第3話 毒味侍

 美濃みの信濃しなのとの国境に、その城はあった。城の名は背縄せなわ城と言い、小さいが堅固な山城である。

 その昔、牛の背に縄をかけ、城の石垣を築いたことからその名が付けられたと言う。


 不思議なことに、この城は戦国の世にあって、他国から一度も攻められた事がなかった。東は武田が、西にはマムシの道三どうさんがいたにもかかわらず、ただの一度もである。

 気にするほどの城ではないということでもあるのだが、なにせ堅固な山城のこと、むしろ戦を仕掛けてすぐに落とせぬとあっては、隣国に『何と力なし』と、逆に付け入る隙を与える結果にもなりかねないからである。


 ところが、当の城の城主は、みな一年と持たずに次々と替わっていった。

 それも、そのほとんどが毒殺されたらしいのだ。


 隣国にしてみると、やはり背縄城は美濃と信濃とを結ぶ交通の要所である。どうしても押さえておきたいと思う場所でもあったからだ。

 攻められぬとあらば、さまざまな手段を用いてでも潰しにかかる。

 戦国の世の習いでもある。が、当然、背縄城側としても黙っているわけにはいかない。いっそうの警戒を強めることとなった。



 ある時、街道筋に一本の立て札が立てられた。

 中にはこう書いてある。


 「背縄城城主のお毒見役どくみやくを募る。役職後の身分は侍とする」


 つまり、背縄城の殿様が食べる食事に毒が盛られていないかどうかを確かめるために、殿様が食べる前に味見をするというもので、すなわちその毒見役を募集していると言うのだ。

 さらに、この役を引き受けるならば、その者がたとえ商人や百姓であったとしても、これを侍として取り立てると言うのである。

 まさに、労せずして成し得る夢のような話しである。


 ただ、立て札の端には小さい文字でこうも書かれていた。

 「万一、御身おんみに災い生じても、当方委細いさいかまわず」


 要するに、たとえ毒にあたって死んでも、城とは何も関係ないというのである。



 それから数日後、一人の男が背縄城の木戸門きどもんを叩いた。

 きこりの五平である。

 字が読めない彼は、先のことを噂で知った。五平は切りかけの木もそのままに、この城へと駆けつけて来たのだ。


 門番は、巨漢の五平を見るなり尋ねる。

 「毒見役の立て札を見てきた者か?」

 五平はこれには答えず、

 「ほ、本当に、毎日腹いっぱい食べさせてくれるだか?」

と、逆に尋ねてきた。

 どうやら、立て札とは少し違った解釈を聞いてきたようだ。門番は、取り合えず五平を城の中へと通した。


 すぐさま本丸からは、お膳奉行ぜんぶぎょう日下部徳善くさかべとくぜんが走って現れた。

 「その方か、お毒見役を志願したいと申すものは?」

 「へ、へえ」

 五平は、この日下部の勢いに気後れしたのか、流れのまま返事をした。

 「良くぞ申した。この徳善、礼を言うぞ!」


 五平にとって、間近に侍を見ることなど生まれて始めてである。

 その侍が自分に頭まで下げているのだ。五平は自分で左の頬をつねりながら、もう一度聞き返す。

 「本当に腹いっぱい食べてもいいんだか?」

 「これ、お奉行の前であるぞ」

 近習きんじゅうが五平をたしなめたが、徳善は笑顔でうなずいた。


 その日から、五平改め、お毒見役侍杉之木平五すぎのきへいごが誕生した。

 徳善は五平に、もっと侍らしい名前を用意したのだが、当の五平が覚えられぬと言う。

 結局、杉の木を切っていた五平を少しもじっただけのものに落ち着いた。

 頭の毛もまだ少し短いがまげも結い、裃かみしもをつけ、脇差わきざしも与えられた。

 物腰さへ違わなければ、どう見ても立派な侍である。


 その夜、初めてお毒見役杉之木平五の仕事がまわってきた。

 平五の前には二つの膳が置かれている。同じものだが、いずれも魚の尾頭おかしら付きである。


 お膳奉行の徳善は平五の前に座ると、別の器に汁、菜、焼き魚、煮付け、そしてご飯を少しずつとりわけ彼の膝元へと差し出した。もう一方の膳も、同じように取り分けられる。

 平五はその様子をじっと黙って見ていたが、この時になって、やっと自分の役目が少しずつ理解できたのであろう、緊張した顔付きで隣の侍女じじょに尋ねる。


 「これ、毒なんか入ってねえだよな?・・・」

 侍女は答える代わりに、一度深く頭を下げた。

 平五に底知れぬ恐怖心が持ち上がってきた。しかし、今更断ることなど出来るわけがない。

 意を決した平五は汁の入った椀を取ると、その口へと運んだ。


 (美味い。何という美味しさか。世の中に、こんなに美味しいものがあったのか・・・)

