第6節:確信

 世間は狭い。

 大学のある授業で隣りに座った人が、彼女と同じ高校に通っていたというのには驚いた。その子は春香といい、三年間彼女と同じクラスだったという。ぜひ話を聞きたいと言って、授業の後、僕らは大学の並木道を歩いていた。

「キミ、少し有名だよ?桜さんと付き合ってるって」

 彼女を下の名前で呼ぶ人に会ったのは初めてだ。春香は彼女とは違って、髪も茶に染め、かなり快活そうで、いかにも女子大生らしい。僕は交際について否定せず、話を続けた。

「…宮前さんは高校でどんな様子だった?」

「そうだね~、ウチの高校って一応県内でもレベルが高い進学校だったんだけど、その中でも飛び切り頭が良かったね、あの子は」

 春香は身振り手振り多めで喋る。

「あの子から誰かに話しかけるってのは滅多に無かった。必要なときだけね。でも喋らないわけじゃない。話しかけたらすごく楽しいの。いろいろ話題を持ってて…人気は高かったね~。男女ともに」

「付き合っている人は居た?」

「あはは!いないいない!」

 春香は笑いながら手を左右に何度も振った。大げさに。

「みんな玉砕よ!唯一の成功例がキミじゃないかな?」

 ビシっと僕に人差し指を突き出した。

「そ、そう」

「ああ~可愛かったなあ、あの頃の桜。セーラー服よく似合ってたな~」

「それは見たい…いやそんなことよりも」

「んん?」

「宮前さん、高校で何か変わった出来事とか無かった?」

「変わった出来事か。あの子自体変わってる子だからな~」

 それは同意する。

「ああ…そういえば」

「何か?」

「あの子の両親、立て続けに亡くなったのよ」

「え?」

 曇りの空は今にも落ちてきそうな重さだったが、そのとき丁度雨粒が額に当たり、すぐに僕らを包む音を立て始めた。


 雨宿りのために入った大学近くの商店街の喫茶店で、春香は僕に語った。

 先に亡くなったのは父親の方だったらしい。事故死だ。原因は早朝の飲酒運転。その日、彼女は高校二年目にして初めて学校を休んだという。そして母親は、その一週間後に亡くなった。睡眠薬を大量に飲んだ自殺だったという。いつまで経っても起きてこない母親の脈を測り死亡を確認したのは、彼女だったらしい。

「じゃあそれ以来、宮前さんは一人で」

「そうよ。あの子は家で一人だった。でもそんな素振り一切見せなかった。…強がってみせていたわけじゃないと思うわ」

 両親の死以後と、それ以前の彼女。そのどちらも知っている春香は言った。

「何も変わらなかった。あの子は気味が悪いくらい、そのままだった」

「…そうだろうね、宮前さんなら」

 僕には何となく、彼女が何者なのか分かってきた気がした。それが僕の思い込みなのか、それともなのかは分からないけど。

「あの子は、私が今まで会ってきた中で一番不思議な人。でも…」

「でも?」

「キミも不思議。二番目くらいに」

「どうして?」

「さあ…」

 春香は手を小さく振った。そういえばと、今まで大仰なジェスチャーが消えていたことに僕は気づいた。

「あの子に、だからかもね」

 認められた。それは、何を、どういう意味で?

 出かけた言葉を、何故か僕は心に仕舞い込んで「そうか」とだけ言った。


 ああ、これは夢だ。

 すぐに分かった。なぜなら彼女はセーラー服を着ているからだ。

 見知らぬ家だった。平屋で、だいぶ年季が入っている。トタン屋根で、壁の漆喰はボロボロだ。

「入って」

 彼女は僕を玄関に案内した。玄関を上がってすぐ居間があった。そこに女性が倒れている。

「私の母だ」

 彼女とは似ても似つかない、黒髪の女性だ。

「ご覧の通り死んでいる。ハハハ」

 乾いた笑いだった。

「ちなみに」

 彼女は居間の奥の襖に手を当てた。

「こちらの部屋には父の死体がある。だが見るのはお勧めしない。なにせ上半身がぐちゃぐちゃだからな。匂いもひどいし」

 僕は彼女に向かって歩き、近づいた。そして正面に立って、彼女を抱き寄せた。

 いつも微かに感じていた芳香が、僕の全体に流れ込んできた。彼女の髪に顔を埋めた。僕は彼女を慰めようとしているのか、それとも彼女に甘えようとしているのか。

「…やめてくれないか、柳」

 彼女はそう言ったが、構わず僕は彼女を抱きしめていた。

「何でもないじゃないか。こんな事。だからどうしたというんだ」

 僕は鼻を彼女の左肩から、鎖骨へ、そして胸へと動かしていった。

「柳。柳恒一」

 夢の中で、初めて彼女は僕の下の名前まで言った。

「私を?」

 その瞬間、彼女は消え、僕の足元は暗転した。奈落へ――。

「ううっ!?」

 そうして、気づけば僕の部屋だ。ああ、やはり夢だった。

 僕は頭を掻きむしった。本当にどうしてしまったんだ、僕は。彼女を恐れているのか。それともやはり、好きなのか。

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