帰りの通勤電車の中で読みました。帰宅したら、即夕食。小腹の空いた状態だったんですね。何度も生唾を呑み込みました。余談ながら、夕食メニューの一つは卵豆腐でした。金剛峯寺には行った事が無いんですが、織田信長を始めとする戦国大名の墓が有るとは知りませんでした。タイトルについては、その通りですね。私も初心(?)を忘れずに暮らして行きたいものです。短編にはMAX2つが信条なんですが、星3つ付けました。
自然と声にしてしまう「ありがとう」ほど、嬉しいものはないです。再現しようする調理過程に、胡麻豆腐に対する強い思いが伝わってきました。完成した時、コレは美味しいに決まってると確信しました。(再現レシピで失敗ばかりしているから、余計に)同じありがとうでも、あの感動を再現して伝えたいというおもてなしの心があったからこそ、ありがとうに胸打たれたのかもしれません。最後に、言わせてください。手を合わせて、「ごちそうさまです」
ついつい感謝の気持ちを忘れがちで、気持ちのこもっていない「ありがとう」しか最近言えていない自分に気付かされた作品でした。
なぜ、美味しかったのか、実に興味深かった。それは、寺の掃除を任された後だったのだろうか?美味しいものを食べるには、何が要るだろうか?礼儀だろうか?それともマナーだろうか?社会人ならわかるだろう。最近手にしたミステリー小説ぐらいの味がする。
富士見L短編賞の応募作をいくつか読んでいますが、この作品は他のものと少し違ったエッセイで、そこがまた面白かったです。胡麻豆腐に関する描写や説明もお見事。(胡麻豆腐嫌いの私でも興味が湧きました。)どこでどんな人生を変える出来事が起こるか、分からないものですね。
今の世の中に溢れている食品って、なんとなく「これでいいや」と思うような味のものばかりだなぁ、とこのお話を読んでいて思いました。作中にてごまをミキサーではなく手で擂ったとありますが、多分それだけで味が違ってくるものだと思います。調理の作業が細かく描いてあり、最後の言葉に心を動かされます。感謝の気持ちってものすごく大事ですよね。人は一人では生きていけないんだなぁ、と思いました。そして、胡麻豆腐が食べたくなりました。作ってみたいと思います。
手間をかけて作ったそれは、何よりも美味しく、暖かい。それを再び思い出す様な小説!
「私」が出会った、胡麻豆腐。たかが胡麻豆腐、されど胡麻豆腐。手間暇かけて作ったそれには、そこには細やかな気遣いと生のエネルギーが眠っていた。
料理人はみな、口を揃えて言う。料理に手間隙を惜しむなかれと。その行程ひとつで味が変わる。特に日本料理は細やかそのもの。日本人が持つ思いやりの精神そのものが一つ一つに反映されている、だからこその深みのある味なのだろう。このエッセイを読んで改めて手間隙を惜しんではならないことを噛み締める。料理は心そのものである。ありがとうの心が返ってくるのは、そこにありがとうと伝えたくなるほどの想いと手間隙が詰まっているからなのだろう。たかが胡麻豆腐、されど胡麻豆腐。その深みのある味わいは食べた人を喜ばせたいという、たったひとつの想い、深い愛情なのである
値段や手間ひま、材料。金銭。掛ければ掛けるほど美味しい料理。どんなに美味しくても、元は生命。美味しく頂き、その姿に感謝する。口にして生きて行く。美味しい食べ物は、それだけでありがたいと言う事を伝えて下さって、ありがとうございます。
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