オーガ・ゼロ①

 天津市の西半分を占める、津上地区の更に西。角山の一帯は川瀬家伝来の土地である。

 川瀬家の歴史をたどれば、それは平安時代にまで遡る。都からやって来た武士とされる初代秀光。彼が当時悪行の限りを尽くしていた鬼――角噛御前つのかみごぜんを討ち、土着したのが始まりとされていた。


 では、その角噛御前の始まりは?

 悲しいかな、それについては現存する史料に一切言及は無い。川瀬家の文書は先の戦争で大半が焼失しており、また鬼に関する部分については頭首同士による口伝が中心とされていたためである。ではその口伝とは――。



「やあ、鬼」

「また来たのか、小僧」

「監視役だからねえ」

 川瀬家の私有地である、標高三百メートル程度の小高い山。その山頂に一つの祠がある。俺、川瀬秀治は、雨が降らない限りは一日置きにそこに顔を出していた。その理由は。

「千と百年、だっけ? こんな場所で寂しくないの?」

「住めば都。小僧、貴様そんな事も分からぬのか?」

「分かっちゃいるけどね」

 俺の目の前に立つ、和装黒髪の乙女。。川瀬家が先祖代々その動向を監視し、封印を施し続けるその対象。角噛御前その人である。その表情は、どこか掴み所のないそれであった。重ねた年月が、そうさせるのだろうか?


「まったく……。数代ぶりに『見える』者が現れたと思うたら、其奴は心配性じみていると来た。おちおち山遊びもできんわ」

「あはは……否定出来ないね。でもここの精霊達は元気だから、俺も好きなんだ」

「鬼が住まう故に、余人の立ち入らぬ土地だからの。精霊も皆活発よ」

「なるほどね」

 祠の前に座り、津上の街を見下ろす。この時間が、俺はとても好きだ。物心がついた時から両親がいなかった俺にとっては、祖父秀兼ひでかねが父のような存在であり、乙女――角噛御前が姉のような存在だった。


「……遂にお主も元服か」

「うん。正式に川瀬当代になると思う。……ま、今までとは変わらないと思うけどね」

「だろうな。我も今の世に敢えて災いをもたらす気にはなれぬよ……。鬼仲間には『腑抜けた』と言われるかもしれぬがな」

「だろうね」

「こやつめ。わっぱと思うとったが、言うようになったのう」

「へへ……いつまでも泣いてばかりの子どもじゃあないよ?」

 二人で見下ろす津上の街。東京からすればそれはそれは小さな街だろう。だが、俺にとっては大事な街で、故郷だった。少しだけその景色を堪能した後、俺は海の方に見える小島を指差した。


「俺、今度あそこの学校へ行くんだ。天津沖島あまつおきしま高校。相応に大きい学校だって聞いているよ」

「我を置いてかえ?」

 横に座る鬼の表情が、わずかに寂しげに見えた。でも。

「まあそうなるね。でも、今までどおりに。三日と空けずにここには来るよ」

「そうか。ならば良い」

 鬼の表情は、再び超然としたそれに戻った。俺は、ふと今まで聞かなかったことを聞こうとした。

「……なあ、御前」

「どうした?」

「御前は、秀光様を恨んではいないんだっけ?」

「恨みはないの。もとより我が怒り狂っておったは。三日三晩の熱病の後に角が生え、怪力を示した我を追いやった『渕』の民への恨みが理由ぞ。あの男は我を諭した上で、民にも威をもって我の由縁を示した。それで終いよ」

「なるほどね。ただし鬼を生かしたとあっては名目が立たない恐れもあった。それで一応鬼を討ったことにしている、と」

「そうだ。以来千年余り。我はここに立ち、世には干渉せずに生きておる」

「ん」

 俺は納得した。そもそもこの事実は祖父より口伝で聞かされている。ではなぜ本人にも聞いたのか? まあ、要は確認だったのだ。


「とはいえ」

 俺が安堵の顔を見せたのが気に食わないのか、御前がすっくと立つ。こうして見ると、角さえなければ美人極まりない出で立ちをしている。ちなみに和装は、川瀬家が所蔵しているものを祠に納めるという形で御前に差し出している。よってなんら問題はない。

「人に害を為されれば我とて怒る。怒れば暴れる。特に今の世は。再び我のような者が、盛んに大いに現れておるようだからのう」

「っ!?」

 ニヤリ、とこちらを見る御前。俺は思わず顔を引きつらせた。なぜその事実を知っている? 


 俺もニュースで見る限りだが、この数年で異能についての解析は随分と進んだという。

 俺は頭が良くないが、自分に奇妙な才があることは昔から分かっていた。当然それが先祖返りの一種で、自分が先天的な感染者であったことも。その流れで、近年後天性の感染者が増えている事実も知った。しかし、それを大っぴらにすることは善しとされていなかった。なぜなら。

 人類は自分達が支配者であると信じたい。一方、大半の異能者は組織化もされていない。むしろ人により蔑視されている例すらある。そういうことだ。もっとも、極一部には反発組織や更にその反発組織――人類側に立つ結社だ――もあるらしい。だが、それは俺にとっては遠い世界の話だった。


 


 そのはずだった。

「表情で分かるぞ。図星じゃな?」

 こくり。俺は頷いた。彼女には、真実を知る権利がある。

「そうだよ。でも……。この場所は守る。この世界で、唯一の君の居場所。俺の好きな場所。こんないい場所を、失いたくはない」

 俺は立ち上がる。祠の向こうにも、野原が広がる。ああ、いい場所だ。本当に、いい場所だ。


「そろそろ行くよ」

 制服のズボンに付いた草を払う。そろそろ夕暮れ時が近付いていた。開けていた制服のボタンを閉め、形を整える。

「そうか。また来いよ」

 祠の主も立ち上がる。彼女は裾を払わない。霊体にも似ている姿である角噛御前には、汚れはつかない。

「うん、また!」

 名残惜しさを振り払うかのように家路へと向き直り、そのまま一気に駆け下りる。

 中学三年の三月上旬。俺はまだ、このあとに起きる出来事を知るよしもなかった。まさかこの山に登れなくなる日が来るなんて、想像もつかなかった。

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ゴールデンオーガは今日も征く 南雲麗 @nagumo_rei

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