第15話 落ち穂拾い

 琵琶湖びわこの東岸、近江おうみ彦根ひこねの近くに平田という村落がある。芹川せりがわが村の中ほど流れる平坦な地である。

 東には佐和山さわやまの城が望め、西は平田川ひらたがわまでの間に幾つかの田畑が点在している。

 村には五十戸ほどの家があり、普段は田畑を耕すことを生業なりわいとしている。


 平田を含めたこの地は、昔から南近江をあずかる六角義賢ろっかくよしかたが治めていた。今は観音寺かんのんじ城の城主でもある。

 義賢は、その子義治よしはると共に近江一帯に勢力を伸ばしていたが、北近江に位置する浅井あざい家の台頭により、しばしば戦を強いられていた。

 この時も、浅井長政ながまさ率いる北近江の兵がこの地に足を踏み入れて来た・・・


 その浅井軍は、野良田のらたの戦で散々に六角親子の軍を破ると、帰り際、豊郷とよごうから彦根にかけての稲田に火を放った。

 火は収穫を目前に控えた稲の穂を容赦ようしゃなく焼き尽くす。

 一矢いっしむくいるために、佐和山城から応戦に出た六角勢も、勢いに勝る浅井軍によってことごとく討ち取られてしまった。

 後には、幾つものむくろが燃え尽きた稲田を覆っているだけである。


 半時はんときもした頃だろうか、それらの骸に寄り添う人影があった。

 その人影は、今はもう動かなくなった兵士の亡骸なきがらから刀や甲冑、銭、衣服までをもぎ取っている。


 剥ぎ取られた兵士は、裸のままそこに放置された。

 もうすでに、死肉しにくの臭いを感じ取っているのであろう、無数のカラスが木の上で幾重にも翼を休めているのが見える。

 それらの人影は皆、幾らかの戦利品を手にすると、背中を丸めるように抱えながら、また森の中へと消えて行く。

 そう、その人影とは平田の農民達であり、これが彼らのもうひとつの顔でもあった。

 

 「又十郎またじゅうろう様、村人ら全員戻りましただ」

 この村の長老、伝兵衛でんべえが皆の無事を又十郎に知らせる。


 「ご苦労様です。さっそくですが伝兵衛さん、刀や槍、鎧は地下の倉に運ばせて下さい。それから、弥右衛門やえもんさんは衣服を洗い裏山で干すよう女子衆おなごしゅうに指示して下さい」


 この村人たちに指示を出している男、名を柳井やない又十郎という。

 数年前からこの村で、彼ら農民と共に暮らしている。農民達は彼が何処の誰だかは知らない。ただ、平田の農民にとって、又十郎は無くてはならない存在になっていた。

 若手衆のひとり、彦二郎ひこじろうが彼に尋ねる。


 「又十郎様、おら達は何をすればいいだか?」

 「彦二郎は子供らを連れて、豊郷から彦根にかけて焼け残った稲穂を一粒でも多く掻き集めてくれ」


 又十郎はこの若者を大変頼りにしていた。彦二郎もそんな又十郎を、時には父のように、時には兄のようにと慕っている。


 「ま、又十郎様、お、おらは何をすれば・・・」

 口を曲げながら惣四郎そうしろうも尋ねる。彼もまた、又十郎を慕うひとりである。

 又十郎は惣四郎の肩をひとつ叩くと、彼の耳元でささやいた。

 「惣四郎、お前は見張りじゃ。重要な役目じゃぞ。もし、六角の兵がひとりでも見えたら大声で知らせるのじゃ、よいな!」

 「わ、わかった」


 惣四郎には緊張するとどもるくせがある。

 又十郎は瞬時のうちに指示を出し終えると、馬を走らせた。行き先は今浜いまはまである。

 彼は馬を飛ばすと、米原よねはらを抜けその先の今浜へと道をとった。敵国である浅井勢の動向を調べるためでもある。

 又十郎は物売りの格好に扮すると、さっそく今浜城下での情報を集め始めた。


 一方、伝兵衛や彦二郎達も又十郎からの指示を着々とこなしていた。惣四郎も言われたように、西の地平線を暗くなってもずっと見つめている。

 又十郎が戻った頃には、もう村は何もなかったかのように、またもとの静けさを取り戻していた。

 

