第2話 伊賀者の性
その者は大和国、
異例と言うのもこの男、ついこの間までは
ただ正確に言うのならば、今でもその方の役目はこなしているという。しかし、身分はれっきとした侍となったわけである。
理由は至極単純。先の戦のおり、
まあ、表向きはそうであっても、要は
城の大広間では、これから
「それにしても、殿はどのようなお考えから、あのような卑しき者を召抱えられたのかのう」
老臣の一人、片岡
戦国の世にあって、忍者は大名に仕えるこれら武士からは大いに毛嫌いされていた。
何故ならそれは、彼らの役割が戦の
「
別の若侍が続いた。
事実、本名ではなかった。
当然である。もともと忍者には、姓名がそろっている者など、ほとんどいないのだ。
たいていは、亀とか
この男も、彼らの間では『杉』と呼ばれていた。
伊賀国にある、鉢山という山の麓で生まれた『杉』なので、鉢山杉ノ真という訳なのである。
スギこと鉢山杉ノ真は、感情のない
「な、なんと!・・・」
皆はそれぞれに顔を見合わせたが、同時に冷たい汗が背中をひとつ流れていくのを感じた。
なにせ、こちらの声が聞こえるはずがないのだ。
彼らと杉ノ真との間は、少なく見積もっても
「どうせ、
先程の若侍、
そうこうするうち、城主松永久秀が、その重い体を肘掛に横たえ着座した。
もともと久秀は多くを語るタイプではない。面倒くさそうに口を開けると、家臣に結論だけを告げる。
「こたび、信長を討つ・・・」
久秀にとっては二度目の反逆である。
かつて一度、足利
家臣達は、我が耳を疑った。
それもそのはずである。今や信長と言えば安土の地に巨大な城を作りつつ、まさに天下に号令せんとするほどの勢いであるのだ。いくら、大和一国を任されているとはいえ、その力の差は歴然としているからである。
誰もが久秀の下知に疑問を抱いた。と同時に、その理由を彼意外に見つけようとしたのである。
「あやつは殿に、人の心を操る術でも掛けたのか」
稲垣又兵衛は頭を下げたまま、声にもならぬ声でうなった。他の重臣達も、鉢山杉ノ真の背中に、つき刺さるような眼差しを送る。
「気をつけよ。奴は背中にも目がついておるそうな」
老臣片岡忠三衛門は、吐き捨てるように呟いた。
実際、この日を境に松永久秀の行動は、日を負うごとに奇異なるものへと変わっていったのである。
ある時は、甲冑を付けたまま
そしてついには城内の大廊下にて、女中の一人を矢で射抜いてしまったのである。
そのたびごとに、家臣はあの杉ノ真のことを噂する。勿論その根拠などあろうはずはない。
「奴は鳴き廊を歩く時も、音を立てたことがないとか」
「部屋に入ってすぐ、影だけを残してそのまま姿をくらましてしまった」
はたまた、
「奴が食事をするのを見たことがない。噂によると、あやつは人が食わぬものまで平気な顔をして食うそうな」
噂は止まるところを知らない。
当然最初の内、これは噂の
いや、事実はそうであったのかもしれないが、実際には誰も杉ノ真のそんな姿を見た者などなかったのである。
また、易々と目撃されるほど杉ノ真も
しかし、噂は益々大きくなっていく。
近頃城内では、とんと
ついこの間まで、蔵の穀物や部屋の天井を我が物顔で
「奴は、小動物まであやつることができるという。きっと、どこかに隠して、飼っているのだ」だとか、
「あの伊賀者が、夜な夜な鼠共を捕まえては、食っているそうな」
しまいには、こんな奇怪な噂まで流れ始めた。
ところが、当の本人はいたって涼しい顔をしている。
もともと感情を表さない彼ら忍びの者にとっては、心の喜怒哀楽など、蚊に刺されたほどにも感じないのだ。
ところが普通の人間には、そんなことまでもが、また新たな
それを、城主である松永久秀に訴えようにも、今ではその本人までもが狂ってしまっているのだ。
家臣達は自分の押さえようもない心のやり場を、この伊賀者にぶつけることで、かろうじてこれから迫り来る本当の恐怖から開放されることを望んでいたのかもしれない。
やがて、その恐怖の瞬間が訪れる日がやってきた。
織田信長はその子信忠を大将に、数万の兵を持って信貴山城を幾重にも囲んだのである。もはや蟻の
城内では乱心するものも中にはいたが、むしろ、家臣のほとんどがこの日を冷静に受け止めようと落ち着いていた。
老臣片岡忠三衛門は、半分死人と化した城主松永久秀を伴うと、城の天守へと上がって行く。稲垣又兵衛はじめ、多くの家臣もそれに従う。
それから半時後、天地に
もちろん、久秀が所有し、信長が咽から手が出るほどに欲しがっていたという天下の名器、『
それからひと月後、京の町を大きな包みを背負い、無表情に歩く一人の男がいた。
そう、あの杉こと鉢山杉ノ真である。
彼は古物商の前で足を止めると、おもむろに背中の包みを
「おっ、お侍様、こ、これは・・・」
古物商の主人は、腰を抜かすほど驚く。
それもそのはずである。彼が背負っていたのは、あの
杉ノ真は何も語らずに、その主人の目を見詰める。
「わかりました。すぐにご用意いたしましょう」
そう言うと、主人は店の奥から、二重の袋に包まれた金の塊を持って来た。人目をはばかるようにそれを手渡すと、小声で彼に尋ねる。
「お侍様、このことは誰ぞ他に・・・」
杉ノ真は、なおも唇を動かすことがない。
「それを聞いて、この私も安心いたしました。では、くれぐれも道中お気をつけて」
しかし主人には、杉ノ真の言葉がはっきりと聞こえていたのである。主人は
だがもう、そこに彼の姿はなかった。
杉ノ真には、城から鼠がいなくなった時、もうすでに全てがわかっていたのである。
この城の寿命もあとわずかだと。いや、それよりももっと前、久秀が信長に反旗を翻した時からかもしれない。
かといって、杉ノ真には、主人松永久秀と共に
そう、なぜなら彼は根っからの伊賀者なのだから・・・
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