第13話 立勝り(たちすぐり)

 天正九年九月、先の織田信雄のぶかつによる『第一次天正伊賀の乱』より二年、再び織田信長は伊賀の地にその兵を進めた。

 その数五万。

 此度こたびは織田信雄を総大将に、滝川一益、丹羽長秀、蒲生氏郷がもううじさと筒井順慶つついじゅんけいらを率いた織田家屈指の精鋭部隊である。

 対する伊賀方の守りは、比自山ひじやま城と平楽寺とを中心に複数の城へと分散し、それぞれ非戦闘員も含めた形での籠城ろうじょう戦で挑んだ。

 

 そんな中、一之宮城をあずかる森田浄雲じょううんに密命を受けた二人の若者がいた。

 二人とも人に名乗る名など持ち合わせているわけではない。普段は田畑を耕し、また忍びの技の鍛錬にも汗を流している。それでも村の皆は、背丈のある男の方を竹と呼び、小太りの方をうずらと呼んでいた。

 そう言う意味でも彼ら二人は、すなわち忍者の端くれと言っても良い。


 ただ世間一般で言われるような技を拾得しているわけでもなく、この時も浄雲は夜討ちに任せて二人を敵陣へと忍ばせ、敵の後方攪乱かくらんを目的とさせたのである。



 夜、玉滝口たまたきぐちより伊賀国へと侵入してきた蒲生氏郷隊は、瀬下せしもの河原で野営を敷いていた。そこへ池直帯刀ちなたてわき率いる伊賀衆三百は音も立てずにと向かっていた。

 その中には、あの竹と鶉の二人の姿もある。

 瀬下の河原は当然伊賀の者にとっては土地勘もあり、それにも増してこの者達は夜目よめも利く。繁る木々と川の中を二手に分かれて、音もなく氏郷の陣へと迫って行くのである。


 火薬を使う者達は、山間を忍んで近づく。彼らの懐には焙烙玉ほうらくだまと呼ばれる武器が二つ抱えられている。

 焙烙玉とは半球をした陶器に火薬を入れ、その二つを合わせて球形としたものである。

 使うときはそれから伸びた導火線に火を点けて敵方に投げ込むという、いわば現代で言うところの手榴弾しゅりゅうだんのような武器である。

 他に殺傷能力を高めるため火薬のと共に金属片を入れたり、また家屋などに用いるときはその引火性を利用することもあった。こちらは、まさに現代の焼夷弾しょういだんとも言えよう。


 いっぽう、川の中を進む者は皆、その手に一尺五寸の竹筒を握っている。

 川の中でそれは、シュノーケルの役割を果たし、陸上へと上がった後は吹き矢へと変身するのである。

 伊賀衆はなおも氏郷の陣中奥深くへと忍んで行った。


 子の刻、ちょうど見張りの者が交代する時を狙って、彼らは一斉に攻撃を仕掛けた。

 しかしそれは武将達が敵陣へと攻め込むそれとは大きく違っていた。伊賀衆はときの声を上げることもなく、一人また一人と織田方の兵を殺していくのである。

 乾いた空気を切り裂くようにと、吹き矢から放たれた毒矢が兵の喉元へと刺さる。兵は一言も発することなく、その場へと倒れることになる。

 それでも、伊賀衆が氏郷の本陣近くまで差し掛かったとき、物見の兵にと気付かれてしまった。

 

 「敵じゃーっ、敵がおるぞーっ!」

 その言葉に、蒲生氏郷の陣はまさに蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。同時に氏郷が幔幕まんまくの中で次々と指示を与える。


 「まずは陣形を整えよ! 手のある者は槍を持って本陣の周りを固めるのじゃ」

 しかしその声も、続いて到着した伊賀衆の攻撃によって打ち消されることとなる。例の焙烙玉である。

 槍襖を作ろうと一カ所に集中した兵の中へとそれが投げ込まれると、それは一気に炸裂した。後には、幾人もの兵が一瞬で動かぬ肉の塊とかたまり化するのである。


 竹も鶉も身体を闇にと紛れ込ませては、織田の兵の中へとそれを放り込んだ。ドンッという爆発の後、またもや複数の兵が木っ端のようにと舞い上がる。

 それでも、ひと思いに死ねた兵はまだ良い方かも知れない。火薬に仕込まれた金属片によって顔の半分を吹き飛ばされた者や肘から先を失った者などは、これから襲ってくるであろう永遠の痛みと向かい合わなければならないのだ。


