ダークサイド・シンドローム①

「ぬわあああああっ!?」

 俺の一撃に吹き飛ばされたヴィランが、情けない声を上げて壁に衝突する。壁は蜘蛛の巣のようにひび割れ、ヴィランはそのまま崩れ落ちた。俺は腰を落として残心を決めた後、壁に近寄って活動の停止を確認する。


「……ヴィランが増えた。それも強さではなく、十把一絡げの方に」

 俺は独り言を吐く。この数日、【ゴールデンアース】はフル稼働であった。ニュートラルウィルス新規感染者の連続出現。取るに足らないヴィランの悪行。一つ一つは軽微でも。数が重なれば、綻びは出る。

「嫌な予感がする」

 もう一つ独り言。それは漠然としている。だが、感じた。だから、俺は。連絡を済ませ、すぐさまその場を後にした。



「やはり、数が多いねえ」

「ごちゃごちゃ宣うのがおんしの仕事かえ? 子孫の手助けに行く方がおんしらしいぞよ?」

「その子孫から頼まれたんだよ。『今は危険人物とか言ってる場合じゃあない』ってね。君の性質を分かってるんだろうねえ」

「おのれ……! あの童め、次に会うたら今度こそ八つに裂いてくれるぞよ」

「会ってくれるかなあ……」

 猫の身を借りて早百日近くだろうか。私、川瀬秀光は今。握郎の鬼――アナザーオーガと行動を共にしていた。要するに焚き付けと監視が我が務め、である。

「しっかし、こう。瓦礫が増えてきて歩き難くないかな?」

「おんしはまっこと京人みやこびとだのう。この程度、妾は慣れておるわ」

 やはり鬼、と思いつつも、私は瓦礫を飛び歩く。だが、不意に。先を行っていた筈の握郎の足が、止まった。


「どうした?」

「川ノ瀬。妾に手を貸す誉に与らせてやろうぞ。あれを見いな」

 言われて目を向ければそこには、無分別に暴走する女性。周囲には風が渦を巻き、近付く者を薙ぎ払わんとしていた。

「あれは……感染によって暴走した者、か。まずは活動を止めないと」

 言うが早いか、私は駆け出していた。そのまま口の中で呪言を唱え、女性の前に躍り出て。

「急々如律令!」

 最後の一言を宣言すれば、風を止める結界がそこに生まれていた。

「ガアッ!?」

 動揺する暴走者。しかし、こちらは手を止めない。

「往ね!」

 空から舞い降りるは黒の疾風。秀治達が『あなざあおおが』と呼称するそれ。秀治よりも強い筋力から放たれる高空からの攻撃は。

「終いぞ」

 暴走者を停止させるに十分な一撃であった。



 かくして、俺の予想は当たっていた。津上つのかみ地区の裏路地。更にその袋小路に。黒幕は、いた。

「へえ。もうちょっとは保つと思ったんだけどね。ボクの策略もまだ甘かったかあ」

「五月蝿い。天津が生んだ黄金鬼、ゴールデンオーガ参上。貴様、この症候群シンドロームの果てに何を目論む」

 俺の眼前に佇む女性装の人物。それは髪を伸ばした男のようにも、黒髪ロングの女のようにも見える。感じる空気は歪み、淀み。そして濁っている。プンプン臭う。

「ボクがやることなんて一つだよ? 『ブッ壊す』。ただ、今回は最重要目標が居てね……」

 動く音さえ粘着質を伴って聞こえて来る。背筋から迫り上がるおぞましさは、俺の中にある嫌悪の現れか。

「キミが倒した中に、殺戮兄弟キリング・ブラザーズっていたでしょ? アレ、ボクも結構お世話になっててね」

「報復か?」

 肌がざわめく。アレを『倒した』と称してよいのか? ダメだ。あの時の行為はヒーローではない。ただの狂戦士だ。俺は、あの時の俺を。肯定できない。でも、それでも。目の前の敵は、俺を憎んでいて。


「そうだね。安い言葉だけど、報復が一番似合う。ただし、それは」

 黒髪とスカートを翻し、『彼』は俺の前に立つ。俄にその肢体が、光を放つ。

「断罪と蹂躙をもって。光の巨人ならぬ、土塊の巨人の拳によって、だよ」

『彼』の両手が開き、空に浮かぶ。そこに集うは――方々で起きる騒ぎのあまり、片付け切れなかった多数の瓦礫。『彼』の周りに群れを成し、吸い付くように巨大な姿を形成する。生まれるのは……。直視すら躊躇われる、瓦礫の巨神であった。



