第4話 物見櫓の弥彦

 昔、出雲いずもには尼子あまご氏の本城である月山富田がっさんとんだ城中心に、出雲の十旗と呼ばれる支城がその周りを囲んでいた。

 斐伊ひい川沿いに建つ三刀屋さんとうや城もそのひとつで、城主は三刀屋久扶みとやひさすけが勤めている。


 久扶は、戦国の武将にあっては大変日和見的ひよりみな男である。と言ってもこの時代、それはけっして特別なことではない。

 むしろ、一族の安寧あんねいを心から願うという意味では、彼は世渡りに長けた武将であるとも言えるだろう。


 当初久扶はひさすけ、主君尼子晴久あまごはるひさに従って毛利元就もうりもとなりの拠る吉田郡山こうりやま城攻めにも参加したが、晴久が陶隆房すえたかふさ率いる大内軍の援兵に敗れ出雲へと撤退するのを知ると、さっそく宍道しんじ氏らと共に大内氏側へと寝返っている。

 その後はいったん尼子氏側に戻るも、晴久の急死に伴い動揺した尼子側の隙をついた毛利方の勢いを察知するや、今度は三沢為清みさわためきよ赤穴盛清あかなもりきよらと共に、安芸あきの毛利氏に寝返る早業を見せたのである。