 次に平五は魚をつまんだ。これまた美味い。

 目の前では、お膳奉行日下部徳善が眉間みけんにしわを寄せ、心配そうに覗き込んでいる。

 平五は菜へと箸を伸ばした。もう誰も平五を止めることなど出来ない。

 皆の心配をよそに、平五は取り分けられた二つの膳をペロリとたいらげてしまったのである。


 「なんともないか?」

 心配そうに尋ねる徳善に、平五は答える。

 「殿様さ、ずいぶん美味いもん食ってるだな。いつもだか?」

 徳善はうなずく。

 平五は満面に笑みを浮べた。


 それからも、平五のお毒見役としての仕事は続いた。

 しばらくすると、少しずつ平五もそれらしく振る舞うようになってきた。近頃ではお膳奉行に注文までつけている。

 「魚は半身だけじゃなく、両面食べたほうがいい」とか、

 「汁の具も確かめてやるから、よそってくれ」

などと、しまいには、煮付けの味にまで口を挟むようになっていた。


 よく考えれば、もっともなことだ。

 それに、平五も決して我がままで言っている訳ではないのだ。それがわかるだけに、徳善もたまにはたしなめたりもしたが、おおむね平五の要求を聞き入れた。


 ある時、毒見を終えた平五が膳を下げる徳善にこう聞いた。

 「お奉行様、何故いつもお膳が二つもあるだか? 殿様も二人いるだか?」

 徳善は笑いながら、二つの膳のうち一つは捨ててしまうことを伝えた。

 平五はすかさず答える。


 「お奉行様。それなら、その一つをおらにもらえないだろうか・・・」


 徳善もこの巨漢の正直者を、好ましく思うようになっていたのだ。いつ死ぬかもわからないと言うのに毎日喜んで毒見をする平五。

 徳善は毒見の後、内緒で膳の一つを平五に下げ与えた。

 平五はいつしか、この城の中で、殿様と同じものを食べている唯一の男となっていたのである。


 ところが、大方の予想に反して、一年経っても二年が過ぎても平五は生きている。もちろん、平五の毒見を受けているこの城の殿様も健在だ。

 不思議に思った徳善は、城下に物見ものみを放った。しかし、その答えは物見が帰ってくるよりも早く知ることとなった。



 その日、織田家の家臣村上貞国むらかみさだくにと名乗る侍が背縄城を尋ねてきた。

 貞国の話しによると、尾張の大名織田上総介信かずさのすけ長は、この数年の間に、美濃はおろか隣国の近江おうみ国も平定したというのである。しかも足利義昭を頂き上洛じょうらくまで済ませたというのだ。

 さらに、昨年秋には比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじを焼き打ち、その恐ろしいまでの力を周囲に知らしめていた。


 どうりで、どの国からも暗殺を企てるものが来なかったはずである。知らぬ間に、世の中は、この織田信長の時代を迎えようとしていたのだ。

 もちろん信長にとっては、美濃外れの、こんな小さな山城など歯牙しがにもかけていなかったに違いない。それでも使者を立て、いくらかの貢物をみつぎもの持たせて来たのにはわけがあった。

