの声が震えてきた。
「もし……、お義父さんが生きているうちに、篤志芸術展が開催されていたら……。王都まで何日かかっても作品を持って来て、絶対、出品してたっ……」
「リディア……」
そこですすり泣きをし始めた彼女を、アルティナが気遣わしげに眺めていると、リディアが二人の間にある丸テーブルに勢い良く突っ伏して泣き叫んだ。
「アルティナぁぁっ!! 私、く、悔しいぃぃっ!! お義父さんの絵! 絶対、絶対、皆から誉めて貰えた筈なのにぃぃっ!!」
「……そうね。リディアのお義父さんは、額装師としても画家としても、才能のある人だったと思うわ」
「あ、明日はちゃんと、出る。仕事……、きちんとするからっ……。団長にまで、気を遣わせて……、申し訳、ないっ……」
「うん、大丈夫よ。団長も隊長も、リディアの気持ちは分かっているから」
「うわぁあぁぁ――っ!!」
そして色々溜めていたものが一気に溢れ出た様にリディアが号泣した為、アルティナは黙って立ち上がり、突っ伏している彼女の背中を優しく撫でた。
(やっぱり、あの不届き者は許せない。王太子殿下とランディス殿下に、奴のプライドを徹底的に粉砕して貰わないとね)
密かにそう決意しながら、アルティナはなんとかリディアが落ち着くまで、無言で背中を撫で続けた。
「アルティナ、どうでしたか?」
なんとかリディアが落ち着き、寝るのを見届けてから廊下に出ると、さすがに室内の騒ぎが聞こえていたのか、近くに部屋があるナスリーンを初めとする白騎士隊の何人かが、心配そうにドアの周囲に佇んでいた。そんな彼女達を代表して尋ねてきたナスリーンに、アルティナが冷静に答える。
「取り敢えず落ち着いて、寝ています。明日からは通常勤務に入ると思いますので」
「そう。それなら良いわ」
ナスリーンは余計な事は言わずに頷いたが、さすがに周囲は心配そうな表情を隠せなかった。
「隊長、アルティナさん。やっぱりリディアは、単なる体調不良じゃ無かったんですよね? 本当に大丈夫ですか?」
しかしその懸念に対し、ナスリーンがやんわりと言い聞かせる。
「彼女は滅多に、私情を引き摺る事はありませんから。あなた達も明日以降、余計な詮索はしないように。それがリディアの為です。分かりましたね?」
それを聞いた同僚達は、一瞬顔を見合わせたものの、素直に頭を下げて引き下がった。
「了解しました」
「それでは失礼します」
そして廊下に二人きりで取り残されてから、ナスリーンが小声で囁く。
「アルティナ、ランディス殿下からのあれは……」
「ちゃんとお渡ししました。多少訝しんでいましたが、素敵な絵を貰ったと言っていましたから」
「そう……。全く、色々頭が痛いわ。それから明日の勤務は、本当に大丈夫かしら?」
「はい。リディアは責任感の強い人ですから。副隊長を務めている位ですし」
にこやかにそう告げたアルティナを見て、ナスリーンも安堵した様に微笑んだ。
「そうね。それでは私達も休みましょうか」
「はい」
そして再度リディアの部屋のドアに視線を向けてから、二人は左右に分かれて自室へと向かった。
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