オーガ・サイドストーリーズ

キリカ・メランコリー

 天津市の沖合、南方十キロに位置する人工島、天津沖島。その更に南の果てに位置するのが。天津随一の企業グループ、田貫たぬきコーポレーションの本部だ。全長は三十メートルと決して高くはない。海辺の景観を守るため、一定以上の高さを持つ建造物が禁止されているからだ。その条例に特例は存在しないのだ。

 そして、その田貫コーポレーション本部の最上階、社長室で、私は祖父と面会していた。

「お祖父様。そろそろ話を聞いていただけませんか?」

「だから構わぬと言っておろう」

「私が嫌なのです」

 祖父――田貫刑部たぬきぎょうぶは、三杯目の天丼から口を離さないまま、私の問いに答えた。御年七十を越えてなお壮健にして矍鑠。そして相変わらずの健啖ぶりは、孫としても嬉しい。しかし、どうしても私は話を始める気にはならなかった。溜息をつき、祖父から目をそらして遠くの海を見る。今日は快晴で、遠くの水平線が綺麗に見えていた。その風景の向こうに、私はあの青年を思い出し――。


「済まんな。こうやって昼食、とでも名目を付けぬと、なかなか時間も取れぬ」

 祖父の声で思考が止まる。同時に空の彼方に浮かんだ、青年の姿も消える。そして私は現実へと立ち戻るのだ。気付けば、三杯分の丼が机の隅にきちんと重ねられていた。

「お祖父様、今少しだけ資金は回りませんか?」

 私は真っ向勝負で切り出した。祖父は大らかな割に、回りくどい手法を嫌う。下手なお世辞よりもこちらの方が良い。

「厳しいな。今なら霧香が自分で稼いだ方が上手く行くとすら思う」

 口元を所在なさげに押さえながら、祖父はボールを投げ返してきた。そういえば愛煙家だったな、と私は思い出した。だが、私は嫌煙家だ。父も吸うし、母も吸う。だが、とにかく煙い。それで嫌になった。祖父も知っているはずなのだが。

「昨年度も増収増益、と伺いましたけども」

 私は事実だけを述べた。感情論で当たっては怪我をする。相手は祖父とはいえ、海千山千の企業家なのだ。だが祖父は、まるで聞いてすらいないかのように席を立ち、表情を見せぬまま窓際に立った。


「霧香よ」

「はい」

 声色の変化に、私は身を竦めた。聞いたことがないのに、分かってしまった。祖父としてではない。企業家、投機家としての声だ。

「企業は道楽ではない。黄金崎グループもそうであろうとは思うが、私は『孫の道楽』に田貫の金を放り込む気はない。甘えるな」

「……」

 無言の私に、更に言葉は続いた。無論、声色は変わらない。

「私がお前に金を授けたのは、だ。増え続けるヴィラン・ニュータント事案において、我が社が一定以上の力を得られると踏んだからだ。決して孫を可愛がるが故ではない!」

「はいっ!」

 私は思わず立ち上がっていた。返す言葉も思いつかなかった。私の夢、信念ですら、この人達にとっては商売の道具である、という現実。それが心に刺さった。

「分かったならば立ち去れ」

 祖父は、いや、田貫刑部は、後ろを向いたまま私にトドメを刺した。そんな私にできることは。

「はい……。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」

 謝罪をし、礼儀をもってこの部屋を立ち去ることだけだった。



 その三十分後。我が組織の根拠地である地下施設。そこにある私の自室で。私は口を尖らせながらプロパガンダ……もとい、宣伝用に編集されたゴールデンオーガの戦闘映像を見ていた。装甲スーツのスイッチに仕込んだ、ドクターサイオンジ謹製の撮影装置。それによって確保された映像を元に、様々な脚色を加えたものである。残念ながらドラマパートの担当は本人ではないのだが。

