すごい…素晴らしい…。
まったくもってレビューになっていないかもしれなくて申し訳ないのですが、もはやそれしか言えません…!
料理やそれ以外の部分での花乃の心遣いの細やかさ奥深さ、そしてそれを受け取った沖田…。
花乃が零した「いけず」の三文字に、レビュータイトル通りに心臓をやられました。
可愛い。そして沖田の最期を読者の私はどうしても歴史の流れから知っているものだから、別の意味でまた心臓が痛くなります…。
それでも優しい時間がこの物語には流れ、花乃の作った美味しそうな料理の味が舌にほんのり感じられるような、そんな気分にさせられました。
優しい物語をありがとうございます。
是非に是非にご一読をば!
現実世界で京都弁を耳にすると、
「お高く止まりやがって」
と、自分勝手な反発を感じてしまう。
ところが、乙女心を題材にした作品には何と似合う言葉なんだろう、とウットリする。
仮に、京都弁を話す男を登場させても、「麻呂は…」みたいな発言にしかならないので、読者の反感を買うのは必定。実際、京都弁ヒーロー物の作品には出会った事が無いので、強ち私の感性も独り善がりではないんだろう。
そう考えると、『高嶺の花が降りてきた』状況こそ、京都弁を話す乙女を読者が受け入れるパターンと言える。飽くまで男目線だが。
そうだっ! 本作品は男が読む作品なのだ‼︎
別作品「幕末レクイエム」と同じ人物を登場させ、こちらは異能を削げ落としての、しっとりとした思春期恋愛物。
それだけ新撰組が魅力的なのか、作者の筆力が神業なのか。悩むまでもなく、作者の実力です。それは「幕末レクイエム」を読めば分かる。本作品の読了後に是非、確かめて下さい!
それと、作品に対する作者の姿勢。文字数の少ない本作品では伺えませんが、時代考証が尋常じゃない。奥行が違うんです。それも「幕末レクイエム」で御検証を。
短編にはMAX2つが信条ですが、星3つ付けました。
新撰組の剣豪であり、労咳を患い若くして夭逝したとして知られる沖田総司と、その看病を任された京育ちの娘、花乃さんのお話です。
花乃さんはほとんど食事を取らない沖田の体を案じ、どうしたら食べてくれるのか考えます。
何気ない、ちょっとした感謝の言葉が、それでも大切な意味を持って心に迫ってくる、というのを無理なく書かれた素敵な作品です。
山南敬助の死や病による容貌の変化からは、沖田の心に落とされた影がちらつき、それを心配する花乃さんの気持ちは、真剣に医師に食事の相談をしたり、丁寧に丹念に作り上げたことが分かる軍鶏鍋の記述から、たいへんによく伝わってきます。
そういったものの積み重ねがあったからこそ、終盤でふと沖田が差し出した「御褒美」や言葉が、爽やかに涼やかに胸に来ます。
また、剣豪である沖田は、病でもそうでなくても死に関わっていなければならない、そのことが兄のように慕っていた山南の死と重なってよく伝わってきました。
幕末、肺を患う沖田と彼に淡い恋をする京の娘の物語。
命を燃やして闘う新選組の隊士の、静かで穏やかな療養生活を支える花乃がなんとも健気で可愛い。
真心込めての給仕も甲斐なく、沖田は『ふわふわの卵を一匙か二匙』ほどしか食してくれず、日に日にやつれていくばかり。沖田を気遣い、悩む花乃は医師との会話の中からある策を閃く。
懐かしい思い出の味と、暖かな想い。人は自らの死期が近づくと自らの人生を振り返りつつなぞっていくのかもしれない。読後、そんなことをふと思った。
真心をそっと懐紙に留めていた沖田に、かたく唇を噛んで涙を堪える花乃がいじらしい。
じんわりと染み入るような美味しい話でした。
短編小説はときに長編小説を凌ぐほどのエネルギーを含む場合がある。
短編であるがゆえに情報が少なく、それまでの経緯、物語のあとの気配はすべて描写されない。だからこそ、その短編の背後には広大な世界が広がる。
この短編はまさにその広大な世界を背後に持っている。丁寧に、それでいて簡潔に描写される食事の場面。そこからは立ち込める湯気の熱気や、京風の鍋の匂いが感じられる。
そして少ない言葉から感じ取れる登場人物たちの人柄。沖田のかわいらしい一面、花乃の勝気ながらも健気な性格。それらが言葉と一緒にすっと体に入ってくる。
そして、この物語を根底で支えている「死」の臭い。介錯による血の臭いや、沖田の死を思わせる痰の臭い。それらの臭いと軍鶏鍋の匂いが複雑に混ざり合って、クライマックスの切なさをより引き立たせる。
私はこの物語は「恋」の物語というよりも「愛」の物語だと思っている。「男と女」の物語であると同時に「生と死」の物語であり、自己の満足よりも他者への想いを深く感じられる物語だ。
このようにあらゆる味、匂い、そして想いが凝縮された物語を摂取するには短編小説は最適なメディアだと思う。そして、そのような凝縮された物語に出会えて本当にうれしかった。
こういう短編書きてぇ………。