 「彦二郎、稲穂はいかほど集まったのじゃ?」

 又十郎は期待を込めて彦二郎に尋ねる。

 彼は、かたわらで正座をしている孫助まごすけ六郎太ろくろうたを呼び寄せながら、こう答えた。


 「豊郷の燃え残っていた稲穂は、ほとんど刈り取ることができましただ。それに、この子らのおかげで、落ちている穂も随分ずいぶん拾い集めることができました」

 「そうか! 孫助も六郎太もご苦労であったな」

 又十郎は子供達の頭を優しく撫でると、褒美ほうびに竹で作った脇差しを差し出す。

 孫助も六郎太も着物の帯にそれをさすと、得意そうな笑みを浮かべた。


 次に、又十郎は伝兵衛達に六角家の動きを尋ねた。

 「伝兵衛さん、その後六角家の侍の動きは如何ですか?」

 「二~三日前、物見の者がやって来て、しかばねの数を数えていったな」

 伝兵衛が答える。

 「おら達に、追いぎをしたのは誰か?と尋ねて来たので、高室山たかむろやまの盗賊じゃ、と答えてやったわ」

 得意そうに、弥右衛門が鼻を鳴らしならす。

 又十郎は、嬉しそうに目を細めると、もう一度皆を見回した。


 

 それから半月ほどたった頃、平田の村に六角家の侍がやってきた。

 先頭の武将は芦毛あしげの馬にまたがり、兜には蜻蛉とんぼの前立てがある。左の腕には刃先が十文字じゅうもんじの槍をたずえている。

 その少し後ろには、その体格とは不釣り合いな水牛の角立つのだてを兜に付けた神経質そうな武将が続いていた。


 「この村のおさは誰か?」

 芦毛馬の武将が大声で尋ねる。

 皆は一斉に、又十郎の方に顔を向けた。芦毛馬の武将は、馬頭うまくびを又十郎の前へと向ける。


 「そなたが、この村の長か? 名は何ともうす?」

 又十郎は答える代わりに、手に持った飼葉かいばをその馬に与えた。

 「お侍様、まずはご自分から名乗るが筋と存じまするが」

 又十郎は、目だけは目の前の芦毛の馬を見つめながらも、そこはかとない威圧いあつ的な低い声で答える。


 芦毛馬の侍は、そんな又十郎に目を向けながら、声だけはなお穏やかである。

 「これはすまなかったの。拙者せっしゃの名は馬淵嘉門まぶちかもん、六角義賢様が家臣にござる。こちらは・・・」


 馬淵嘉門は彼の後ろに控えるもうひとりの侍に目を向けた。水牛の角立てを持った侍は、うるさそうにと馬頭を横に向ける。


 「拙者は、あいにく百姓共に名乗る名前など持ちあわせてはおらん」

 これには、嘉門が答えた。

 「あいすまぬ、こちらは六角義治様が家臣、布施貞時ふせさだとき殿にござる」

 又十郎は、両人に深く一礼すると、丁寧ていねい口調くちょうで語りかける。


 「拙者は又十郎と申します、この村では居候いそうろうをしておりますが、こたびは何か?」

 「又十郎と申すか。実は先の浅井勢との戦の際、当方の兵の骸が山賊に荒らされてのう。そのとむらいをしてやりたいと思うてのう・・・」

 嘉門の言葉は柔らかかったが、その目はすべてを見透かしているような深い輝きがある。

 後ろから布施貞時が言葉をつなぐ。

 「馬淵殿、百姓共に遠回しな言い方をしても分かりますまい」


 貞時は馬を村人達の前へと押し進めると、さらに大きな甲高いお声でこう伝えた。

 「お前達の中に追い剥ぎをした者がおるであろう。その者は、今すぐこれへ名のれ」


 村人たちは横目で又十郎を追う。

 又十郎は嘉門の馬首をトントンとでると、今度は布施貞時の馬に手をかけた。

 「お侍様、ここの村人達は、ひとりもその様なことは致しておりませぬ。何卒なにとぞお引き取りを・・・」