 ともあれ、二本の角、二つの牙、そして金の髪を翻すヒーローが、敵対者に渾身の一撃を浴びせたその瞬間。私は映像を止めた。それと同時に、断りなくドアが開く。

「だいぶご機嫌斜めのようですねぇ、マイマスター。ミーが話し相手にでもなって差し上げましょうかぁ?」

 相変わらずの不安定な一人称と共に、嫌にキンキンと声を響かせるその男。白髪隻眼白衣にして、ひょろ長の男性。私が最も頼りに、そして迷惑に思っている男。

「ドクターサイオンジ。せめてノックぐらいはお願い」

「ノンノンノン。ボスっていうのはもっと開放的であるべきですねぇ。なんならこのドア、撤去してもいいぐらいですよ?」

 言い掛けた言葉はたちまちに食い散らかされ、三倍以上の返礼が叩き付けられる。

「勘弁して欲しいわね。乙女のプライベートがなくなっちゃう」

「今更おと……。ソーリー。今後お話できないのは詰んでしまいます」

 余計な口を挟もうとしたドクターを視線で黙らせ、私は無理矢理形勢をひっくり返した。このドクター、人の内心を見透かしてくるから厄介な癖に役に立つ。


「よろしい。まあ……いずれにせよお金が難しいから詰みは近いかもね」

 そう言って私は席を立ち、ポットのお湯でコーヒーの準備を始めた。インスタントとはいえ、無いよりはマシである。

「ふむ……。よろしければ子細をワガハイにも教えて頂けませんかな? 浅知恵の一つでもご教授出来るかもしれませんよぉ?」

「そうね。一人で頭を抱えてても埒が明かない」

 私は特に期待せず、全てを話した。その間にコーヒーが二つ分完成し、一つを彼に持たせる。

「ミルクと砂糖はお好みで」

「では、遠慮なく」

 机の上にミルクと砂糖のポットを置けば、彼は遠慮なく大量のミルクと砂糖を、カップにぶち込んだ。

「台無しね」

「頭脳労働には糖分が必須なのですよ。レディ」

 そんなセリフと共に、彼はカップに口をつける。私はそれだけで口の中に甘さを感じ、結局ブラックのまま口に入れてしまった。そして一分。ドクターが口を開いた。

「悪手、と言うかチグハグしてますね。レディ」

 私の目を見ず、彼は言った。

「貴女はお小遣いを貰いに行ったのですか? それとも、融資を受けに行ったのですか?」

「私は……」

 そこでハッとした。確かにそうだった。何処かで情に頼っていたのだ。具体的なプランも、回収の可能性も、何一つ提示していなかった。私は椅子の背もたれに身を預け、黙考に入った。

 ドクターはそんな私を意に介さず、先程切った映像のスイッチを入れる。ヴィランにとどめを刺したゴールデンオーガが、穏やかな日常へと帰って行く光景。私はそれを目にして、ふと現実の彼を思い出した。華やかな戦いも、穏やかな日常も。彼には、川瀬秀治には、とうに。


「カワノセを思い出しましたか。レディ・キリカ」

 嫌に透き通った声で、ドクターが言う。私は、なにも言わずに、ただ小さく。頷いた。

「彼は大丈夫ですよ。メンタリストの真似事は出来ませんが、このワタクシが付いているんですから。多少の無茶があっても保たせます」

 ドクターは胸を張った。通常であれば根拠に欠ける発言だ。私は絶対に納得しない。だが、この男は。

「ソレガシはアナタに見込まれました。故に期待には応えます。ワタシの頭脳にかけて。いつも、何度でも。あ、おかわりを是非」

 きっとやる。それが彼だ。今までもそうやって来たから。普段にない、熱の篭った言葉。それとは対極の図々しい発言。そんな二つの言葉を耳にして、それでも私は、要求を飲んだ。


「話はひどく簡単なことですよ、レディ」

 ドクターはいともあっさりと言の葉を紡いだ。彼の眼前では、再び例の宣伝映像が流されている。

「この映像、どこかのローカル局に売りましょう」

 ポツリと、ドクターが呟く。私は思わず目を剥いた。

「はぁ? ドクター、自分が何を言ってるのか分かってるのかしら? ゴールデンオーガを無粋なマスコミに売ると言うの!」

「レディ」

 激高する私に、ドクターは一言でもって制止をかける。そして言葉を続ける。冷静に。冷徹に。どこまでも現実を見て。

「『シュウジ・カワノセ』と『ゴールデンオーガ』は違う。アナタは少し、彼に肩入れし過ぎている」

 常より低い声だった。不思議と染み入る声だった。

「『オーガ』は鬼。『カワノセ』は人間。『カワノセ』は『オーガ』の影武者。『オーガ』が街の心を掴んでも、彼への影響は……ワレの想定の範囲内でしょうなァ」

 どこか遠くを見るような声で、ドクターはのたまった。私は少しだけ残ったブラックを啜る。その味は、酷く苦い気がした。



 結論だけ言えば、ドクターの想定は全くその通りだった。放送局はすぐさま飛び付き、それなりの額での契約を勝ち取った。私はその計画を起点に【ゴールデンオーガ宣伝プロジェクト】を立ち上げ、祖父からの支援を得ることに成功。【ゴールデンアース】はたちまち持ち直した。

 だが――。


「……せめてそういうことするなら。『本人』の許可は取って欲しかったですね」

「仕方ない……仕方ないのだ。許してくれ」

「まあ……。『本当の本人』は可否を告げられる状態ではありませんが……。今後はお願いします」

 事後承諾となってしまった川瀬からは、暫くの間責められる事となってしまったのであった。


キリカ・メランコリー 終

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