「ハハハ! 御覧じろ川ノ瀬! 土塊のダイダラじゃ! 大きいよのう!」

 小高い丘の上、少女の姿に戻った握郎が。彼方を見て嘲笑う。私もその姿は視認していた。天を衝かんばかりの巨躯が、蠢いている。

「まずいな……」

 思いが口をついて出る。そして一度声に出してしまえば。

「ならば、あの元へ行くが良いぞ。どうせ騙り者もそこに居ろうて」

 食い付かれるのは目に見えていた。

「私が君から目を離せると思うかい? 監視役だよ?」

「これを見いやれ。何故に妾が戦装束を脱いでいるのか。おんし、それが分からぬ程まで呆けたかえ?」

「呆けたとは言ってくれるね。だけど、まだ。敵は」

「居らぬ」

 断言である。私は思わず、動きを止める。

「確証は?」

「勘よ。されど、ああいうモノを喚ぶからには。騒ぎそのものが手段であろう。つまり、目的は果たされておる。暴れ者は些事であり、意味を成さぬよ」

 私は前脚で顔を掻く。僅かに思考を回せば、それは正しいものだと思えた。

「ほれ、疾くと行くが良いぞ。妾が見届けてやる故にの。敗れた暁には死水も取ってやる。ま、その場合。この町は落ちるじゃろうけどな」

「それはやらせぬよ」

 私は言葉を残すと、近くの木に飛び乗った。大体の位置を把握し、想定経路を作る。猫の足でもやや遠い、が。

「行ってくる」

 それとは関係なく、私の足は一歩を踏み出していた――。



「無理だろ、これ!」

 縦横無尽に振るわれる拳から逃げ回りながら、俺は思わず言葉を口に出していた。相手が、デカすぎる。高さは三十メートルを超えている。防御は瓦礫なだけあって硬い。オマケに中にいるであろう奴の能力のせいか、外見はツギハギに見えるのに一体化している。俊敏性に事欠くから躱すのは容易だが、周囲の物に被害が出て瓦礫が増える。ともかく、逃げるは易し倒すは難しである。

 しかし、その逃亡も長続きしなかった。俺の耳が、泣き声を拾った。拾ってしまった。

 迷っている余裕はなかった。

 迷っている理由もなかった。

 泣き声の方向へ駆け出せば、そこには一人の幼子。三つか四つと思しき男子。母とはぐれたのか、路上で泣いている。だが。

「ゴールデンオーガに神の鉄槌を!」

 くぐもった声と共に、瓦礫の巨人も姿を見せる。

「少年、逃げろ!」

 俺は遂に奴の正面に立つ。奴の間合いは遠い。距離があろうと、拳は届く。

「ゴールデンオーガ!? ゴールデンオーガだ!」

「そうだ、ゴールデンオーガだ。少年、逃げてくれ。今俺は、悪い奴と戦っている。だけど君も、逃したい!」

 子どもの弾む声が耳朶を叩く。が、今の俺にそれを受け止めている余裕はない。足を止めた俺を殴り殺さんと、瓦礫の巨影が拳を振り上げたのだ。

「逃げろぉーーーーーーーーーっ!」

 刹那の後。重力を乗せた拳が、俺を襲った――。



「…………」

 その瞬間、少年は目をつぶってしまっていた。「逃げろ」と言われていたにも関わらず、瓦礫の巨人を直視して。硬直し、拳に怯えて動けずに。尻餅をついて。

 少年は自分に意識があることを知ると、恐る恐る目を開ける。自分に声をかけてくれたあの人は、どうなったんだろう。自分が、目をあけられたのはなぜ?


 その時、少年の目の前には。奇妙な光景が写っていた。

 振り下ろされる拳に抗ったのは、比して小さな黄金鬼。右腕一本を炎と燃やし、アスファルトに大きくめり込みつつも。押し潰されてはいなかった。


「ぬうううううっ!」

 俺は抗う。あの瞬間。俺は咄嗟に右腕をアッパーの軌道で繰り出して支え、致命傷を回避した。だが。

「死ね! 死んでしまえ! 畜生、なぜ死なない!」

 奴の声はまだ響く。狂ったように拳で押し込んで来る。

 < 秀治ィ! 感情を焚べろぉ!>

 < やってる!>

 火の精霊が先程からうるさい。俺の感情に呼応し、コネクトして来たのだ。足下では大地の精霊も俺を支えてくれている。力の流れが通り良いのは、やはり改造の効果なのか。

「ぬおりゃ!」

 更に増す圧力に、俺は遂に左の腕をも支えに出した。歯が砕けんばかりに噛み締め、最後の一滴まで力を絞り出さんと喘ぐ。

 < 大地の! 次に秀治が力を入れたら弾みをつけろ!>

 <なんだと!? まさか、お前!>

 <やるしかねえだろ! あの巨人に、秀治を届かせる!>

「届くなら……やってやる……!」

 奥歯を噛み締め、足に力を入れる。地面が徐々にたわむ。手足に、推進力めいた炎の勢いを感じる。感情が、燃え盛る。

「うあああああああああああああ!」

 両腕を突き上げる。膝が伸びていく。突き上げる力を、足元から感じると。そのまま巨大な腕を弾き返す力となって。

「ああああああああ!」

 そのまま空へと投げ出されていた。

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