第2章 君よ何処に行く

第1話  クリストは都を目指した


 廃墟の影から数体の影が走り出る。

 土気色をした子供サイズの怪物、腹だけが異様に膨れ上がり両目を尽きぬ食欲で爛々と滾らせた化け物の群れ。

 乱杭歯を剝き出しに、私を食らおうと迫り来る。


「だが甘い!」


 構えた剣の柄、埋め込まれた宝玉が光を放ち、発動した魔術が刃全体を淡く輝かせる。

 ファルデンに伝わる宝剣シュルトナーグ、宝石魔術の媒体にして無双の刃。

 魔力が奔り、緋色の残像を3度描き。


「ギャ──」


 音もなく激しくもない微風のような斬撃が通り過ぎた後、魍魎の群れは断末魔すら切り刻まれ霧散した。


「これで終わり、か?」


 周囲を警戒し、さらなる異形の湧く気配がないことを確認した上で剣を下ろす。

 化け物が掬っていた廃墟に歩み寄り、私はそこにあるはずの物を探す。


「……成程、これか」


 瓦礫の中でうずくまり、果てたオオカミの骨を見出した。

 白骨化した死体から微かに立ち昇る『念』、飢餓の念。

 この国ではオオカミは大神オオカミに通じる生き物であり、強い霊力を有する物が生まれるらしい。

 その死体に残った念、おそらくは飢えたまま死んだオオカミの念に惹かれて魑魅魍魎の類が湧いたのだという。


「この骨を持ち帰れば依頼完了だな」


 清められた白い布にオオカミの骨を包み、私は町へ戻る道を


「──ッ!?」


 それは意識した動きではなかった。

 訓練による反射行動、私自身も後で何をしたか理解する行動。気が付けば懐に手を入れ、投げナイフを投擲していた。

 藪の向こうに消えるナイフ、程なく弾け飛ぶ『何か』。

 微弱な魔力が破裂したような感覚を知覚して、ようやく自身の行動に理解が追いついた。

 廃墟近くの藪の中に『何か』がいた気がしたのだ。それも不意に湧いた気配の感触に反射神経が過剰に対処してしまった。


「討ち漏らしの魔物でも潜んでいたか?」


 生き残りがいたとしても既に残滓も感じない。

 藪に埋まったナイフを拾い上げ、今度こそ町に戻るべく廃墟を後にした。


******


 町役場の一角、『鳥居』という赤い門を潜った先で先ほど回収したオオカミの骨を女官に手渡す。


「──瘴気濃度、汚染を確認、この品で間違いありません。ご苦労様でした」


 白赤衣装の女官からこの国の金貨を受け取り、窓口を後にする。

 我が国では『冒険者』、この国では『武芸者』と言うらしいが、腕の経つ者に危険な仕事を斡旋する場所はどこの国にもあるものだ。


 鳥居を抜けた脇、立て札の並べられた一角に足を運ぶ。

 そこに並べられたのは武芸者向けに依頼された仕事の数々だ。この町は国の中枢から離れた地方都市のはずだが、それでも少なくない数の札がある。


 武芸者に依頼される仕事は大きく分けて3種類。

 『護衛』と『退治』、そして『探索』。


 私が見るべきは『退治』の項目、ひとつひとつ内容を吟味し


「『魔王』に『囚われの姫』……それらしい物は無いか」


 目当てとする依頼が無い事を確認し、町役場を後にした私は適当な食事処に腰を落ち着けた。

 腹ごしらえと、今後の活動方針を練るためである。


****


「お待たせしました!」


 活気に満ちた女給仕が注文の品を運んできた。

 箸を手に米を一口、美味い。国元での主食はもっぱらパンだった私だが、米食も悪くないと思っている。

 もっとも箸の扱いも多少慣れてきたが、いまだ焼き魚を綺麗に食べるほど習熟できていないのだが。


「しかし物事に集中する時には役に立つ」


 香ばしい魚から如何にして骨を分離させるか、2本の棒を操り格闘しながらカグヤ姫に出されたクエストについて改めて考えを巡らせた。


『魔王を倒し、囚われの姫を助け出してください』


 麗しの姫はそう告げた。

 他の求婚者達は難所・秘境より幻の逸品を回収するクエストが主だったと聞いている。品があるとされる場所に辿り着くのは大変だろう、辿り着けても探し出すのも一苦労だろう。

 しかし、対処次第で戦いは回避できるクエストだとも言える。

 旅の道行で何者かに襲われるかもしれないが、それは降りかかる火の粉を祓う行為・撃退であり、望んで戦う類のものではない。


 しかし私に課せられたクエストは違う、明確に討伐を指定されている。


「姫との会席の場、私は帯剣していなかったのだが」


 それでも博識と聡明で知られた姫だ、慧眼を以て私に剣腕覚えのある事を見抜いたとしても不思議はない。

 それを見抜いた上での討伐クエスト、しかし具体的に何処に住まう何者かの討伐まで指定してしまえば他の求婚者に比べて楽な内容になるかもしれない。


「そこまで考慮してのクエストだったと考えるのが筋か」


 姫の深慮に感銘を覚える。

 あの一言にそこまでの意図が込められていたのだと。


『魔王を倒し、囚われの姫を助け出してください』


 透き通った声で、淀みない口調で、美しい旋律を奏でるが如く。

 そこに揶揄の気配や迷いの類は欠片もなく、予言者の下す冷厳な確定された未来であるかのように。


「……いや」


 私は思い起こす、姫の目に宿った僅かな力みを。

 それまで『後光差す』とまで噂された雰囲気、聡明なる輝きがあの瞬間に陰りを見せたのだ。

 あの言葉を口にする事自体、本来はすべきで無かったと心の奥底では悔いていたのではないか。

 にもかかわらず私にあの言葉を発しざるを得なかった。公平に判断し、私に見合った難度の試練を課す事をお許しください──姫はそう訴えていたのではないだろうか。


「魔王を倒し、囚われの姫を救い出す……成程、これは何らかの比喩、寓意だと受け取ってはいたが」


 それを姫から忌避されたから、とは思わない。

 綻びというにも微細な、姫の覗かせた苦悩の気配。

 むしろ期待された、他の求婚者に比べて高く評価されたからだと自負する。


「ではそろそろ……食べ始めるとしよう」


 すっかり骨と身が分離された魚を頬張る。塩の効いたシンプルな味が心地よい。

 腹ごしらえを済ませた後、私はこの町を出立するつもりでいた。

 向かう先は都、ユマトの中心地。


 姫の語った『魔王』が何者かは定かではないが、人の世に悪を為す討つべき相手である事は間違いない。

 そして姫の言葉にも重要なヒントもある、即ち『囚われの姫』。


 この姫が文字通り高貴な女性か、それとも女性を表した物かは不明だが、試練の告げる『魔王』が人をかどわかす存在として知られている可能性が高い。


 ユマトの国で暴虐を重ね、人の身を攫う『魔王』の噂、それも貴人の誘拐事件であれば少なからず人の舌に上っているに違いない。

 人と物が最も行き交う都ならば情報を得られる可能性は高くなるだろう。


「カグヤ殿、このクリスト、必ずや大命を果たして貴女の元に馳せ参じ──」


 口の中に魚の骨が刺さった。取り分けに失敗したものがあったのか。


「……誓いの最中に発生した災難、油断と取りこぼしを戒める姫の差配と思う事にするか」


 深く頷き、私はさらなる慎重さでもって魚との格闘を始めた。

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