それから(九つ目)

 彼女の死刑執行は、異常なほど早かった。判決から執行までの期間は、戦後最短であった。人々はすっかり、彼女のことなど忘れてしまった。


 歩道橋から見える車の流れ、人々の歩み、すべてが鬱陶しく、そして冒涜的に感じる。


 彼女は俺の妹の仇を殺した。それはまぎれもない事実だった。あのとき、俺は刑事としての信念に一切のゆらぎはなかった。法と秩序を守り、市民を護る。そういう存在であること。それが生きがいだった。


 だが、実際はどうだ?

 俺はあのとき、斎藤の家に別件で訪問するまで、んだぞ。…雄牛の中で腐臭を放っていた肉塊に、多少の満足感を覚えたのは否定できない事実だ。


 彼女は、何かが決定的に違っていた。

 我々と彼女、何が違うとは具体的には言えないが、とにかく違ったのだ。


 あえて言うなら…彼女は全てを、この社会の問題全てを"自分のこと"だと考えたのではないだろうか。

 なぜ我々は、誰かが犯罪を犯したとき、警察を呼ぶのだろう。なぜ我々は、何かトラブルを解決するときに訴訟など起こすのだろう。なぜ、のだろう。


 彼女は、俺が傍聴した裁判でこう言っていた。

「世界を複雑にすればするほど、人々は自分の行為を理解できなくなります。結果として、殺人と同じ概念の行為ですら、正義というラベルを貼れば、それは根本から正義なのだとすら思うようになるのです」


 俺は刑事を辞めた。

 俺が今まで刑務所に送ってきた奴らの顔が浮かぶのだ。別に、あいつらのほとんどは十年経たずにムショから出てくる。だが、社会復帰はほぼ絶望的だろう。身ぐるみ剥がして野に放つのと何ら変わりない。要するに俺は、犯罪者に対して追い剥ぎをしているのと同じだったということだ。


 最初は、それの何がいけないんだと思った。

 あいつらは犯罪者だ。だが俺のやっていることはだ。なのに人々は、それをだという。

 気づけば、俺はそれに耐えられなくなっていた。


 俺はもう、誰かが認めてくれるような正しさなんか要らない。

 俺が成すべきだと思ったことを成す。それだけだ。


 …しかし、最後まで謎だったことがある。

 どうして宮前桜は、柳恒一を殺さなかったのだ?

 本当に、彼を愛していたという、それだけの理由なのか?

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