オーガ・レスキュー・ガール②

「それで、私に何を望む。秀治」

「あの少女に接近して欲しいのです」

 天津沖島、繁華街の街角。その路地裏に俺とミケ――否、俺の先祖、川瀬秀光は居た。俺は視界に例の少女を捉え、三毛猫を相手に目線を合わせ、必死の交渉に打って出ていた。

「いやまあ。構わないには構わないが。お前の方があの少女と意思疎通が出来る分、良好な関係を築けるのではないか?」

「それが……。開幕引っ叩かれたんで……。後、かくかくしかじか」

 俺は頬を擦り、困り顔で此処までのいきさつを言う。ドクターの仮説を信じるのなら、俺が行くとかえって事態は悪化するだろう。

「なるほど……。それで動物を、か」

 俺は断られると思った。当たり前だ。そもそも『心を読まれて目的がバレる恐れがあるから、代わりにコミュニケーションをして来てくれ』という要望を先祖にする方が、おかしい話なのだ。

「……まあ、可能性はある、か。やってみよう。エサは弾めよ?」

 だからその返事は意外だった。

「わ、分かった……」

 返事を聞くや否や、三毛猫は誇り高く俺に背を向け、歩いていった。



「はあ……」

 私は誰かを待っている。そう、待っている。一人で居れば頭痛はしないし、声も聞こえることはない。落ち着く。ホッとする。誰にも迷惑をかけないし、私も苦しくない。

 あの青年には悪いことをしたと思う。状況判断をするに、恐らく私は倒れてしまったのだろう。後から気付いたが、あの場に保健教諭は居なかった。つまりは。

(あの青年が運んでくれて、多分置いて行くのも嫌で見てくれていた……。のよね)

 なのに私は。礼を言うどころか、瞬間的に受け取った思考で。反射的に。

(キレちゃったのよねえ……。はあ)

 さて、もう一度再定義。これをしないと声に飲まれてしまう。私は水内美里みずうちみさと。私は十五歳。私は天津沖島高校一年生……。

 刷り込むように。染み込ませるように。私はワタシを、定義する。そうしている内に、迎えが、来た。

 それは一見普通のバス。だがこの中に。このバスが向かう先に。私の救いがある。

「お待たせ致しました水内様。どうぞお乗りください」

 停車し、扉が開けば、添乗員が私に向けて頭を下げる。その行動に裏がないのは、声が聴こえないことからも明白だった。

 何人かの先客達を一瞥しつつ、私は一番奥の席に座る。すると即座に、バスは滑るように発車した。



〈失敗した。俺が接触する前に……。アレは牛車の類か?〉

〈そうだ。だがそんなのよりも大きくて早い。追えないなら無理しなくていいぞ〉

〈舐めるな子孫。視界の隅に置いて追尾中だ〉

 俺の脳内に先祖から届く知らせは、あまりにも芳しくないそれだ。しかし、嘘を言わない辺りには好感が持てる。意地になっている気配があるのには納得し難いが。

〈取り敢えず天津港の接続地下トンネルの方へ向かっている。奇妙な方向転換は無し。真っ直ぐだ〉

〈分かった。そのままついせ……〉

 尾行の継続を伝えようとしたところで、俺の第六感が警告を発した。しかもその気配は、上空――。

「嘘だろ!?」

 来た道を反転し、出来得る限り危機の感覚から遠ざかろうとする俺。

 しかし死を告げる、ジェリコのラッパが如き叫びが。俺の耳を劈いて。

「キエエエエエエエエエエエエエアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

「チイッ!」

 俺を殺ろうと急降下し、猛る咆哮。それに抗うための選択は。

「ぬぅん!」

 スペック上秒とかからないスーツの装着を駆使し、額の前で腕をクロス。高空から大上段に振り下ろされた日本刀を受け止める。凄まじい一撃の重みに、足が踏み締める大地アスファルトが砕け、僅かにめり込む。

「ヒャハ!」

 襲撃者がまた叫ぶ。受け止められた反動を利用し、バク宙で大地に降り立つ。その姿は、詰め襟で黒の制服に身を包んだ、まだ少年のような容貌の男。

「その姿。キヒッ! 追跡の妨害なんぞ、みみっちぃミッションだと思ってたが……。こいつはとんだ大物だぁ! フハァ!」

「煩い!」

 ミケの声が聞こえない。距離が開いてしまい、接続が切れてしまったのだろう。猶予はない。この敵手を、速やかに排除しなければ。焦りから打ち出される拳は必然、必殺を狙った大振りとなる。

「おいおい。もうちょっとゆっくりやろうぜぇ? そうだ。自己紹介してやろう。俺の名はジャンキー。まあ察しは付いているだろうが、ニュータントでヴィランだ。能力は……」

 回避。回避、回避、回避。単純な軌道の攻撃はいとも容易く躱され。

「『ただ強く在れ(オンリー・ストロング)』。判断力、瞬発力、筋力、スタミナ、反射神経。およそ戦闘に関わる、全ての能力において。俺は常のニュータント以上に底上げされている」

 懐に潜られた次の瞬間。俺の顎を、生身からの攻撃とは思えないレベルの衝撃が襲う。

「ん゛んっ……!」

 下から突き上げる衝撃に俺の身体が浮き上がる。なんという強化。なんという戦闘能力。そのまま漫画のように、俺の身体は跳ね上げられる。これでは勝てない。スーツの中で奥歯を、噛みしめる。その時。

〈オイ、大将。簡易ブーストは必要か?〉

 脳に響く、やたら暑苦しそうで、あたかも俺の思考を読んだかのような声。俺は気付いた。

〈大気との摩擦熱でコネクトしてくるとかお前ズルいだろ……。火の〉

〈そんだけの落下速度なんだよ。多分大地のでも受け止めるにはしんどい〉

〈ではどうする?〉

〈感情を昂ぶらせろ。そいつを借りる〉

〈OK〉

「死ねるか!」

 地面までの距離は分からない。だが、このままでは墜ちて死ぬ。それだけは分かる。だから。目一杯に感情を昂ぶらせて。叫ぶ。

 ボォン!