 布施貞時は馬を操るむちで又十郎の手を払うと、さげすむような目つきを向ける。

 「しょせん百姓の言うことじゃ、信用ならん。きっとしっぽをつかんでくれるわ」


 帰り際、馬淵嘉門は又十郎にそっと囁いた。

 「又十郎とやら。見たところ、お主もとは武士ではござらぬか? もしよろしければ名前を聞かせて・・・」

 「拙者は又十郎にございまする。今は農民の居候の身、ただそれだけでございまする」

 嘉門は、それ以上尋ねることはしなかった。

 又十郎は深く一礼すると、彼らの後ろ姿をいつまでも見ていた。


 それからも、平田の農民達は又十郎の指示のもと、米や農作物作りに精を出し、そして時には戦で死んだ侍から鎗刀や衣服などを剥ぎ取る行いをしていた・・・


 

 時は過ぎ、また浅井勢が南近江に兵を進めて来た。対する六角軍も戦上手の進藤堅盛しんどうかたもり山中俊好やまなかとしよしらの武将を筆頭ひっとうに応戦をする。

 はたして、またも双方には多大な損害を出す結果となった。


 平田の農民達は、田畑に横たわる敵味方いくつもの骸を回っては、いつものように様々な品々を持ち帰る。

 そんな中、この村の運命を大きく変える事件が起こった。惣四郎が六角家の武将に捕らえられてしまったのである。


 その日、惣四郎はいつものように見張りの役目をしていた。

 その彼の目の前には、六角勢の足軽の骸が転がっている。彼はその骸から兜を取り上げると、それを自分の頭にのせた。

 別に意味など無い。ただ、兜とはそうするものだと惣四郎は思っただけである。そこに、六角方の侍が駆けつけたというのだ。

 当然言い訳できるほどべんがたつわけではない。惣四郎はすぐに、その身を連れて行かれてしまったのである。


 数日後、惣四郎は先の馬淵嘉門と布施貞時に加え、さらに今回は三雲隆信みくもたかのぶという武将と共に村へと戻ってきた。


 嘉門は、又十郎に静かに語る。

 「又十郎、詳細については惣四郎より聞いている。理由はともあれ、武者狩むしゃがりは国の御法度ごはっと。その罪を犯したるものは、すべて死罪」

 彼はそう言いながら、又十郎に反論の機会を促す。


 又十郎は黙って嘉門の言葉を聞くと、一歩彼らに歩み寄り、ひときわ大きな声で言い放った。

 「こたびの所行しょぎょう、すべては拙者ひとりが考えしこと、村人はただそれに従ったまで。何卒なにとぞ、村人には寛大かんだいなご処置を!」

 これには馬淵嘉門ではなく布施貞時が答える。


 「ならん! 武士の骸を犯すとは言語道断ごんごどうだん。即刻全員この場にて打ち首じゃー」

 又十郎は布施貞時をにらみ付けると、うなるように言い放つ。


 「我らは、ただ落ち穂を拾っただけにございまする!」


 「落ち穂を?・・・」

 嘉門は又十郎に聞き返す。。

 又十郎はひとつ頷くと、さらに続けた。


 「さよう、我らは春に田のあぜき、苗を植えまする。夏には雨を願い風におびえます。そして、秋には稲穂を刈り、収穫に感謝しまする。これが、我ら平田の農民の姿なのです」

 又十郎は、その手に真っ黒なもみがらを掴むと、さらに言葉を繋げる。

 「馬淵様、これは焼けた稲穂でございます。農民はこれを食べるのです」

 嘉門は、又十郎が差し出した籾がらに手を伸ばす。


 又十郎は続けた。

 「武士は戦のために稲穂を焼きまする。半年かけて、やっと実った稲穂を焼きまする。我らは火の中で、必死にその稲穂を刈り、そして落ち穂を拾いまする。武士は田畑の落ち穂を拾うでしょうか?・・・」

