カゲムシャ・ヒーロー②

 もしも俺がヒーローでなかったら。そんなことを思う夜があっても良い。地下からの帰り道の最中。【施設】側が用意してくれた車の中で俺は、取り留めのない考えに襲われていた。ふと腕時計を見れば、既に〇時を回っていた。きっと不健康な生活が、そんな考えに至らせるのだろう。

「何か運転に不服でもございますか?」

 後部座席に乗ってからずっと無言の俺に、気を揉んだのだろう。運転手が唐突に口を開いた。

「あ、いや。そうじゃない。考え事をしていた」

「そうですか。よろしければ静かな音楽でも流しますが」

「いや、構わない。そのまま走ってくれればいい……。いや」

 一度は干渉を蹴った。しかしそこで、ふと考えがよぎった。なに、きっと戯言で済むはずだ。

「一つ。話を聞いてくれ。例えば。本当に例えばだ。【施設】――【ゴールデンアース】の誇るヒーローの一人、ゴールデンオーガが、本物を隠す為の偽者だとしたら?」

「そんなまさか」

 ビンゴ。運転手は一笑に付した。これで俺は、楽に真実が話せる。


「オーガ――鬼は実在する。ただし、俺は鬼じゃない。本物の鬼はなんらかの組織に襲われ、今は動けない状況下にあるのだ」

「面白い冗談ですね?」

「冗談だからな。つまらない冗談など話の種にも悖る」

 鏡に映る運転手の顔は笑顔だった。そして、俺の気分は上々だった。だから、もっと冗談を盛っていく。

「ゴールデンオーガ、即ちこの俺は、だ。鬼の健在をアピールする為に【ゴールデンアース】の協力の下、作り上げられた偽者だ」

「ははは……。そんな訳……」

 車内の温度が下がった気がした。運転手の顔も流石に引きつっている。俺は、ここが引き際だと思った。

「冗談、冗談。俺は津上つのかみの山に棲む鬼だ。この街に迫る悪しき者共を滅ぼすべく、千年の眠りから目覚めた鬼なのだ。ははははは!」

 最後の笑いには特に力を込めた。鬼らしい言葉を選び、戯れに放った冗談として処理を試みる。

「そ、そうですよね。あまりに真に迫っていたものですから……ははは」

 運転手も笑った。しかし顔は引きつっている。声もぎこちない。さもあらん、彼は真実の一端に触れてしまったのだから。


(済まんな……)

 心の片隅で、健気な運転手に詫びたその時。車の速度が急激に上がった。運転手は、先程までの声色とは全く別の声で冷たく言う。

「いやはや、安心しましたよ。これで容赦なく貴方を殺せる。本物でも、偽者でも構わないんです。

 車のスピードは更に上がる。百八十を越え、なお止まらない。そして、直線上には一軒のビル。否が応でも目的は分かる。


「貴様、ぶつける気か!」

「その通り! 貴様はここで潰されて死ね!」

 カミカゼと化した車両の運転席で、最早本性を隠す必要がなくなった運転手が叫ぶ。その叫びを耳にしながら、俺はズボンのベルトに装着されている、装甲スーツのスイッチを確認した。問題なし。視界の端で、運転手がドアから飛び出すのを見ながら、タイミングを図る。車の先端がビルに命中したその瞬間。

「南無三!」

 力強くスイッチを押す。最早迷いはない。ドアを開ける。身体を転がす。その瞬間には、装甲と筋力補助を兼ね備えたスーツが全身を包んでいた。


「おおおおお!」

 横転し、衝撃を殺し終えた俺の身体は、呼吸を整えることもなく一気に駆け出していた。やり遂げた顔で崩落していくビルを見据えていた、元運転手にして暗殺者。その顔面に蹴りを叩き込む。物理法則に従い、暗殺者は数回跳ねて、ビルの壁面に衝突する。俺はそれを一瞥した後、高らかに、叫んだ。