 背中で爆発的な音が響いた。感情の爆発と、摩擦熱を。火の精霊が瞬間的に。エネルギーへと変換したのだ。俺の身体が、再度打ち上げられる。そして。

「シャッ!」

 空中で強引に態勢を整え、足から地上に降りる。距離は開いたが、ジャンキーと名乗った少年はまだ。俺の前に立っていた。

「退かんのか」

「時間が稼げればいいからなァ。ヒヒッ! ゴールデンオーガだろ、お前? 小手調べ程度でくたばる訳がない、と勝手に信じてたぜ?」

 まだ声変わりし切っていない高い声に、俺は顔をしかめた。

(五月蝿い奴だ。とはいえ……実力は確かだ。どうする?)

 間合いを詰めることもせず、睨め付けたまま考え込む。思うツボだと分かってはいるのだが。

「来いよ。俺を潜り抜けなきゃ追跡は失敗だぜ? ま、俺はそれをさせないけどな」

 ジャンキーの挑発めいた声。片足で飛び跳ね、手招きすらする余裕がある。ボサボサ頭に見た目だけは中肉中背。目つきこそは鋭いが、容貌からは戦闘性の欠片も窺えない。


「ちぃ!」

 俺はダッシュで間合いを詰める。取り敢えずやってみるしか無い。左右に軽く跳ねた後、殴り掛かる仕草を見せる。そしてジャンキーの直前で足を強く踏み切り、飛び上がる。だが。

「言ったろ? 全部底上げされてんだ」

 足首に引っ掛かる感触。奴の右腕が、俺の足を捕らえていた。

「おイタは駄目だぜぇ? ヒャッハ!」

 力任せに地面に叩き付けられ、視界が歪む。背中を打った。呼吸がしづらい。口の中には鉄の味。衝撃で何処かを切ったのだろう。そのまま手を離されれば、足も地面に落ちる。

「かはっ……!」

 ようやく空気が吐き出せた。四肢を動かしてみる。動く。どうやらスーツの装甲を打ち破れるものでもないらしい。

「フヒャ! 諦めてお家に帰ったらどうだぁ? 俺は追わないぜ。俺はな?」

 嵩にかかったジャンキーの物言いが、俺の心を痛め付ける。しかしダメージは芳しくない。怒りで視野が狭くなり、身近な回復手段すらも思いつかない。

「くっそ……がっ!」

 右の拳を握り、感情を昂ぶらせる。その時だった。

〈秀治、落ち着け。私が血路を開いてやる〉

 脳内に響く精霊達とは違う声。

「フヒャ!? なにをする!」

 背中からの襲撃に不意を打たれたジャンキーの叫び声。

 それはほぼ同時で。

「秀治、逃げろ!」

 俺とジャンキーの間に飛び込んだ三毛猫は、既に先祖の顔になっていた。



「で、そのまま尻尾を巻いて逃げてきたのね」

「申し訳ありません。単純な強化とはいえ、侮り難く。一時撤退を選ぶことと相成りました」

「御託はいいわ。仔細はドクターから粗方聞いたし。まずはバスが何処の手の物で、どこへ向かったのか。そこからね」

 這々の体で【ゴールデンアース】の本部まで逃げ延びた俺は、その足で報告まで済ませた。しかし、ボスの渋面が全く解けない。それもそのはずだ。組織のメインウェポンであるゴールデンオーガが、何も出来ずに一敗地に塗れたのだから。

「天津港との連結地下道路に入った、までは伺ったのですが……」

 溜息とともに言葉を吐く。彼が戻って来たのは、その時だった。

「当然ながら追えていない。すぐ戻ったからな。ようやく撒けたよ」

 どこから入って来たのか、スルリと現れた三毛猫。見間違えようもなくそれは、先祖である秀光の姿だった。

「良くぞご無事で……」

「なに、身軽さを活かして飛び回っただけだ。決定打もなにもない。アレに一対一を挑むのは、余程条件を揃えなければ無謀だよ」

 俺は誰にも見えないように嘆息した。が、そこではたと気付いた。そうか、もしかしたら。使いたくない手だけど。

「ボス、今後二週間で雨の予報はありますか?」

 顔を起こし、ボスに訊く。最後の手段が、そこにある。

「ん? あ……。ちょっと待って。……あった。来週水曜日」

 その発言で、俺は打つ手を決めた。

「その日までに調べを付けて下さい。判明し次第、俺は彼女に話をつけます」

「……分かったわ。どうするかは聞かないけど、勝って」

 ボスは首を縦に振った。その姿に、俺は改めて覚悟を決めた。

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