オーガ・レスキュー・ガール①

 頭が痛い。

 痛い。

 酷く痛い。

 ここ数日ずっとこうだ。寝ても覚めても頭が痛い。中から突き上げるように。なにかを呼び覚ますように。

 ああ、まただ。また聞こえてくる。実際には語られていない声。私を見下し、苛む声。蔑む声。罵る声。

「勉強ばかりでお高くとまっちゃって」

「成績引けからすんじゃねぇよ」

「教師に媚び売って何がしたいんだか」

「二位じゃないか。もっと勉強しなさい」

「遊んでいる暇はないわよ!」

「努力が足りない」

「やめときなさいよ。あの子を誘ってもどうせ来ないわよ」

「アイツ勉強しかしないんだぜ。バッカみたい」

 嫌だ。

 やめて。

 つらい。

 そんなこと考えているなんて知りたくなかった。せめて口にして欲しかった。

 今まで必死に成績を上げてきて、必死に勉強してきて。なのに、なのに。

 それだけでそんな風に思われていたなんて。

 ああ、ダメ。目が回る。くらくらする。嫌だ。勉強が遅れる。駄目。頑張らないと。駄目。

 駄目。

 駄目。

 あ……。

 目の前が一回転したと思った次の瞬間。私の意識は暗転した――。



「……なんで俺が保健室に連れてってるんですかね」

 午後三時。そろそろ授業も終わろうという時間。俺は保健室で無為な時間を過ごす羽目に陥っていた。

 原因は俺の目の前、ベッドで眠る少女にあった。昼休み明け、授業のために移動する最中、彼女は俺に向かってくる形で倒れてきたのだった。それを反射的に受け止めてしまったのが運の尽き。周囲の『関わり合いになりたくない空気』に呑まれる形で、保健室へ引き摺って行くことと相成った。そして。

「肝心の教諭が出張で居ないとか最悪かよ……」

 まさかの不運ハードラックのコンボにかちあってしまったのである。

「置いて行く訳にもいかないし、無理させるのも間違ってるし……。かといって放課後までこれじゃあ……。はあ」

 溜息を吐いたのは何度目だったか。正直な話、えらい目に遭っている。

()

 そう思った瞬間だった。目の前で眠っていたはずの少女が、顔を上げる。俺の顔が、痛みを知覚する。頬が熱を帯び、顔面が瞬時に九十度捻れた。

「出て行け!」

 頬を押さえた次の瞬間、耳をつんざくような声。見れば少女は、大きな瞳に涙を浮かべていた。

 肩口で切り揃えられた髪。

 化粧っ気の一切ない、それでいて整った顔立ち。

 白く、折り目がピシっと付いた、一番上のボタンまで閉められているシャツ。

 少女に遠慮して直視しないでいた各種情報が、一気に視界に入り込む。

「出て行け」

 今度は静かな声。しかし右手には近場の物を掴んでいる。俺の判断は。

「済まん、お大事に!」

 脱兎の一手。それしかなかった。目線を切らず、さりとて素早く。後ろへ跳ぶように下がりながら、俺は保健室から退避したのであった。



「それはとぉんだ災難だったねぇ」

「全くだ。保健教諭が出張じゃなければあんな目に遭わなんだのに」

 天津沖島地下三十メートル、白と使途不明の道具に囲まれた一室。【ゴールデンアース】に所属する胡乱なドクター、K・サイオンジの住まう部屋にて。俺は高ぶりを隠せない感情を相談混じりに語り掛けていた。

「それは確かに、だねぇ。だぁがしかし、だよ? この話をソレガシに持って来たって事はだぁ。なぁにか考えてるんじゃないのかぁい? それこそ、ニュータント絡みで」

 手土産に持参した高級アイス。その空き箱に付いた残滓を舐め取りながら、ドクターは俺の話に目を光らせた。

「流石ドクター。『』。このワードを思った瞬間、あの少女は過剰反応めいた動きで俺を張り飛ばした」

 思わずフラッシュバックしたその瞬間の痛みに、俺は頬を擦る。そういえば、あの少女は異様に興奮していた。していたとはいえ。あまりにも強烈なビンタだった。

「……。なるほど。なぁるほどぉ。【読心】タイプの能力かねえ。いやはや。ミーもキミの心を読んだかのような言動をする事はあるが、これはワテクシの能力の応用って奴でねぇ。興味深い。興味深いよぉ。キミィ!」

 必死に舐め取っていたカップを傍らの机に置いて、ドクターサイオンジが立ち上がる。興奮を隠せない顔をしている。顔をのけぞらせ、両手を広げて腰だめに構える体勢は、俺が昔、アニメか何かで見たマッドな博士のポーズにそっくりだった。

「キミにワレから使命を与えようぅ。その少女に接近しぃ、なんとしてもここに連れてきたまえぇ。穏便にぃ、しかし手早にだぁ。ワタシの予感が合っていれば」

 ここでサイオンジは言葉を切った。そして次の瞬間。俺に向けて顔を突き出した。黒の瞳と、白の眼帯が。俺を睨め付ける。

「その言動は、ニュートラルウィルスの能力発現を受け入れられない初期症状だ。恐らく既に各種症状が現れ、彼女の心は痛みに満ちている。ミーには人の心は分からない。だが推察することは出来る。シュウジ・カワノセ」

 今までにない程の真剣な瞳が、俺を射すくめた。俺には、その瞳の意味が分かってしまった。ああ、この胡乱な男は――。

「ウィルスの熱に脅えるいたいけな少女の心を救え。間違ってもヴィランなどに貶めるな。こちら側にも堕としてはならん。少女を、少女のまま。救ってやってくれ!」

 気付けば俺は、胸ぐらを掴まれていた。その細い体からは推測できない程の力が、俺を揺さぶっていた。それはきっと、この男の。ニュートラルウィルスに魂まで蝕まれ、掠れ、淀み、揺蕩うようになってしまった男の。本心――。

 だが。

「……フハァ! キミは今、なにも聞いていないねぇ? ミーの要望は彼女の連行だぁ。迅速かつ丁寧に、私のオーダーを果たせぇ。ハリィ!」

 正気を取り戻したかに見えた目は、再び狂気のそれに舞い戻った。俺は、なにを見たのだろうか。感じたのだろうか。だが、既にオーダーは提示された。ならば。

「ゴールデンオーガ、確かにオーダーを請け負いました。黄金鬼の名に賭けて、ドクターの要望に応えましょう」

 俺はそいつを、果たせばいいのだ。

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