もてなしの心、ありがとうの心

夏炉冬扇

高野山の胡麻豆腐

 私事ではあるが、過去10年ほど鬱を患っていた。

 反復性鬱というもので、少し良くなったかと思って仕事に復帰しても、再び鬱状態に陥り仕事も長続きしないという事を繰り返していたのである。

 そんな中で私は一時期、本気で真言宗の僧侶になりたいと思い、独学ではあるが真言宗に関する勉強をし、その教えや仕来り、お経やら真言なども覚えたりもした時期があった。

 もともと歴史好きな私であったから、それが高じて神社仏閣も好きで、色々な古寺名刹を巡るなどもしていたのだが、では何故に真言宗なのか……。

 理由は至極単純なものだった。

 厄年の際に関東でも特に有名な真言宗のお寺である川崎大師をお参りし、良い結果を生んだという過去があった為だ。

 それ故、真言宗の総本山でもある高野山にはいつか行ってみたいと思っていた。

 その機会が巡って来たのは鬱を患ってから五年目だか六年目くらいの頃である。

 四月近くに高野山へ行ったのだが、標高が高い事もあり、その日は雪もちらついていた。

 到着したのが夕刻であった為、金剛峯寺は残念ながら門が閉まっていた。

 それでも奥の院と参道を歩いて回る事は出来た。

 奥の院へと続く参道はいわゆる墓地であり、入り口に近い場所は個人のお墓、企業の供養塔が立ち並ぶ。

 面白いのは殺虫剤メーカーの供養塔で、虫の供養塔になっているという真面目に、しかしどこかユーモアのセンスがある供養塔も存在したりする。

 さらに奥に進むと戦国武将の供養塔が立ち並ぶ。


 ——おお! ここは加賀前田家! こっちは伊達政宗! 武田信玄に上杉謙信! 豊臣家もあれば、なんとなんと高野聖を虐殺した信長の供養塔まである!


 歴史ファンにはたまらない有名人のオンパレード。

 ただ、やはり墓地であるから写真撮影は自重しておいた。もちろん、奥の院手前に架かる橋より先でなければ写真撮影も可能なのだが、あまりパシャパシャと写真を撮るのも眠っておられる方々を思うと憚られるものがある。

 さて……私は高野山町にある天徳院というお寺に宿泊したのだが、これがまた実に立派なお寺で、さすがは寺という事もあって一般的な宿とは空気そのものが違っているように思えたものである。


 そして夕食に出された精進料理……。

 精進料理というと肉や魚を使わない……もっと言えば臭みの強い野菜——例えばニンニクやネギといったものも使わない料理であるから「物足りないんじゃないの? 」だとか「美味しくなさそう」などといったイメージを持っている方も多いのではなかろうか?

 それは偏見というものである……と言っておこう。

 精進料理とはそういった限られた食材を創意工夫によって如何に美味しく作るかというもので、そもそもがお寺に来たお客さんをもてなす為に僧侶達が作る料理である。

 素材の味をフルに活かしたヘルシーかつ美味しい料理なのだ。

 だからその分、非常に手間もかかっている。


 その天徳院で出された精進料理の一品一品は、随分と前の事なので私も覚えてはいない。

 だが、その中でも強烈に私の心に残った逸品があった。

 それが胡麻豆腐である。

 白……と言っても、まるで淡い月のような白色。普通の豆腐とも違うし、さりとてよくスーパーなどで見かける市販の胡麻豆腐とも異なる色合い。

 ひと口含んでみて、正直なところ私は驚かされた。


 ——美味い!


 舌の上を滑るようななめらかさ。そして濃厚で深みのある味わい。胡麻の風味と僅かな塩味が絶妙で、自分がこれまで食べて来た胡麻豆腐はいったい何だったのか……と思えてならなかった。


 なるほど……由緒あるお寺で客人をもてなす為に培われて来た料理というものは、手間暇を惜しまず、本当に喜んで貰えるようにと心を込めて築き上げられて来たものなのだ……と、歴史と精神というものを垣間見る事が出来たような気がしたものである。


 それから一年程が過ぎたであろうか?

 私は高野山で食した胡麻豆腐が忘れられず、また食べたいと常々思っていた。

 しかし、やはりスーパーなどで売られている胡麻豆腐を食べても違う。『高野山の胡麻豆腐』などと銘打ってある商品でも、私を満足させてくれる物は一切無かった。


 ——物足りない……。


 そう感じずにはいられなかった。

 味に深みも無ければ、絶妙な風味も品の良い塩味も旨味も感じられない。


 ——ならば調べて作ってみるか!


 そう思い立つと行動は早かった。

 まず大手の書店へ足を運び、料理レシピのコーナーを片っ端から見て回った。

 そこで私は『高野山の精進料理』なるレシピ本を発見する。


 ——監修は……高野山真言宗総本山金剛峯寺? ふむふむ……。


 パラパラとページを捲ってみると、様々な精進料理。もちろん、私が食した事の無いものも多い。

 が、その中で……。


 ——お! あった!


 胡麻豆腐の項目を見つけた。

 無論、迷う事などあろうか? 即購入である。

 帰宅してから詳しいレシピを見てみると、これがなかなかに手間のかかるものだと知った。

 しかし、ここまで来たらとことん忠実に再現する気満々である。


 ——材料……の前に豆腐作り用の型が無いな……。


 幸い隣りの駅近くに様々な材料や調理器具の売っている老舗があるので、そこでステンレス製の型を買って来た。


 ——あとは材料だなぁ。


 レシピを見ると、必要な材料は次の通りであった。

 みがきごま20g、吉野葛20g、昆布だし、酒、塩、醤油、山葵、穂紫蘇。

 穂紫蘇は飾り付け用だから無理に買う必要は無い。他は近所のスーパーで全て揃いそうではあったのだが……ふとした疑問が浮んだ。


 ——みがきごま……って何ぞ?


