第2話 いきなり大ピンチ

 学習机の椅子に座り、膝に愛用のリュックを置いて顎を乗せる。机で本を読むときのいつものスタイルだ。

 椅子に座った衝撃でちょっとずり下がった眼鏡を直し、改めて金押しで異世界のあるきかた、とタイトルが印刷されている本の装丁の手触りを堪能する。高級感のあるワインレッドの立派なビロードの布で覆われていて、手に持つとしっくりくるっていうか、手に吸いつくような肌触りである。


「こ、これは寝るときにも頬にくっつけて寝るしかあるまい! ムッハー!!」


 大きなひとり言を言ったが、ここの部屋には自分だけだし問題はないでしょ。たまに本を読みながら、うおおお! とかみんな話してるよね? ね?

 本と一緒の今日の就寝プランを考えながら、本を開く。ちなみに10分は確実に装丁を触りまくってニマニマしていた。い、いいでしょ! ……ちょっと変態っぽいけどさ。


 本を開くと、最初のページには巻頭特集として、『動物と秘湯への誘い』と書いてあった。そして、ケルベロスと一緒に入れる温泉や、ユニコーンが水浴びをする温泉、エルフの郷にあるリスの秘湯などの魅力的な温泉を紹介している特集だった。ううむ、日本の温泉特集のようなテイストの記事だなぁ。

 でも肝心の秘湯の写真はなくて、そのページにはいかにもファンタジーっぽい酒屋で、美味しそうに食事を平らげるイケメンが映っていた。なになに? 安くてリーズナブルな酒場! 料理も店員さんも星5つ! だって。へぇ。


「おい、その食いもんの代金、返せよ」


 いきなり向かい側から声がする。あれ? 壁に設えた学習机だから、真正面から声が聞こえるわけないんだけど? わたしはバッと勢いよく顔を上げ、正面を見据える、が、ずり落ちてほっぺのあたりにピントがあう眼鏡。慌てて眼鏡を持ち上げて、改めて正面を見た。

 そこには、さっきの異世界のあるきかたの1ページ目にいたイケメンが座っていた。白銀色のツンツンした髪、褐色に色付いた浅黒い肌、アクアマリンの色をした瞳はつり目によく似合っていた。昔の袴のような侍みたいな日本風だけど、襟元などに精彩に刺繍がされてある特徴的な衣装を、ラフそうな格好で着こなしている。その軽薄そうなイケメンは、わたしを値踏みするようにジロジロと眺め回す。


「まだガキだな。あと5年も経てばいい女にゃなるかもしんねぇがな」


 なっ……こいつ失礼すぎる! ありえないことが起こって呆気に取られてたわたしは、イケメンの失礼すぎる発言によりフリーズが解けた!


「なによいきなり現れて! し、しかもガキですってぇ!!」


 い、一番言われたくない言葉をコイツは言った。小さな頃からおねえちゃんなのに妹より年下に見えるわだの、高校生だけど小学生料金で映画とか見れるよねだの、無慈悲な他人の言いっぷりまで思い出して、わたしは涙目でガターン! とテーブルに手をついた。そんなわたしの怒鳴り声にイケメンも、周りで陽気に酒盛りしていた人たちも、お酒を給仕していたおねえさんも、酒場にいた全員がわたしに注目する。


 ……うん? ……あれ?


 手をついたテーブルが、学習机のデスクマットの柔らかなプラスチックじゃなくて、ボコボコでガサガサとした簡素な木の手触り。そして空気の香りも暖房の効いた自分の部屋じゃなくて、木と土と酒と料理、そして少し汗混じりの人の匂い。ということは?

 今の状況に気づいてしまったわたし。ここは自分の部屋じゃなくて、本の中身なんだ。本に載ってた写真の場所に来てしまったんだ……。

 そんなわたしの気持ちを察したのか、膝に置いてあったリュックがぽろっと土間のような床に落ちて、情けない音を立てる。


「はっ! 威勢だけはいいじゃねぇか、だが俺の金は返せよ」


 イケメンが右手をずいっとわたしの前に差し出してくる。どうやらテーブルのわたし側にある空になった食器の、料理の代金をコイツが代替してくれてたようだ。食べた覚えのない料理の代金を支払うのはしゃくだったし、虎の子はすでに諭吉くんではなく、一葉ちゃんに変わっているけど、お金を出さないとこの場は収まりそうにもなかったので、渋々一葉ちゃんをわたしのお財布から身売りに出す。

 それを受け取ったイケメンは、はんっ! と鼻で笑って、一葉ちゃんをわたしに投げて返す。


「これはお金じゃねぇだろよ。これだよこれ」


 イケメンは懐からじゃらん、と丸い貨幣に四角い穴の開いた銅銭のようなものを出す。テーブルの上に載せられた3枚の貨幣はそれぞれに若干不揃いで、50円玉より安いものに見えた。これじゃねぇと受け取らねぇからな俺は! とイケメンは威勢よく言っている。はぁ……。


「じゃあ、どうすればいいのよ?」


 そのわたしの言葉に、ニイっと意地汚い笑いをするイケメン。


「金がないなら、身体で払ってもらうしかねぇよなぁ」


 ニヤニヤと下卑た笑いで近づいてくるイケメン。どうしよう! おかあさん、ピンチすぎるぅっ!!!

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