 いよいよ甲斐の武田信玄がしんげん、京を目指して動くとの情報が入ったからだ。

 当然、信玄は東海道筋を進むであろうが、それとは別に武田勢がこの信濃口からも攻め込んで来られては、まさに織田方は挟み撃ちにされてしまう恐れがあったからである。


 使者の村上貞国は、心からの誠意を尽くすべく、背縄城城主との謁見をえっけん懇願した。

 背縄城側でも、早速『織田に付くか否や』と評定ひょうじょうが開かれた。

 その間、使者は大広間にて待たされることとなった。



 評定は夕刻近くまで続いた。

 いっぽう平五はいつものように、夕食の毒見をするべく大広間へと現れた。するとそこには、中央に一人の男が身動ぎもせずに座っている。


 平五は別に声をかけるわけでもなく、その男の上座へと座った。

 平五にとって上座だ下座だとかの意識はまるでない。このときも、いつも自分が毒見をしているところに座ったまでのことであったのだ。

 しかし、織田信長の使者、村上貞国にはそんなことがわかろうはずがない。慇懃いんぎんに平伏したまま平五に向かって、主信長の口上をこうじょう述べ始めた。


 「親方様におきましてはご健勝のこと、まこと恐悦至極にきょうえつしごく存じ・・・」

 「遅いのお」

 突然、平五は口を開いた。


 驚いたのは村上貞国である。まだ口上の途中であるのだ。

 しかし、平五は遠くのほうを見るような目で、もう一度呟く。

 「遅いのお」


 いつもならば、既に夕餉ゆうげの仕度も運ばれて、平五は味見を、いや毒見をしている頃なのだ。遅いと思うのも当然である。

 また、この数年の間に、ずいぶん平五にも侍の言葉が身についていた。


 もう一度言われて貞国は、この城に信長が使者を使わすのが遅いと言っているのだと思ったのである。

 彼は益々頭を畳に擦りつけながら、必死に弁解し始める。

 「恐れながら申し上げます。比叡山にずいぶんと手を焼いておりましたゆえ、このような時まで・・・ まことに申し訳御座いませぬ」


 貞国は、こんな小さな山城の城主に、何もここまで卑屈ひくつならなくともと心の中では思ったが、主信長の顔が頭に浮かぶと、どうしても不首尾ふしゅびに終わらすわけにはいかなかったのである。

 その上、城主と思えるこの男からは、未だに面をおもて上げることすら許されていないのだ。自然と貞国の体は、ひきがえるのように平伏ひれふすしかない。


 「ヒエイザン?・・・」


 平五は始めて耳にする言葉であった。

 当然彼には、天台宗のてんだいしゅう総本山である比叡山が如何なるものなのかさえ、皆目検討もつかないのである。

 聞き返された貞国は、一段と声を張り上げる。

 「はっ。四方八方から火であぶり、蒸し焼きにしてやりまして御座いまする」

 「何、火で炙って蒸し焼きとな」

 「ははあ」


 平五は、鳥か獅子ししの丸焼きでも思い浮かべたのであろう。ごくりと喉を鳴らすと、重ねて尋ねる。

 「して、残りはどうしたのか?」

 「火を掻い潜り、残った者どもは全て膾なますのごとく、切り刻んでやりまして御座います」

 「なに、膾とな」

 「ははあ」


 貞国にしてみれば、残忍な表現をすることで織田の力を誇示こじしようと考えたのであろう。

 しかし、頭の向こうに鎮座するこの男には、少しも効果がないようなのだ。それどころか、不適に笑みを浮べながら、ひとり何やらブツブツとつぶやいている。


 「ふっふっふっ、膾は良いな、実に美味い・・・」

 平五の頭には膳の上の膾が、彩りも鮮やかにはっきりと思い浮かんだ。

 驚愕しきょうがくたのは貞国のほうである。


 (こんな肝の据わった城主を、今まで敵にせず本当に良かったわい・・・)

 貞国は早速不戦条約を結ぶ為の書状を差し出すと、これからも時たま、織田より何がしかの貢物をみつぎもの届けることなどを約定し、早々にこの城を退散した。

 

 平五は、何やらわからぬ紙切れを手にしたまま、一人大広間に取り残された。


 ところが、城のあちこちでは、織田からの使者殿がいなくなられたとてんやわんやの大騒ぎである。

 お膳奉行の日下部徳善も珍しく険しい顔をしている。彼は広間に平五の姿を見つけると近寄りながら声をかけた。


 「平五、織田殿の・・・」


 徳善は最後まで言葉を続けることをしなかった。

 平五にはまつりごとの事などわかろうはすがないと思ったからである。


 自分に背を向け、そこを後にしようとした徳善に、平五は一言尋ねた。


 「お奉行様、ヒエイザンって食い物は、そんなに美味いのか?・・・」

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