第7話 丁髷塚

 その年、この薩摩さつまの地にも秀吉が関白かんぱくとなったという知らせがもたらされた。

 島津藩しまづはんの当主、島津義久よしひさは家臣一同を彼の居城であるうち城へと集める。

 この時、義久は九州統一に向けて、まさにその力を知らしめているところであり、残すは大友宗麟おおともそうりんが所領の筑前ちくぜん豊後ぶんごのみとなっていた。


 その宗麟が、時の権力者である豊臣秀吉に援軍を申し出たというのである。当然、秀吉から義久に宛てられた書状には、戦の即時中止と島津家の領土拡大の危惧きぐが記されている。


 義久は家臣の前に、秀吉から届いた書状を投げ捨てるようにと放った。

 「こたびは、都の猿が豊前ぶぜんに来るそうじゃ」

 義久は秀吉を「都の猿」と言い放つ。


 これまでにも、島津義久は秀吉からの忠告を無視して、筑前や豊後に兵を送り続けている。つい数ヶ月前にも、仙石久秀せんごくひさひで軍監ぐんかんとした、総勢六千余の豊臣とよとみ連合軍の先遣隊せんけんたいが九州に上陸したが、島津家久いえひさ率いる島津勢によって迎え撃ったばかりである。

 この戦で、豊臣軍は数千に登る兵を失ったばかりか、長宗我部信親ちょうそがべのぶちか十河存保そごうまさやすまでもが討死うちじにするというき目を見たのであった。


 ことの重大さを悟った秀吉は、明けた天正てんしょう十五年、豊臣軍二十万余の勢力を持って、ここ九州豊前に到着したのである。

 島津側でも、こたびの戦を巡っては、たちまち場内の意見は二つに分かれた。つまり、この未曾有みぞううの大群を前に一戦を交えるのか、それとも恭順きょうじゅんの意を示すべきかと。


 そんな中、大半が抗戦すべしという方向でまとまりかけた中、伊集院忠棟いじゅういんただむねだけは秀吉との和睦わぼくを強く主張した。

 それは島津家中にあって、忠棟が他の誰よりも秀吉の恐ろしさを知っていたからでもある。


 ところが評定ひょうじょうの末、結論は交戦と決まった。

 忠棟は最後まで戦うことのいなを説いたが、義久をはじめとする島津の重臣を動かすことには至らなかった。

 しかしてここに、「九州のえき」が始まったのである。



 義久と義弘が率いる島津軍は、二万余の精鋭軍をもって豊臣秀長の陣を根白坂ねじろざかにて攻撃した。

 この時、左に位置した北郷時久ほんごうときひさの突撃の声を合図に、右翼うよくを任されていた伊集院忠棟が進軍する手はずであった。しかし、忠棟は聞こえなかったという理由で全く進軍しなかったのである。