「世に蔓延る悪を許さぬ、天津の生んだ黄金鬼こがねおに。ゴールデンオーガ、ここに推参! 貴様の悪行、此度は特に容赦せん!」


「しゃらくせえ! ああ、先に言っといてやる。貴様の本当の運転手な。既に地獄で貴様を待っているぞ」

 瓦礫を跳ね除け、立ち上がる刺客。しかし俺は、油断なく相手を見据える。既に化けている必要もなかったのだろう。刺客は、人間そのものの身体に、狐の頭部が乗っかったような姿を晒していた。

「地獄へ行くのはお前だ」

 俺の頬に、伝うものがあった。それは己の迂闊さへの怒りか。それとも、裏切られた悲しみか。ともかく、俺は狐頭の眼前へと躍り込む。精霊とのコネクトなんて、忘れていた。


「ちいっ!」

 苦し紛れに放たれる幾発かの銃弾。だが、その程度で倒れるほど、俺に与えられたスーツは、あのドクターが作ったスーツはヤワじゃない。感情のまま、俺は狐の頭を掴み、アスファルトに叩きつける。当然、そこはひび割れて。

「おおおおお! オラッ! オラァッ! オラアアッ!」

 それでも俺は、力を緩めず、抵抗を許さず、何度も何度も叩きつけた。そして、逆立ちの墓標が完成して。

「ハッ、ハッ……。はあああぁ……」

 ようやく俺は我に返り、スーツもその役目を終えたのであった。だが、俺の頬を伝う水の流れはそれでも止まらず、やがて降って来た雨に押し流された。



「んー。外傷はともかく、メンタル面は大分やられてるねぇ」

 再び舞い戻った白一色の部屋で、胡乱なドクターは、俺を見るなりそう言った。この男、自身はふらついている割に他人には容赦がない。

「ま。ワガハイにはカウンセリングは出来ないから、他のドクターに回すとして。ワレはボクにしか出来ないことをする。まあ最初はレディ・キリカのお怒りを鎮めることなんだけどねぇ?」

 ニタリ。こちらが引いてしまうようなおぞましい笑いを浮かべて、彼はそうのたまった。部屋が操作され、スクリーンにボスの姿が映し出された。直通回線が繋がっていたのだ。端正な顔を歪ませたその姿は、確かにドクターの言う通りの表情である。


「ゴールデンオーガ、否。川瀬秀治」

「はい」

「君は自身の言動について、反省するべき点があるはずよ」

 画面の向こうのボスは、顎の下で手を組み、こちらを見据えている。その視線は、俺の心を見透かすようで。

「真実を一般職員に話したこと、ですか」

 だから俺は、真実をもって答えとした。例え存在が虚偽であろうと。己の心には真実でありたい。 

「そう。自覚して欲しいの。今の自分の立場を。思い起こしなさい。黄金崎の病院で処置を受けているあの者の姿を。君が折れた後に起こり得る事象を。そして叫ぶの。ゴールデンアースの誓約を」

 訥々と語る彼女の声。沈鬱な表情。その全てが感情を伝えていた。喚くよりも、暴力よりも。遥かに。


「天地須らく我等が家なれば」

 流れるように言葉が出た。それは彼女の理念。そして俺達の理念。

「これ全て護るべし」

 応えるようにボスの声。無論、俺も唱和した。染み渡る黄金の意志。それを失い、敗北したならば。

「ワタクシがあの子の内部を暴き、ヒーローと言う名の兵器として扱うでしょうねぇ?」

 俺の思いを見透かすように、サイオンジが割り込んだ。

「うむ、そして私は、その行為を許すわ。それでなくとも、君の正体が知られたら」

「鬼が健在にあらぬことが発覚し、【本物】に害が及ぶ」

 俺は以前見た、本物の鬼の姿を思い出した。チューブや点滴、その他の道具で無理矢理に命永らえているあの光景は、川瀬全ての責任でもある。


「……。自覚が足りませんでした。以後、言動には注意します」

 最早答えは一つしかなかった。だが俺は納得していた。それこそが、俺の引き受けた役目なのだから。その答えを受け取って、目の前の女性はようやく相好を崩した。

「よし! それじゃあ、今日もよろしく頼むわよ?」

「はい。ゴールデンオーガは、今日も征きます」


 カゲムシャ・ヒーロー 終

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