 嘉門は、焼けた籾がらをその手の中ですりつぶした。


 「だからといって、落ち武者狩りをすることは・・・」

 又十郎は嘉門の言葉を遮る。

 「我らは狩ってはおりませぬ。ただ横たわる死人から頂戴ちょうだいするのでございまする。それは、我ら村人にとっては生きるため。落ち穂拾いと代わりはございませぬ」

 嘉門は、又十郎の言葉にしばしおもれを忘れた。


 又十郎は目を閉じながら、さらに嘉門に尋ねる。

 「馬淵様は何のために戦いまするか?」


 嘉門は首を横に向けると、こう答えた。

 「我ら武士は己の私欲しよくのために戦はせぬ。殿のために死ぬのみでござる」

 又十郎は真っ直ぐに彼を見つめると、目に力を込めてうったえるように答える。


 「我ら農民は死ねませぬ。我らはいつ何時も、生きるために戦っているのです。それがたとえ違法であったとしても、我らは生きねばならぬのです」

 嘉門は、それ以上言葉を交わすことはしなかった。


 そこに、三雲隆信が言葉を挟む。

 「かといって、我らもこれを見過ごすわけには参らんのじゃ。殿は、落ち武者狩りをせし者共をことごとく処分せよとのおおせなのじゃ」

 後ろでは、布施貞時が何やら大きな声で叫んでいる。

 「隆信殿、良いではないか、村人ひとり残らず首を切ってしまえば・・・」


 これには馬淵嘉門が横槍よこやりを入れる。

 「又十郎、そちは先程、こたびの所行はお主ひとりの仕業しわざであると申したな」

 「いかにも、拙者一人がなした事・・・」

 又十郎は嘉門の意図いとを察した。


 嘉門は又十郎に縄を打つと、居並ぶ農民達に大きな声で語りかける。

 「聞いての通り、こたびの所行は、すべてこの又十郎ひとりによるものである。よって、村の者には一切のおとがめ無しとする!」


 嘉門は村人達が騒ぎ立てる前に、それを制した。そうしなければ、又十郎の死が無駄になることを一番知っていたからである。

 さらに彼は、三雲隆信と布施貞時にくさびを打った。彼は手にした十文字の槍の石突きで地面をトンとひとつ叩くと二人を見回す。

 「三雲殿、布施殿、殿には拙者から申し開きを致しまするゆえ、この場はこれにて・・・」

 「馬淵殿がそう申されるならば、拙者異存いぞんはござらん」

 もともと三雲隆信は優柔不断ゆうじゅうふだんな男である。二つ返事で了解をする。

 布施貞時は何も言わずに馬のきびすを返すと、その場を後にした。

 

 嘉門は又十郎のために馬を用意させた。彼を馬にまたがらせると、その手綱たづな手繰たぐり寄せる。

 二人の馬に寄り添うように、大勢の村人たちが歩き始めた。

 村人らにも又十郎の気持ちが痛い程良く分かるからだ。その気持ちが分かるが故に、皆一言も語らずに、ただ黙って歩くのである。


 村はずれまで来ると、又十郎は嘉門に一礼し、空をあおぎながらつぶやく。

 「今年は稲穂がよう実った。彦二郎、来週には稲を刈り取るのじゃ。また、近々浅井が攻めてくるかもしれんからのう。惣四郎も、また見張りをたのんだぞ」

 彦二郎も惣四郎も声を出さずに泣いている。


 又十郎は続ける。

 「伝兵衛さん、弥右衛門さん、再び拙者が戻ってきたならば、その時は裏山を切り開き新しい畑を作りましょうぞ」

 伝兵衛はその場にひれ伏すと、又十郎の馬が見えなくなるまで頭を地面に付けた。

 弥右衛門はその傍らで泣き崩れた。


 一時いっとき後、嘉門らが宇曽うそ川に差し掛かった頃、彼は又十郎の縄をときながら尋ねた。

 「又十郎殿、最後にお名前をお明かし下され」

 又十郎は真っ直ぐに彼を見定めると、馬上で背筋をひとつ伸ばす。


 「拙者、今は無き美濃斉藤道三みのさいとうどうさんが家臣、柳井又十郎と申しまする」

 「その柳井殿が、また何故農民達と共に?・・・」

 嘉門は馬首を柳井又十郎のそれに合わせるように手綱を引く。

 