 結果、北郷勢からは多数の死傷者が出て総崩そうくずれとなり、島津軍は退却を余儀よぎなくされた。

 これが最後まで尾を引いたのか、結局その後、島津軍は秀吉軍にと敗れたのである。


 ところが敗戦後、島津家は取り潰しになることはなかった。

 島津義久は豊臣方の石田三成いしだみつなりらの取り成しもあり、謝罪することが出来たのである。

 取り潰しにはならなかったものの、島津家の中には様々な遺恨いこんが残ることとなる。北郷時久の伊集院忠棟に対する感情も、そのひとつである。

 多くの兵を失った時久にとってみれば当然なことかも知れないが、この時の彼には、忠棟が何故最後まで兵を動かさずにいたかと言うことまで知るすべはなかった。


 つい先日も、憤懣ふんまんやりきれぬ時久は、城中じょうちゅうで忠棟を呼び止めた。


 「おやおや忠棟殿、このようなところにおいでか。貴殿きでん薩摩さつまよりも、一刻も早く大坂おおざか城へ参らなくてもよろしいのか?」

 「・・・・・」


 「薩摩を屈服させた褒美ほうび、さぞや大層なものでしょうなあ・・・」

 「・・・・・」


 「忠棟殿、武士とはいつ何時も、偽らざる心を持ちたいものですな」

 「・・・・・」

 忠棟は何も答えず、深く一礼する。


 城内では、すなわちこたびの合戦における忠棟の所行しょぎょうが問題となった。評定での決定事項に背いたのであるから当然である。

 家臣の中には、忠棟のことを豊臣方の回し者ではないかと、陰口かげぐちを叩く者さえいる。

 いっぽう、当の忠棟は敗戦後いち早く剃髪ていはつをすると、秀吉に対し恭順きょうじゅんの意を示していた。

 このようなことまでもが、またしても彼を窮地きゅうちに追い込む恰好かっこうの材料となっていったのである。


 忠棟は、豊臣方の石田三成と共に、まさに東奔西走とうほんせいそうの思いで、島津家の存続に力を尽くしていた。

 しかし、今の島津家にとっては、そんな忠棟の姿はむしろ潔しとしない武士の姿にしか映らなかったのであろう。

 そんな中、今回の出来事が起こったのである。



 もともと伊集院忠棟は、寺などに相当の寄進きしんを行うほどの熱心な一向宗門徒いっこうしゅうもんとでもある。

 彼が以前、石山本願寺いしやまほんがんじ参詣さんけいに出向いたとき、寺の住職に無理を言って親鸞聖人しんらんしょうにんが作ったという木像を手に入れた。

 忠棟は、その木像の為のやしろを建てさせ、朝な夕なに参拝することを常とした。

 しかし、この社の木像が、ある日忽然こつぜんとその姿を消してしまったのである。


 さっそく忠棟は家臣達に捜索をはじめさせた。

 見聞きした者の話によると、木像が紛失したのは昨日の夜半から明け方にかけてで、その時分、寺の近くを三~四人の若侍がうろついていたという。

 さらに、その中のひとりは、丸にひと引両ひきりょう家紋かもんを付けていたというのだ。


 忠棟の家臣、川上信之かわかみのぶゆきはすぐに心当たりの者を口にした。

 「丸に一つ引両の家紋といえば、城中では鎌田政臣かまたまさおみ殿ではないか」

 「鎌田殿と申せば、北郷時久ほんごうときひさ殿のところの若侍のことであろう」

 別の家臣が続く。

 「殿、おそらくこれは、北郷時久殿が我らにうらみを抱いて、家臣の若侍に盗ませたに違いありません」

 信之の確信したかのような物言いに対して、伊集院忠棟いじゅういんただむね眉間みけんしわを寄せながら静かに答える。


 「信之、滅多めったなことを言うではない。それに、仮にもしそうだとして、お主達は何とする気じゃ?」

 「北郷殿の屋敷に踏み込みまする!」

 「踏み込んで何とする?」

 「木像を取り返して参りまする」


 「もし万が一、そこに木像がなかったら何とする?」

 「この川上信之、その場で腹おば掻っ切ってみせまする」


 忠棟は信之の肩にそっと手をかけた。

 「もしその様なことになれば、この儂は木像だけではなく、大切な家臣までをも亡くすことになるではないか」

 これを聞いた信之は、その場に泣き崩れた。


 それから数日後、今度は北郷時久がきもを冷やすこととなった。その日、時久は城から戻ると、珍しく馬の遠乗りへと出掛けた。