 それほど料理に詳しい訳でも無いので調べてみると「皮を剥いた白胡麻」との事。

 探してみると、何とか近いものが売っていた。


 ——次は吉野葛……て、高っ!


 葛粉が思いの外、高価である事にビックリ。

 けれど、レシピ本や型まで揃えたのに諦める訳にはゆかない。もはや意地になっていた。

 昆布だしはもう市販の顆粒のものを使用する事にした。

 本当なら良質の昆布を買って来て、自分で出汁を取るのが一番かとも思ったのだが、そもそもどの昆布を使えば良いのかも分からないし、余計に高くつきそうだ。


 物は揃った。


 ——いざ!


 レシピ本だと、みがきごま20gに対し、昆布だし1.5合を合わせてミキサーにかけるとあるが、そんな文明の力は無い。

 よって使うのは昔ながらの擂り鉢だ。

 これが恐ろしく重労働であった。

 何せ油が出るまで胡麻を擂らなけばならない。薬味として使う擂り胡麻とは訳が違うのだ。

 とにかくひたすらゴリゴリ……。

 およそ30分超、ゴリゴリと擂り続けただろうか?

 途中から昆布だしを少しずつ注ぎながら、出汁の中に油が浮いてくるくらいになったら、次の行程に入る。


 ——えっと……これを寒冷紗で絞って抽出した汁を取り出すっと……。


 寒冷紗なんて専用のシロモノも無いので、仕方なく薄手の布を使って絞る……絞る……絞る……。これもなかなか力の要る作業だ。

 ボールにやや濁った汁だけを取り出し、擂った胡麻は……捨てるのも勿体無いので何か別の物に使おう。

 吉野葛20gを少量の水で溶いて、その抽出した汁に加え、さらに酒と塩を少々加える。


 ——これを30分ほど火にかけてかき混ぜるのね。


 すると乳白色の液体は徐々にとろみを増し、やがてジャムのようなゼリーのような粘度になってゆく。

 火から下ろし、型に入れて冷水で冷やす。

 ここは特に時間も記載されていないので、自分の目で見ながらといったところだ。


 こうして大体2人分の胡麻豆腐が完成した訳だが……。


 ——ふむ……色はそれらしくなってるなぁ。


 あとは適当な大きさに切り分けて、醤油を少しだけ垂らし、上に練りワサビをちょこんと乗せる。

 飾りが無い分、殺風景だがそれらしくはなった。

 折角だから器は白い胡麻豆腐が映えそうな塗りの濃い小鉢。そこに長方形の胡麻豆腐が乗る。

 両親に食べて貰おうと思ったのだが、もちろん私だって食べたい。

 そんな訳で、サイズは一人前より少し小さくなってしまったが……まあ、それは良いだろう。

 早速、味見をしてみる……。


 ——おおっ!


 これだ! これであった!

 高野山で頂いた胡麻豆腐ほど見栄えは良くないものの、味はまさに高野山で食べたものと一緒。

 懐かしさが込み上げて来る。

 味や舌触りはほぼ完璧と言えた。いやもう、醤油なんてかける必要も無いくらいに味わい深い。

 高野山へ行った事の無い両親にも食べてもらった。


「あ、美味しい!」


 ——そうでしょうとも! そうでしょうとも!


 高野山で頂いた胡麻豆腐はまさに淡い月のような色の胡麻豆腐。

 なめらかな舌触りと濃厚な胡麻の風味。

 形以外は完璧なまでに再現できたのだ。

 さすがは金剛峯寺監修。レシピ本さまさまというものである。


「うん、美味しかった。ありがとう」


 ——あ……。


 その言葉で、ふっと私の心に小さな光が射し込んだ……そんな気がした。

 鬱を患ってからというもの、酷い時には毎日のように「死にたい」などと思っていた。当然、人からお礼を言われるような事だって殆ど無かったと思う。

 寧ろ、自分が色々な人達から支えられて「ありがとう」という立場であった。


「ありがとう」


 この平仮名にすると、たった5文字しかないひと言がどれだけ大きな勇気と力をくれた事だろう。

 何か助けられたり、良くしてもらったりして感謝をするのは当たり前だと自分では思っている。

 でも、いざ人から感謝をされたとき……そのたったひと言が自分にとって大きな励みになるという事が、その時になって分かったのだ。

 鬱を患っていると、どうしても自分に自信が無くなってマイナス思考の塊のようになるものだし、自分なんて居ても居なくても一緒じゃないかとすら思えて来るものだ。

 そんなマイナスイメージが自分の中に次から次へと湧いて出て来るものだから、まるで胸に大きな鉄球でも埋め込まれているかのように重く、苦しい。

 それでも自分のした事で人から感謝をされたと認識したとき、暗闇の中、ひと筋の光が射し込んだ……そんな気持ちになる事が出来た。

 感謝には色々な形があろう。

 しかし、人には言葉というものがある。たったひと言「ありがとう」と伝える事が、素直で最も伝わりやすい感謝の気持ちであるし、その言葉が持つ力は人の心を変える事だって出来る可能性を秘めているのだ。


 たかが胡麻豆腐。されど胡麻豆腐。

 私にとって、この出来事が新しい一歩に繋がった事は間違いない。

 キッカケは興味本位でしかなかったが、そこから大切なものを学ぶことが出来た。

 心を込めたもてなし。

 それに対する「ありがとう」の気持ち。

 人はそういった細やかな支え合いで成り立っているのだと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もてなしの心、ありがとうの心 夏炉冬扇 @tmatsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