 「美濃長良川での合戦の後、拙者は東近江に落ち申した。そこで浅井の馬回りとして、この南近江に攻め入りましたが、その戦にて深手ふかでを負い動けずにいるところを・・・」

 「あの農民達に助けられた、と・・・」


 嘉門はひとつ大きくため息をついた。

 又十郎は言葉を続ける。

 「拙者は侍を捨て申した。何も作らず、何も生まない侍より、貧しくとも田畑を耕し米を作る百姓の方が、どれだけ素晴らしいか。そして、どれだけ美しいか・・・」


 嘉門はいつまでも、この又十郎と話をしていたいと思った。しかし、それは三雲隆信によってさえぎられた。

 「馬淵殿、この先は御城下ごじょうかでござるゆえ・・・」


 しかし、これとて隆信にしてみれば、精一杯のはからいでもあったのだ。

 「ところで隆信殿、布施殿は如何されたのか?」

 嘉門は、村を出たときから姿を見せぬ布施貞時の所在が気にかかっていた。

 「はて、そういえば拙者も見ておりませぬな」

 三雲隆信も知らぬと言う。


 嘉門は又十郎を馬から下ろすと、宇曽川の流れが見えるところへと彼を導く。

 「本来ならば、武士としての礼儀を尽くすところなれど・・・」

 「馬淵殿、貴公きこうの心遣い、まことに痛み入る」

 又十郎は、深々と頭を垂れた。

 「せめて、この馬淵嘉門、貴殿の介錯かいしゃくをさせていただきたく・・・」

 彼は、すでに目の前に座する又十郎に対し最後まで礼を尽くした。

 「それでは、御免!」

 

 それは秋の青空に、真っ赤な蜻蛉がいくつも張り付いているようにも見えた・・・


 それから嘉門は柳井又十郎の身体を戸板に乗せると、布で丁寧ていねいにおしくるませた。せめて身体だけでも村人らに返そうと思ったからである。

 彼は兵に荷車を曳かせると、今来た道を戻って行く。


 嘉門らが平田川に差し掛かったとき、にわかに前方の空が黒ずんでいくのが分かった。それは時間と共に、更に勢いを増していく。

 彼は咄嗟とっさに、それが稲穂の燃える黒煙であると悟った。


 「まさか、布施殿が・・・」

 彼は十文字槍を小脇に抱えると、馬を走りに走らせた。

 やがて、その目にも黄金色に輝く平田の稲田が、一面炎をあげて燃えている光景が飛び込んで来た。

 稲田へと続く道の向こうからは、三つ銀杏ぎんなん家紋かもんを掲げた騎馬の集団がやってくるのが見える。布施貞時の旗印はたじるしである。


 嘉門は馬首を貞時の前へと滑らせると、鬼の形相ぎょうそうで口を開く。

 「布施殿、よもや貴殿、村人らを・・・」

 言うが早いか、布施貞時はふところから一通の紙を取り出した。


 「馬淵殿、ひかえよ、殿のめいである」


 それでも嘉門は、今にもその十文字の槍で、貞時をひと刺ししそうなほどの勢いである。

 「布施殿、我ら、村人らと約束を交わしてではないか」

 「拙者は交わしてなどおらぬ」

 貞時は平然とした顔で、なおも続ける。

 

