第3話 今、この世界はね

 「ほな、行って来るで―!」

 「それでは、行って来ます」

 真音が起きて頭痛を覚えたまま朝食を摂った後。学校に行く準備をしたふたりは家を出た。

 「二人とも気ぃ付けて行くんやでー!」

 ふたりを見送るのは、家の隣の小さな電気自動車の整備工場の前に立つ真音の父親。

 真音の家では昔から、電気自動車の整備を営んでいた。


 個人経営の店の並ぶ昔ながらの商店街を抜けた後に続くのは、海岸に沿った遊歩道。季節は五月の後半、まだ夏には遠くとも、この日の空は澄んでいて空も海も青く深く染まっていた。海鳥達も穏やかな風の中を飛ぶ。

 そんな遊歩道を歩いて、少女達は学校を目指す。海から吹く潮風が少女達の制服を、スカートの裾を揺らす。

 塩の匂いを含んだ風の中で時々、海を見ては由良が目を閉じる。

 そんな彼女に、真音は尋ねた。

 「由良は潮の香りが好きなんやね?」

 「かもしれません。ひと月前まで私の住んでいた東京の地域では海が遠くて、この香りを嗅ぐ事は稀でしたから。まあ、まだ物珍しいだけかもしれませんが」

 「なるほどな~」

 由良にとっては物珍しくとも、真音にとっては嗅ぎ慣れた匂いなので特に感慨深くなる事は無い。

 真音はむしろ、由良のいた東京の匂いの方が気になった。

 その事を聞いてみると、由良はこう答えた。

 「東京の匂い……ですか?そうですね、私には腐ったドブの中の匂いのように感じていましたね」

 「そうなん?」

 地元から殆ど出た事の無い、東京にも行った事の無い真音には分からない。ただ、その通りだったらイヤだな、とは思った。

 「――あそこは、ひとばかりが多すぎるんですよ。だから、そこから吐き出されたモノが簡単に溜まっていって、息が詰まりそうでしたよ」

 由良がもう一度、目を閉じてから、大きく息を吸い込んだ。

 「そこからすれば、ここは私にとっては文字通り――新天地ですよ」

 関西の神戸に近い街の、青い空と海の狭間で――彼女は言った。



 私立南雲高校(なぐもこうこう)に着いたふたりは、同じクラスメイトとして授業を受ける。

 その日の昼休み後の、最初の授業は現代社会。食後であり先生が緩い事も重ねなり、睡眠学習に入る生徒も少なくなかった。

 それは真音も例外では無く、午後のうららかな日差しの中で睡魔に襲われていた。あやふやな意識の中で、先生の現代史についての話が聞こえる。


 「いいか。二十一世紀の始まりから半世紀、2065年の現在で大きく変わった事は――」


 ――西暦2065年、現在の日本は二十世紀の当初と比べ、大きな変化は訪れなかった。否、それどころかむしろ衰退を始めていた。しかし、それは日本以外の先進国も同様であった。

 その原因は資源の枯渇。その事で、世界の技術水準を維持する事が難しくなった為である。現在、宇宙開発による資源の産出を急いでいるが、複雑な利権問題から進み具合は芳しくなかった。


 この時代を――twilight―age(トワイライトエイジ)黄昏の時代、と呼ぶ者もいた。


 しかし、そんな中でも革新的な技術革新の起きた数少ない分野がふたつある。ひとつが効率的なバッテリーを搭載した電気自動車。そしてもうひとつが、人の手の甲に生体チップを埋め込む事で、ダイレクトにネットにアクセスする事を可能としたNT(ニュートロン)ネットワークである。

 NTネットワークは当初、次世代のネットワークとして開発され、そこに神経や感覚を移行する技術は今や世界人口の5割を占める高年齢者のリハビリ、擬似的な現実体験を可能とする目的の為のものであった。

 だがここに娯楽性を見出した企業により、様々なコンテンツが築かれていく事となる。その内容はリゾート、セクシャル、ゲームと様々である。

 その様はさながら、二次元にもう一つの現実(リアル)が構築されていくようでもあった。

 また、意識や感覚をネットに移行する際の危険や、個人の脳すらハッキングされるのではないかという危惧を抱かれた事もある時期もあるが、これに対してWDN(世界電脳統制機構)が結成され、厳重な管理を行うことで一般にも大きく浸透していった。

 今や日本だけでも全国民の9割が、生体チップを手の甲に埋め込んでネットとリンクした生活をしている。

 真音達が行っているゲーム『your enemies』はそうした仮想の中で造られたロボットゲームの中でも1200万人のユーザーを持つ、人気コンテンツのひとつである。


 ――そんな現代史を聞く真音の意識は、相変わらず虚ろである。

 今を生きる真音にとって過去の歴史など、他の学生同様、現実(リアル)では無いからだ。

 うつら、うつら、とする視界が不意に捉えたのは、自分とは反対側の窓際の席に座る由良の姿。

 窓際に座る由良は、何やら学内ネットを通じて配布された資料を宙にウィンドとして広げ、熱心に読み込んでいる。

 それだけを見れば、クールな雰囲気を持つ彼女は優等生にも見えた。実際、由良が転校してきた当初は本人の整った顔立ちや容姿を見て、話掛ける生徒も少なくなかった。

 だが彼女はそれに対して、素っ気ない返事を一言、二言返すだけであったので、瞬く間に孤立していった。

 その頃の真音は、ただ遠目から由良を眺めているだけだった、模型誌である『モビージャパン』を片手に。


 (東京からの転校生さん……キレーやなあ。でもミステリアスすぎて何考えとうか分からんし…友達になってくれるなんて事あらへんよなぁ……ロボットとか好きなわけないよなぁ……)


 この後に、繋がりが出来る事など無いと思っていた。

 真音自身の容姿は特に優れたものでも無いし、誇れるものだって持っていない。胸も張っても貧しいし。

 実際、蓋を開けてみれば『your enemies』のランカーだったり、半世紀前のロボットアニメやゲームに詳しいなど、男の子趣味で高校入学早々からボッチと成り果てていた自分と同じくらいのロボオタクであったのだから、世の中分かったものではない。


 ……尤も、由良が真音について最初に覚えていた事といえば『モビージャパン』の『巨大オー』の特集記事を眺めているコアなヤツだとか、いつもカニの髪飾りを付けているヤツだとか、酷く断片的なものだけで名前すら出てこなかったのだが。

 (うちのアイデンティティはロボとカニだけ、なんやろか……)

 などと、その時は軽く凹んだりもした。

 (それから、まだ一か月も経ってへん……)

 今のふたりからすれば、その時の事が随分と昔の事のように真音には思えた。

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