 そのうえ、三刀屋久扶はたいへん警戒心が強かった。そう言えば聞こえも良いのだが、ようは、武将にあっては多少臆病すぎるところがあるともいえた。


 そんな久扶は、三刀屋城を望む斐伊ひい川沿いの各所に、物見櫓をものみやぐら幾本も建てさせた。

 はじめそれは、川の上流にあたる安芸毛利氏を警戒するために建てられていたが、今では、下流の尼子氏側へとところを変えている。



 城平山じょうへいざんの麓にも一本の物見櫓が建っていた。

 この城平山の櫓は、三刀屋城からは一番遠い所にあり、逆を言うならば尼子氏側から見ると一番手前に建っていることになる。

 櫓と言っても城にあるようなものではない。

 太い欅のけやき丸太を主柱とし、その周りを四方より杉の柱が囲んでいるだけのものである。


 五間ほどの高さのところに幾本かのはりが渡され、その梁と垂直に平板が施されている。形だけで言うならば、現在の火の見櫓を思い浮かべればよい。

 見晴台には半間ほどの高さの囲いが周囲を巡っているが、下から見る限り以外と中の様子は伺えない作りになっている。

 そして、その中央には雨避けようの屋根が申し訳なさそうそうに付いていた。


 これらの物見櫓には三人の兵が常駐しており、二日おきに次の兵達と交替する仕組みになっていた。

 櫓を守る兵の内、ひとりは敵の動静どうせいをその目で探る物見役の者で、あとの二人は櫓を警護するための弓の射手である。


 そもそも物見櫓の役目は、当然敵の動きやその数をいち早く確認し、味方の城に伝えるというものであるのだ。

 櫓の上では狼煙のろしを上げることもあるが、たいていは三人うちの誰かが櫓を下りて味方の城まで知らせに行くことになる。

 しかし、味方の援軍が早く来ればよいのだが、下手をすると櫓を敵に取り囲まれることにもなりかねない。

 そうなると、櫓の兵にとっては、まさに生き地獄となってしまう。

 大抵の場合、櫓を切り倒されるか、下に薪藁まきわらをしいて火を点けられてしまうかである。

 まあ、いずれにしてもただでは済まないのが、この物見櫓の役目といえた。

 だから、その役に当たる兵は、ほとんどが戦経験の少ない若者か、妻子を持たない独り者であることが多かった。

 かく言うこの城平山の物見櫓も、三人の若い兵が見張りを任されていたのである・・・



 「何か見えるか、弥彦やひこ?」

 弓を小脇に担いだ、射手の茂吉もきちが尋ねる。


 「まだ何も見えねえ・・・」

 弥彦は櫓の東、赤川あかがわから伸びる山の一点を見つめている。


 「尼子の殿様は、本当に攻めて来るんだろうか?・・・」

 太助が不安そうに呟いた。彼はもうひとりの射手である。

 弥彦はそれには答えず、まだ山肌をじっと見つめている。

 「どうも、山の木が騒いでいるように思えるんだが・・・」

 弥彦は、櫓の手すりから更に顔を前に出した・・・


 弥彦は、本名を秋上あきがみ弥彦という。

 物見役の弥彦の視力は人並みはずれていた。半里先の人の顔が見分けられると言うのだ。


 以前、城の天守にある鬼瓦に書かれた「じん」の文字を呼んだことから、三刀屋久扶にその才能を認められ、物見役へと任じられたのである。

 彼はまた、頭の回転でも並はずれたところがあった。

 まさに、一を聞いて十を知るという言葉は、彼のためにあると言っても過言ではなかった。

 そんな弥彦が、昨日から盛んに城平山の南東の尾根を気にしている。


 「どうじゃ、弥彦?」

 茂吉も弥彦に寄り添うようにして、山を眺める。

 「尼子のお殿様は、きっと寝返った俺達を怒っていなさるのだろうなあ」

 太助は相も変わらず、答えのない愚痴ぐちをこぼしている。

 と、その時、弥彦はその目を大きく見開いた。


 「う、動いた。今、山から赤川にかかる林の中で、確かに何かが動いたぞ・・・」

 弥彦はさらに身を乗り出す。

 「は、旗だ! 黄色の・・・ 十五、十六、十七、・・・、全部で五十旗はくだらん」


 弥彦は依然顔はそのままに、大声で隣にいる茂吉に叫ぶ。

 「茂吉、尼子勢じゃ、数は先遣隊せんけんたいが二百・・・、本体はまだわからん」

 茂吉は、すぐさま縄梯子なわばしご下ろすと、知らせを城に伝えるよう太助に指示をする。

 太助もこの時ばかりは、その重い身体を機敏に動かし、一目散に城へと馬を走らせて行った。


 「弥彦、本体は見えるか?」

 茂吉は弓の弦に矢をつがえながら聞く。

 「見える・・・ 家紋かもんは・・・橘、たちばな兵の数はおよそ一千」

 弥彦が答える。


 茂吉は、すぐにその家紋と武将の名前が記された帳面とを見比べた。

 「たちばな、橘・・・、おう、橘の家紋は尼子義久殿よしひさが家老の立原久綱たちはらひさつな殿じゃ」

 なおも弥彦は、その一点から目を離さない。


 「弥彦、そろそろ我らも城に戻ろうぞ」

 茂吉の目にも尼子勢の先遣隊の一部が、赤川に沿ってこちらを目指しているのが見える。


 「弥彦、囲まれるぞ!」

 「まだじゃ、まだ肝心の馬印のうまじるし旗が見えん。はたして立原殿がこたびの戦の大将かどうか、見極めなければならん」

 弥彦は、次々と山の斜面に増える尼子勢の旗指物をはたさしもの凝視している。

 隣では茂吉が泣きそうな顔をしながら、その弓に矢をあてがう。

 しかし、先遣隊の一部は、彼らの予想より早く赤川を抜けると城平山の麓にある、この物見櫓へと押し寄せてきた。


 結局、尼子勢の大将は立原久綱であった。

 久綱は大将の馬印を掲げぬまま赤川へとなだれ込んできたのである。


 弥彦がそれに気付いたときは、二人がいるこの物見櫓はすでに尼子勢の先遣隊によって取り囲まれていた。

 ゆえに、弓の上手い茂吉でも、櫓に群がる敵兵のうち数人を倒すのがやっとであった。


 この先遣隊を率いていたのは、長ヶ部盛光おさかべもりみつという武将である。黒塗りの甲冑に、これまた黒糸で編み込んだ垂れを着けている。

 兜の前立てには蜻蛉とんぼがあしらってある。

 盛光は彼の兵五十と共に、この櫓を囲んでいる。


 「おーい、三刀屋さんとうやの衆、聞こえるかー」

 盛光は櫓に向かって、野太い声を張り上げた。


 弥彦は茂吉を、彼らから見えない場所に伏せさせると、長ヶ部盛光に向かって甲高い声で返す。

 「おー、聞こえるわい」

 盛光は、意外にも若く思えるこの三刀屋の兵に対して、少し脅かしてやろうかと思った。

 彼は槍の代わりに斧を片手に、櫓のすぐ下まで馬首を進めたて来た。


 「おーい、三刀屋の衆」

 「せっ、拙者せっしゃの名は、秋上弥彦じゃーっ」

 弥彦は精一杯の声でかえした。


 「これはすまなかった。拙者は、尼子義久様が家臣、長ヶ部盛光と申す。さて、秋上弥彦とやら、これからこの櫓をどうしようかと思案しているところじゃ。いっそ、この斧で切り倒そうかのう、それとも薪藁を積んで火であぶろうかのう。おぬしはどちらがよいと思う?」