 「馬淵殿、殿は先刻せんこくご承知だったのじゃ。そなたが百姓共の命をてんと言うことを。だから、すべてを儂に任されたのじゃ」

 「ならば、何故今までそれを黙っていたのか?・・・」

 彼の槍は怒りでぶるぶると震えている。

 「拙者が話せば、貴殿は従ったと申されるか?」

 そう言うと、貞時は馬の踵を返して、嘉門の前を通り過ぎて行く。供回りの者もそれに続いた。


 嘉門は燃え上がる稲田を左に見ながら、さらに村への道を疾走しっそうする。


 村へと続くあぜに、惣四郎が倒れていた。

 「おいっ、しっかりせい!」

 抱き起こし、胸ぐらを引き寄せる嘉門。

 しかし、もう惣四郎の息は絶えていた。きっと、彼は又十郎に言われたとおり、ここまで見張りに来ていたのであろう。


 村の中に入ると、嘉門は自分の目を疑った。

 伝兵衛は裸のまま無造作に柿の木につるるされ、弥右衛門もその胴と首とはつながってはいなかった。

 子供らも例外ではない。孫助も六郎太も、又十郎からもらった竹光たけみつをだいじそうに抱えながら静かに息絶えている。その脇では、最後まで抵抗をしたのであろう、彦二郎が柱にくくり付けられたまま、矢で射抜いぬかれていた。


 村には動くものも、小さな命もひとつとして残ってはいない。

 嘉門はその場で、奇声とも雄叫おたけびともつかぬ怒号どごうをあげると、被っていた兜を炎の中へと放り投げた。


 「又十郎殿、すまぬ・・・」

 嘉門はひとり呟くと、いつしかそこから姿を消していた・・・



 それからほどなくして、東近江一帯は浅井に代わり、畿内きないに勢力を伸ばす織田信長おだのぶながによって支配されることとなる。

 それだけでは無い。一部南近江を統括とうかつしていた観音寺城の城主、六角義賢、義治親子も一戦すら交えることもなく、甲賀こうがへと落ち延びて行ったのである。

 最後まで、一千の兵と共に武士を貫き通した日野ひの城主、蒲生堅秀がもうかたひでもついには信長の軍門ぐんもんへと下ったのだ。


 その後、彦根近くの佐和山城には織田家の重臣、丹羽長秀にわながひでが新たな城主として入った。


 ところが、城を捨て、国を失ったはずの六角勢ではあったが、その一部はなおも落ち武者として信長軍に対してゲリラ戦を展開しているという。

 ここ佐和山城下も例外ではなく、百五十名ほどの武者が時折ときおり山から下りてきては、近くの米倉こめぐらや見張り所など織田兵の少ないところを襲っている。


 彼らは山に引き上げるとき、必ずそこに火を放つ。それは彼らの痕跡こんせきを残さないためでもあったが、むしろ彼らをたばねる男のくせでもあった。

 その男は、水牛の角立てのある兜を着けていた。そう、あの布施貞時である。


 貞時は先の戦で、箕作城みつくりじょうが信長の軍によって攻め落とされたときに、複数の兵と共に落ちのびていたのである。

 織田の兵は、彼らを「火つけ武者」と呼び恐れた。

 一方、丹羽長秀も黙って指をくわえて見ていたわけではない。落ち武者狩りの手勢てぜいを編制しては、幾度となく山狩りを行った。


 今回も兵二千を動員し、鍋尻山なべじりやまから高室山たかむろやま辺りに潜伏せんぷくする六角家の残党狩ざんとうがりを行うこととなった。

 丹羽長秀軍は軍勢を二手に分け、鍋尻山の東と西から山を包み込むように駆け登る。

 行き場を失った布施貞時率いる六角家の残党は、為すすべもなく討ち取られた。

 後には、いくつもの武者のむくろとむらわれることも無く横たわっている。


 四半時しはんときほどすると、山陰からは数十人の人影が現れた。

 彼らは一様に百姓の様相ようそうていしているが、それぞれの手には刀や槍、手製の弓などが握られている。

 そう、彼らもまた、落ち武者狩りをするやからである。それでも、彼らは織田の手の者ではない。

 そのほとんどが、もとは百姓やきこりといった者達であろう。中には彼らと同じ落ち武者であった者もいる。


 彼らは数人で集団を作り、落ち武者の居場所いばしょを掴んではその場所を教えたり、時には襲って首を取り、織田の陣に持っていくこともあった。もちろん、そこには幾らかの報酬ほうしゅうがあることは言うまでもない。