 半時もしないうちに、蒲生氏郷の陣は悲鳴と痛みに耐えかねる奇声とでごった返すことになった。

 氏郷とて、その中を何処をどう退却したのかさへ分からない。

 気が付くと、数人の武将と共に燃えさかる炎の中を後方に陣取る脇坂安治わきさかやすはるの元へと向かっていたのである。


 いっぽう、伊賀衆は散々氏郷の陣中を駆け抜けると、朝までには瀬下の河原より一人残らずにその姿を消し去っていた。ただし、あの二人を除いては・・・


 森田浄雲に密命を受けた竹と鶉の二人は、夜襲にて生き残った数少ないの兵と共に氏郷の後を追うようにと、また暗闇を歩き始めたのである・・・



 次の朝、二人は脇坂安治の陣中にいた。

 氏郷の陣から戻った彼らは、一様に平坦な広場へと座らされている。それでもすぐに、水と暖かい握り飯とが振る舞われた。


 「竹、何とか潜り込めたのう」

 鶉が、握り飯を頬張りながらこちらを見る。

 「しゃべるでないわ・・・」

 竹は目だけで鶉を睨むと、彼に背中を向けた。


 それでも、確かに第一段階としてはうまくいったに違いない。

 (だがしかし、これからが如何にするかじゃ)

 竹はそう心に自問しながら、竹筒の水を少しだけ口にする。


 彼らに飯が振る舞われてから半時も経ったであろうか、脇坂安治の副将でもある木谷忠正きたにただまさが現れた。

 忠正は武勇よりも知略に長けた武将である。

 彼はひとり一人に声を掛けるよう見回ると、大きく二つ手を叩いた。


 その様子に、織田の兵達は皆一様に彼の方へと顔を向ける。もちろん、竹と鶉もそれにならう。


 「よう戻って来たな。これよりはしばらくの間、後方にて骨休めなどして参られよ」

 そう言いながら、また二つ手を叩く。


 竹は周りにいる織田方の様子を伺った。

 (はて、誰一人として喜んでいる顔をしている者がおらんが?・・・)


 竹が少しの違和感を感じていたその時、またしても忠正は大きくその手を二つ合わせた。


 「では参るぞ。立ちませい!」


 同時に兵達はそれぞれの得物えものを掴むと、片膝を立て立ち上がろうとする。もちろん、竹と鶉もそれを真似て立ち上がる。

 が、次の瞬間、竹の前にいた男が静かに座った。

 (んっ? おかしい・・・)

 彼の持つ違和感が、竹にもその男と同じ動きをさせた。


 目玉だけ動かすと、周りの兵達も既に皆座っている。


 (しまった! 立勝たちすぐりか・・・)


 立勝りとは、戦乱の中で大勢の兵の中から敵方の間者かんじゃを見つけるための方法で、二つ手を叩いたのも、織田の兵だけが知り得る約束事であったわけである。当然、それを知らない敵方の者は、言われるままの行動をとってしまうと言うことになるわけだ。

 この時も、忠正は同じように立勝りを仕掛けてきたのである。

 竹はそう思うと同時に、背中にある鶉の気配を伺う。


 立っている・・・

 彼を含め、二人の者が乾いた顔で立ちつくしている。


 (馬鹿な!・・・)

 竹の顔から血の色が引いていく。

 しかし、それは立ちつくす二人にとっても同じことといえる。二人は今にも泣きそうな顔をして、しゃがんでいる兵達の頭だけを見回した。

 当然彼らにもこの状況が、次に何を意味するかなど簡単に分かるからだ。


 (竹、竹・・・)

 背中を向けた竹にも、鶉の心の声が痛いほどに聞こえる。


 「ほう、お前達は正直者じゃのう。言われた通りに立っておるか・・・」

 忠正の言葉に、座って居る者達は一様に冷ややかな笑みを浮かべる。つまりは、「引っかかったな!」とでも言いたいのであろう。


 竹の横にいた一人が、おもむろに立ち上がると、鶉のほおをひとつ小突いた。

 これを合図に二人に対して、何人もの兵達が殴り付け、そして罵声ばせいを浴びせる。これをひどい仕打ちと見る者もいるであろう。しかし、この行為には明らかな意味があるのだ。

 忠正はこの二人に手を挙げぬ、別の兵達を観察しているのである。つまりは、運良く立勝りを掻い潜った敵のスパイに対し、自分の味方に仕打ちを強要させることで新たな間者を見つけ出そうというのだ。


 竹の背中越しに鶉がなぶられる音が聞こえる。

 下を向き、身体が動かない竹。


 急に彼の背中に小突かれた鶉がぶつかって来た。竹の首筋には彼の鼻血が冷たく付いた。

 「竹、何をしておる。早く殴らんか・・・」

 当然、周りの者には聞こえないようにと鶉がささやく。

 振り向く竹。


 (鶉・・・)

 心の中、大声で叫ぶ。 


 (お前もばれてしまうであろうが・・・)