 若侍達が共をすることになり、家臣の佐多有光さたありみつ上原直衛うえはらなおえ東郷国兼とうごうくにかね、そして鎌田政臣が名乗りをあげる。

 時久らはしばらく東へと走ると、伊集院忠棟が治めている郡境近くにある小高い丘の上へと達したのである。


 ここで家臣のひとり、東郷国兼が口火を切った。

 「殿、ここだけの話でございますが、我ら四人、先のいくさかたきを討って参りました」

 佐多有光が続いた。

 「左様、今頃伊集院殿も、さぞや驚いていることでしょうや」


 「戦の仇? 伊集院殿が?・・・」

 時久は馬首を返すと、彼らと対面する形となる。


 四人の中では一番年の若い上原直衛が笑みを浮かべながら得意そうに語りだした。

 「我らは伊集院家のやしろから、伊集院殿が大切にしているという親鸞聖人の木像を頂戴して参ったのでございます」

 「親鸞聖人の木像?・・・」

 「左様です、あの伊集院殿が朝な夕なにと参拝するという、あの木像です!」

 直衛の白い頬が次第に赤みを帯びてくる。


 「すると、お前達は伊集院殿の社から、忠棟殿の木像を拝借はいしゃくしてきたというのだな」

 今度は、見る見る時久の浅黒い顔が赤らんでいくのが分かる。

 これに気付いたのか、一番年上の鎌田政臣が口を挟んだ。


 「殿、先に法を破ったは伊集院殿の方にございまする。その為、お味方は多大な犠牲を被ったは明らかなこと。我らはその仇を・・・」


 「馬鹿な・・・」

 時久は天をあおいで、拳を一つ彼のひたいに打ち付ける。

 「馬鹿な・・・」

 声にもならない声で、もう一度呟いた。



 屋敷に戻るなり、時久は政臣らを自室へと呼んだ。そのかたわらには、あの木像が置かれている。あらかじめ上原直衛に運ばせておいたのである。

 時久はしばらく目を閉じたまま、身じろぎひとつしない。


 最初に口を開いたのは、鎌田政臣である。

 「殿、我らは戦で死んだ仲間の仇をと思うて・・・」

 「政臣、こたびのこと、伊集院殿は大殿に知らせていると思うか?」

 時久は重い口を開いた。


 これには国兼が答える。

 「伊集院屋敷の慌ただしさからいたしますると、おそらくは昨日のうちに大殿のお耳には届いているかと」

 「では、そち達はこの始末、何とする?」

 「・・・・・」


 「窃盗を行いし武士は死罪しざい下手へたをすれば、北郷の家も取り潰しじゃ」

 「しかし、まだ伊集院殿は、我らが盗みしことを存じてはおりませぬ」

 有光はすがるような目で時久を見る。

 「武士とはいつ何時も、偽らざる心を持たなければならぬものじゃ」


 「殿、申し訳御座いませぬ」

 直衛は涙を流しながら肩を振るわせた。

 時久は下男げなん目配めくばせをすると、静かに語りはじめる。

 「我らはこれより、伊集院殿の屋敷に向かう。もちろん、木像もお返しするのだ。その上で、伊集院殿の目の前でそち達は腹を切れ・・・」


 見ると、彼らの目の前には白い死装束しにしょうぞくが用意されている。

 もう、誰ひとり何も語ろうとはしなかった。


 北郷屋敷から伊集院忠棟の屋敷へと、馬に乗る死装束の一行が向かう。その先頭には正装の北郷時久が真っ直ぐ前を見つめて手綱を握る。


 忠棟の屋敷に着くと、時久は馬を下り忠棟の前へと歩を進めた。隣には下男が、例の木像を紫の布に包んでたずさえている。

 鎌田政臣ら四人も、すでに地面に正座をして浅く頭を垂れている。

 忠棟の家臣達は、それぞれ手に鎗刀そうとうを携えては、遠巻きにしてことの行方を固唾かたずを飲んで見守っている。


 時久は片膝を着くと、深く一礼した。

 「こたびの所行しょぎょう、ご覧の通り。この者共のご処分は、すべて伊集院殿にお任せいたす」

 時久は再び深く頭を下げた。


 忠棟は川上信之に、死装束のまま土下座をしている四人の若侍を、屋敷の内へ連れていくようにと指示をする。

 「時久殿、貴殿きでんの武士としての心根こころね、この忠棟感服仕かんぷくつかまつる」

 時久は未だに頭を上げようとはしない。


 「忠棟殿、無理を承知でひとつお願いがあり申す。あの者達の所行、すべては拙者にも非があること。出来ればこの老臣に免じて、せめて武士らしい死に方を与えてやってはもらえまいか・・・」

