第12話 いつか静かな海で


     ◇


 由良が目を覚ますと、そこはログイン用のコンソールのシートでは無く、リアルの部屋の中のソファーの上だった。

 身体には毛布が掛けられていて、柔らかな感触を覚えた。

 周囲を見渡せば、藤岡が自分を心配そうな顔で見ていた。

 それを見て、由良は悟った。

 戦闘終了後に気を失った自分を運んでくれたのは、藤岡だという事を。

 迷惑を掛けてしまったなと思って謝り、頭を下げると逆に怒られた。

 無茶のし過ぎだと。

 それから、やはりまた心配そうな顔をするのだ。

 そんな藤岡に由良はどんな言葉を返せばいいのか、いつも迷う。

 ただ、確かに自分を心配してくれるひとがいる事をありがたく思う。



 暫くしてから由良は、自室のあるマンションへの帰路に着いた。

 夜も遅くなっていて、藤岡からは送ろうかと言われたが断った。

 神戸支社の開発責任者である藤岡は忙しい筈である。これ以上は迷惑を掛けたくなかった。

 ひとり、暗い海の傍の遊歩道を歩く。

 仮想で受けたダメージの所為で、身体が痛い。特に痛いのは直撃を受けた左腕。

 それでも歩き続ける。

 夜の海は昼間の海とは、まるで違う風景だと由良は思う。

 海鳥達の姿は無い。

 空は暗く、水面を揺らす海はどこまでも続く黒いベールが掛かっているかのよう。

 あのベールに包まれたなら、もう二度とは帰っては来られない気がする。

 その先に何があるのか、それは酷く怖く、不気味な気がした。

 由良は歩みを止めて、目を閉じる。

 そうして聞こえてくるのは波の音、嗅ぐのは潮の香り。それだけは昼間の海とは変わらないと思う。

 昼間、由良にも指摘されたが、自分はこの香りが好きなのかもしれない。

 それは、何故なのか?

 由良はぼんやりと考える。


 ――懐かしい。そう多分、懐かしいのだ。


 何故、そう感じるのか?

 それが分からない。

 記憶を思い出してみる。特に思い当る事は無い。

 東京の家だって、海の近くには無かった。

 母が亡くなった後は、大体ロクな思い出が思い浮かばない。


 変わる父や会社を見て。

 ただ電脳世界で戦って、戦って。

 傷付いて、傷付けられて。

 ゲームとはいえ、色々な人間の感情に触れた。

 白崎愛実と出会い、バディを組むも好きになれる筈も無く。

 ただ、息が詰まりそうだった。

 人の感情の、自身の感情の坩堝に晒されて。

 挙句の果てに、お嬢様学校と名高い高校に入学した時に同級生を殴り倒した。

 父と会社の――悪口を聞いて。

 なんでそんな事をしたのかは分からない。

 気が付いたら、やっていた。

 この事で由良は入学から一か月足らずで転校となった。


 こうして、やって来たのがこの街だった。


 由良は目を開けて、海を眺める。

 最初は東京にいた時と、何も変わらないと思っていた。

 学校ではひとりで過ごして、後はバトルをするだけ。

 ただそれだけ。


 しかし、由良は出会った。


 その雰囲気からして強そうには見えない癖に、廃部を阻止する為に戦おうとする真音に。

 一緒に戦って欲しい。ダメなら強くなる手解きをして欲しい。

 最初は、しつこく勧誘してくる真音が目障りだった。

 けれど――今ではバディを組んで、それぞれの目的の為に戦おうとしている。

 真音は思い出のある部の廃部を阻止する為に。由良は白崎愛実にアドバンスカップで勝利する為に。

 今年の出場者に由良も、白崎愛実を選ばれていた。

 尤も由良が転校した事もあったので、会社としては出場は危ぶまれたが、白崎の話に拠れば由良の代わりを見つけたとの事だった。

 それから白崎はこうも言っていた。

 今回の大会で優勝したら、東京に離れている父に告白して抱かれるのだと。

 由良のいない今なら、想いを明かせば堕ちてくれるかもしれないと嗤っていた。

 そんな事は――絶対に赦せない。


 由良は変わったのかもしれない、変われるのかもしれないと思う。

 真音と出会って。


 ずっとひとりで戦ってきた自分が今、誰と戦おうとしているのだから。

 バトル初心者で、どこか自分に自信が無くて、すぐに凹んで、それでもやはり戦おうとする真音と。

 クラスで浮いていて、実は相当なロボオタクで、いつもカニの髪飾りを付けている彼女と。


 髪飾りか――由良は自分の黒猫の髪飾りに触れる。

 これは昔、父から貰ったものだった。


 その時、不意に思い出す。


 そうだ――

 ――海、海はかつて幼い頃にまだ元気だった母と父と訪れた事があるんだ。


 それは楽しい思い出だった。

 父と海を泳いで、母と貝殻を探して。


 ああ、だからか。

 この香りを懐かしく思うのは。


 これから、どうなるかなんて分からない。

 大会で真音と勝ち進めるかなんて。


 それでも、由良の心は穏やかだった。

 今の日常がキライではなかったから。

 歩き出すと、再び身体が痛んだ。

 だとしても明日、昨日のゲーセンで戦った輩と出会っても負けられないと思う。

 真音の為にも、自分の為にも――


 夜の海は凪いでいた。

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