 弥彦はこれには答えず、代わりに櫓の手すりからそーと顔を出すと、立原久綱が陣を構えているであろう赤川の河川敷を見つめた。


 「茂吉、三ツ割梶のみつわりかし葉の家紋は誰じゃ?」

 茂吉は、身体を小さく丸めながら、その手帳に目を落とす。


 「牛尾うしお殿じゃ、旗先物の色が黄色ならば、牛尾幸清殿よしきよの旗印じゃ」

 弥彦は、ニタリと微笑むと、その櫓の上から顔を覗かせた。


 「長ヶ部殿とやら、おぬし達はここへ何をしにきたのじゃ?」

 櫓を囲む尼子の兵達が、一斉に弥彦目掛けて矢を射ろうとする。

 盛光はその兵達を制すると、さらに大きな声で答える。

 「何をとはのんきな。我らが物見遊山ものみゆさんでも来たように見えるかのう?」

 弥彦は笑みを浮かべると、尼子勢の陣地の方を指さした。


 「では、あれはなんじゃ? おぬしらの大将の陣内では、獅子ししを食らい踊りを踊っているではないか」

 尼子の兵達をひとり一人眺め回す弥彦。

 「笑止しょうし、そんな嘘には惑わされんわ」

 長ヶ部盛光は、弥彦の言葉に不機嫌そうに答える。

 もちろん、盛光の位置からは赤川沿いの陣を望むことなどとうてい出来そうもない。


 「嘘ではござらん。拙者、役目がら目だけは利き申す。おぬし達の中には牛尾幸清殿がおるであろう。牛尾殿も楽しそうにと踊っておられるぞ」

 これには長ヶ部盛光も驚きを隠さなかった。

 なにしろ、ここから自陣の幔幕まんまくの中まで見えるというのである。それでも盛光は、確かめようと振り返る兵達をたしなめた。


 「それに、こたびの総大将は立原久綱殿たちはらひさつなのようじゃのう。たいそうでっかい杯に酒をなみなみと注いではあおっておるわ」

 弥彦は、まるですぐそこに見ているかのように、こと細かに様子を語るのである。


 「なんと、久綱殿が酒を飲んでるじゃと」

 面白くないのは、長ヶ部盛光である。

 もともと尼子家中にあって、久綱とはあまりそりが合う方ではない。そこへ来て、合戦前に自分たちを差し置いて、祝杯を上げているとは何たることと、もはや怒り心頭である。


 弥彦はそんな盛光を見るや、さらにたたみかけるように続けた。

 「おや、あれは何じゃ? 女子おなごではないか。尼子勢は陣中に女子まで入れておるのか」

 これには、もう盛光も我を忘れてしまった。


 「戦を前に何たることか。わしは本陣に戻るゆえ、お前達はこの櫓を見張っておれ!」

 ついに、盛光は供回りの兵を連れると、赤川に陣を張る立原久綱の元へと馬を走らせて行った。


 物見櫓の下には、十名ほどの足軽が残されただけである。

 弥彦はその足軽達にも言葉をかけた。

 「女子が居るというに、おぬし達は行かんでも良いのか?」


 ひとりの足軽が、仲間に小声で呟く。

 「女子が居るというのは真事まことかのう?」

 別の足軽は、もう気もそぞろである。


 ところが、今度は弥彦が足軽達をからかってやろうと思い始めた。

 彼はわざと手すりの内側にかがむと、今度はその足軽達からは見えないように姿を隠したのである。

 櫓を取り囲む足軽達は、急に動揺し始めた。


 「おっ、おーい、櫓の衆」

 すでに弥彦の名前すら忘れている。弥彦はじっと隠れたまま、答えようとしない。

 「おい、すまんが、今本陣はどのような様子なのじゃ?」

 なおもじっとしている弥彦。

 「返事してくれんかー、おぬしにはすべて見えるのであろう?」


 弥彦は櫓の隙間から、またも尼子勢の陣に並び立ついくつもの旗指物にはたさしもの目を凝らした。


 「七宝しっぽう花角はなかく・・・、茂吉、七宝に花角の家紋じゃ、誰じゃ?」

 茂吉はカメムシのように這いつくばりながら、帳面を次々とめくる。

 「さ、佐世、佐世正勝させまさかつ殿の家紋じゃ」


 しばらくして、弥彦はすっくと立ち上がると、右手を額にかざし櫓を見上げる足軽達にこう言い放った。


 「ああ、儂にはすべて見えるわ。あれに見えるわ、佐世正勝殿ではないか。佐世殿は本陣を払い、東に移動をはじめておるぞ」


 この言葉に、もう足軽達はてんやわんや。

 「佐世殿が退却しておると・・・」

 「佐世様と言えば、こたびの戦の先鋒ではござらぬか。その佐世様が・・・」


 酒盛りの後に退却などと、少し考えれば弥彦の言葉が嘘だと言うことなど、分かりそうなものである。

 しかし、己を見失った今の足軽達には到底通じるはずもなく、ひとりふたりとその場を離れて行く。

 結局、最後のひとりがその物見櫓を後にするのに四半時しはんときもかからなかった。


 「起きるんじゃ茂吉、赤川沿いに展開している尼子勢の布陣ふじん「長蛇」ちょうだの陣形じゃ。その数ざっと千五百。先陣は佐世正勝殿が三百じゃ」

 弥彦は顔を上気させながら、茂吉に言い放つ。

 「今、川の瀬より押し進めば我らの勝ちは間違い無しじゃ。このこと、三刀屋城の殿にお知らせするのじゃ」


 茂吉は、なおも唖然あぜんとした顔をしている。

 「では弥彦、尼子の陣に女子が居るというのは・・・」


 「もちろん、嘘に決まっておろう」

 弥彦はそう言うと、物見櫓をするすると下り始めた。茂吉もそれに続く。



 物見櫓の弥彦は、誰よりも遠くを見ることが出来た。

 しかし、彼の目が本当に誰よりも勝っていたのは、人の心の中をどこまでも見抜けることだったのかもしれない・・・

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