 鶉の心の叫びが聞こえる。


 立ち上がり、鶉の胸ぐらを掴む竹。そこには半分顔が変形した鶉が立っている。

 (竹、早よう殴れ!・・・)

 確かに、鶉の目がそううったえている。

 竹は鶉のその頬を思い切り叩いた。地べたへと倒れた鶉は、そのまま気を失った。


 「もう良い、二人ともろうに入れておけ」

 忠正の言葉に、ボロボロとなった二人は引きずられるようにと連れて行かれる。

 何人かの兵が、口々に二人を殺せとののしっている。つい先程まで、自分達の仲間が同じ目に合っていたのであるからそれも仕方がない。

 忠正はそれを察したのか、不敵に笑いがなら兵達に告げる。


 「あの者達には、もう少し聞くことがあるのでなあ。殺すのはそれからでも遅くはないであろう」

 これが何を意味するのかは兵達にも分かっている。

 必要な情報を得るために散々拷問ごうもんを加えた後に、虫けらの様にと殺されるのである。それが分かっているだけに、もうこれ以上兵達の中で口を挟む者はいなかった。



 夜、鶉が捕らわれている牢の近くに、忍び寄るひとつの黒い影がある。

 竹である。

 彼は牢番の風上に身体を置くと、何やらこうのようなものに火を点けた。臭いのない煙は緩やかな風に乗って、牢内へと伝わっていく。


 「んっ?・・・」

 牢番がそれに気付く間もなく、そこへ腰を抜かすようにとへたり込む。

 「おい、どうした?・・・」

 しかし当然、この牢番も折り重なるようにとそこへと倒れた。


 竹は暗がりの中から半分だけ身体を現すと、牢の一つひとつを目だけで確認する。


 「竹か?・・・」

 鶉が声にする。もちろんそれは、そこに他の者がいたとしても、到底聞こえるような音ではない。

 竹はなお黙ったまま、静かに全身を現した。


 「鶉・・・」

 やはりこの声も、聞こえるわけではない。


 牢の中の彼は水で濡らした布を鼻にあてがいながら、格子で仕切られた部屋のほぼ中央に胡座あぐらをかいている。ここで下手に動けば、他の牢番に気付かれる恐れがあることを知っているからだ。

 それに鶉には、仲間の竹が危険を冒してまで自分を助けに来たのではないということも分かっている。

 つまりは、たとえ牢より鶉を助け出すことができたとしても、脇坂安治の陣からは抜け出すことは到底不可能であろう。結局次の日には、二人とも織田の兵によって捕われてしまうということを十分理解していたからである。


 一瞬だけ目と目を合わせる二人。


 (鶉・・・)

 (竹・・・)


 おそらく二人には、これだけで十分なのであろう。

 竹はふところから笹の葉にくるまれた小さな包みを取り出すと、それを鶉のそばへと放った。包みの中身は鳥兜とりかぶと(毒)である。


 たぶんこれから始まる拷問に、鶉は耐えられないであろう。また耐えようとしても、それは彼にとって想像もできない苦痛との戦いとなるわけである。

 彼にもその包みの意味は十分に分かっている。


 鶉は震える手でそれを握ると、笹の葉ごと口の中へと押し込んだ。そして、一気に飲み込む。


 次第に顔面からは、血の気が引いていくのが分かる。背中の、ちょうど首の付け根辺りがピクピクと痙攣けいれんし始める。

 「ぶうっ!・・・」

 突然、鶉は腹中の全てのものが逆流してくるような吐き気に襲われた。

 彼はそれを吐き出すまいと必死に手で覆ったが、酸性を帯びた吐瀉物としゃぶつが指の間から容赦ようしゃなく溢れ出る。

 鶉は竹の方を振り返った。

 

 しかし、もうそこには竹の姿は無い。

 それでも、鶉は少しも悲しいという気持ちにはならなかった。むしろまったく逆の感情である。

 彼は前のめりにひたいを床に着くと、遠ざかる意識の中で微笑んだ。


 (竹・・・ すまぬ、竹・・・)

 間もなくひとつ大きな痙攣の後、鶉は静かに呼吸することをやめた。



 次の日の午後、もう一人取り押さえられていた間者が兵達の前で首をねられた。見せしめのためである。

 その者の顔は既にていを成してはおらず、打ち首の際も脚は折れ曲がり、自ら座ることもできないほどであった。

 (鶉・・・)

 竹はその者と重ねるように、彼の名を心の中で叫んだ。


 処刑の後、侍大将の脇坂安治が兵を前に、鬨の声を上げた。兵達もその声に続くよう、拳を突き上げる。

 「えい、えい、おーっ!」

 「えい、えい、おーっ!」

 

 もちろんその中には、あの竹の姿もある。


 何故かって?・・・

 彼が迎える本当のいくさはたった今、始まったばかりだからである・・・

 

 

 

 

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