 しかし彼らもまた、命がけである。

 落ち武者を見つけても、逆に返り討ちにされることもあれば、せっかく討ち取った首を持参しても、同じ落ち武者の輩として斬首ざんしゅされることもしばしばあった。

 そんな彼らだからこそ、集団をまとめる者の器量きりょうによっては長生きもできれば、すぐに山の枯木の中に埋もれてしまうことにもなるのである。


 そんな彼らを束ねる男は、「多賀たがきつね」と呼ばれていた。もちろん、彼の本当の名を知る者などいない。


 男は転がる骸の中に、水牛の角の兜を着けた武者の姿を見つけた。男は手にした十文字の槍で、その武者の兜のひさしをあげる。

 「貞時殿・・・」

 男はそう呟くと、今はもう動かなくなったその瞳を静かに手で閉じた。

 

 

 時は流れ、天正てんしょう十年の春を迎えた。

 この時には、「多賀の狐」こと、その男が率いる野武士のぶしらは、その住処すみかを琵琶湖の南岸、草津つさつ太神山たなかみやま付近へと変えていた。

 織田勢の山狩りが厳しくなってきたと言うこともあったが、もうこの頃には佐和山付近の落ち武者はほとんど駆逐くちくされていたからである。


 男は野武士共を束ね、山科やましなから伏見ふしみにかけて、未だに潜伏せんぷくするという三好みよしの残党狩りをして生計せいけいを立てている。

 そんな折り、京より火急かきゅうの知らせがその男のもとにも届いた。


 『織田上総介かずさのすけ信長、京都本能寺ほんのうじにて明智日向守光秀あけちひゅうがのかみみつひで謀反むほんにより討ち取られる』のほうである。


 男は、十文字槍をひとつしごくと、静かに口を開いた。


 「さあ、落ち穂を拾いに参るぞ!」


 野武士達は太神山を下りると瀬田せた川を渡り、伏見へと向かう。そこに何があるというわけではない、ただ、その男の長年にわたる経験とかんがそうさせたのである。

 

 数日後、京に潜伏させている仲間より、信長を討ち取った明智光秀が、今度は摂津山崎せっつやまざきにて羽柴秀吉率いる軍勢に敗れたという知らせがもたらされた。

 その後、光秀軍は京の勝龍寺しょうりゅうじ城に入り、今は西近江の大津にある光秀が居城である坂本さかもと城を目指しているというのだ。


 男は横峰峠よこみねとうげを渡り、宝塚たからづか山の南側を通って醍醐寺だいごじを目指した。


 一方、秀吉軍に破れた明智勢も今ではちりぢりとなり、勝龍寺城を出たときは、光秀に追従ついじゅうした騎馬も二十騎を数えるばかりとなっていた。

 光秀の家臣、斉藤利三さいとうとしみつは光秀に馬首うまくびを合わせながら呟く。


 「殿、一旦いったん坂本へ退きましたる後、必ずや再起さいきをはかりましょうぞ。これより、我ら醍醐寺を通り、行者ヶ森ぎょうじゃがもりを抜け、大津へと向かいまする」

 馬上の光秀は真っ直ぐ前を向いたまま、静かに言葉をつなぐ。

 「もうよい。すべては夢であったのかもしれぬな・・・」と、その時、竹藪の中からきらめくものが・・・


 光秀は右脇腹わきばらに熱いものを感じた。

 見ると、やぶを分けるように伸びた一本の槍が光秀の甲冑をつらぬいている。咄嗟とっさに脇差しでその十文字の槍を返そうとしたが、その刀はくうを切り、光秀は馬上より転げ落ちた。

 竹藪のそこここでも、刃が組み合う音と怒号が聞こえる。


 しばらくすると、いくつか生をむさぼるうめき声を残し、竹藪にはまた元のような静寂せいじゃくの時が戻った。

 深手ふかでを負った明智光秀は、ついに坂本城までたどり着くことはなかった。自らの手で自害して果てたというのだ。

 

 後世こうせいの歴史では、『山崎の合戦で敗れた明智光秀は、山科小栗栖おぐるすの竹藪にて落ち武者狩りの土民どみんに襲われた』とあるが、はたしてそうだったのであろうか?


 ましてやその土民の中に、長柄の十文字槍を持った男がいたことなど、何処にも記されてはいない・・・

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戦国史短編集 鯊太郎 @hazetarou1961

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