 その為に、時久は彼らに死装束を着させて来たのである。

 忠棟は言葉で答える代わりに、時久に対して深く一礼を返す。


 帰り際、忠棟は時久の背中に小さく呟いた。

 「時久殿、こたびの件、未だ大殿の耳には一切届いてはござらぬ」

 時久は振り向かぬまま、軽く頭を傾けた。



 屋敷の中に案内された四人は、畳のある広間へと移された。

 すでに彼らの覚悟は出来ているのであろう、伊集院忠棟が広間へと入ると、四人は深々と頭を下げる。


 悔しい気持ちややりきれない思いもあったであろう。しかし、それは北郷の屋敷を出る時にすべて置いてきている。むしろ四人は、すがすがしいような顔つきをしている。

 それは、一瞬だけでもこの忠棟の肝を潰すようなことをやってのけたという達成感からなのかも知れない。はたまた、先の戦で散った戦友をともらうことができたという満足感からなのかも知れなかった。


 忠棟は死装束の若者を前に、静かに語りだす。

 「お主達の気持ち、この忠棟痛いほど分かる。しかし、このまま帰したのでは時久殿も納得いたすまい」


 忠棟は自分の腰から脇差わきざしを抜くと、それを鎌田政臣かまたまさおみの目の前に差し出した。

 「お主をこれからる。よいか」

 「ははっ、ご存分に」

 政臣は背筋を伸ばすと、軽く目を閉じる。


 「では、この刀でそちのまげを、自分で斬り落とされよ」

 「・・・・・」

 政臣は忠棟を見上げる。

 「髷は武士にとって命も同然、その命をいただくことにいたす」

 忠棟はそう言うと、その脇差しを手渡した。


 これには家臣の川上信之が異を唱えようとしたが、忠棟はこれを許さなかった。


 鎌田政臣は髷を切り取ると、それを白い紙の上へと置いた。それに続くように、残りの三人もそれぞれ自分の髷を切り離す。

 忠棟はそれぞれの髷を紙縒こよりで結ぶと、それをひのき三方さんぽうにと乗せた。

 「お主らの命、この忠棟が確かにもらい受けた」


 鎌田政臣ら四人は、その日の夜半に北郷時久の屋敷へと戻された。闇夜に紛れての移動であったため、誰もそのことを知る者はいない。

 これも、忠棟の計らいであったことは言うまでもないことである。


 時久はこの経緯を政臣から聞くと、その場で、伊集院屋敷の方角に向け手を合わせ、しばしの間その首を深く垂れた。


 それからも、島津家中における伊集院忠棟の立場は薄氷はくひょうを踏むようなものであった。

 ただ不思議なことに、そんな中ひとりだけ、北郷時久は常に中立の立場をつらぬき通した。


 

 半年後、北郷時久が郡を境にする伊集院忠棟の屋敷を訪れようとした時のことである。 

 彼は街道の脇に、人の背丈せたけほどの大きさの石碑せきひが建っているのを見つけた。石の様子からしても、それはまだ新しい。

 その石碑には次のように刻まれていた。


 『丁髷塚ちょんまげづか ここに忠義を通した武士の髷をほうむる』


 「忠棟殿・・・」

 時久は目頭めがしらを軽く指で摘むと、鼻をひとつすする。彼はきびすを返すや、今来た道をまたひとり戻って行った。

 

 それから間もなくして、島津家には豊臣秀吉より薩摩と大隅おおすみ、そして日向ひゅうがの一部の所領しょりょう安堵あんどするとの知らせが届いた・・・

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