04 跡羽実来について(2)




               × × ×




 跡羽実来あとばみらいはなんの変哲もない、どこにでもいそうなごく普通の少女だ。


 ……そんな表現しか出来ないくらい、湖咲こさきは彼女のことをよくは知らなかった。


 体格は普通、特に目立った凹凸もない、平均的な中学生女子といった容姿をしている。ほっそりとした痩せ型であるもののスカートから覗く太腿には程よい肉付きがあり、それが気になるのか、周りがスカートの裾を短くにしているのに対し彼女は長めにしている。

 髪型は黒髪のセミロング、肩まで伸びたその髪に縁取られるような丸みのある顔には、見かけるたびに柔らかな笑みが浮かんでいた。それがどこか母性的で、同級生にもかかわらずお姉さん的な雰囲気を醸し出している――


 ……とまあ、話しかけられないぶん、外見に関してはしっかり観察している湖咲である。


 そもそも中学二年当時、湖咲は実来とクラスが違っていて、彼女と接する機会なんてほとんどなかったのだ。

 魔力プールを抱えた人間をラヴィが校内で見つけ、たまたまケモノを摘出したことがきっかけ。それまで湖咲は彼女のことなんて知らなかったし、ここまで一人の他人を気にすることもなかった。


 たとえば――放課後、友達と下校する実来の後をつけるくらいに。


(何やってんだろあたしは……)


 魔法少女に変身してしまえば、いつもは人目を引く金髪が目立つこともない。変身状態の湖咲の姿は一般人には認識されないためだ。

 けれども、この舞踏会にいるのが似合うような赤いドレス姿で制服姿の生徒たちが行き交う通学路を歩いているのはなんだかいたたまれないものがある。誰の目に入らなくても、自分自身が知っているから。

 事情があるとはいえ、魔法という超常の力を使って他人のプライベートを覗き見する葛藤は消えない。


 ≪声をかけてしまえばいいですのに≫


「……それが出来たら苦労しねえよ……」


 魔法なんて使えても、こればかりは個人の問題だ。


 あと一歩が踏み出せないまま――


 ≪ずるずる卒業を迎えてしまいますわ≫


「告白じゃねえんだから……てか、卒業まであと一年あるし……」


 ≪その甘えがいけないんですの!≫


 叱咤されるも……。


(……学校ならともかく、外で突然声かけてもなぁ……)


 何かと理由をつけて踏み込めない。


 そうこうしている内に、実来はその友達と一緒にファストフード店に入っていく。二人が窓際の席にでも座れば外から観察できたのだが、生憎と奥の方の席に行ったようだ。湖咲は後を追いかけるため店内に入ろうとして――


 湖咲の足が止まった。目の前で自動ドアが閉じる。


(……そういえば、防犯カメラなんかに記録されたものは消せないんだよな……?)


 ≪機器を直接どうにかしない限りは、映像に残されると対処が難しいですわ。まったく、嫌な世の中になりましたの≫


 一般人には魔法少女の存在を認識できない。

 ただし、魔法で発生した炎やそれによる火事などの二次被害は認識できる。そうした事象を起こしているところを誰かに目撃されたり、映像に記録されたりした場合、魔法少女はその権限を失うことになる。魔法少女であった記憶を消されるのだ。


 どうして一般人には認識できないのか――その理由はよく分からない。

 ラヴィにも問いはあるのだ。

 一応、『常識という理の外にある存在のため』という答えは返ってきたが。

 推察するに、人間の感覚がそもそも魔法を捉えることが出来ないのだろう。


 しかし、機械類には観測できるのだ。


「ていうことは、だ……」


 湖咲が動くと再び自動ドアが開いた。このドアはそこに湖咲の存在を感知しているということである。

 同様に――店内に設置された防犯カメラもまた、今の湖咲を捉えているのだろう。


「……!」


 途端に恥ずかしくなった。


(カメラの映像を誰かが見たら……っ)


 ≪映像に記録はされても、一般人にはその姿もまた認識できませんですわ≫


 映りはしてもそれさえ見えない。それが分かり少しだけ冷静になるが、いくら認識されないとはいえやはりこの格好で外を出歩くのは気が引けた。戦っている時は気にならないものの、後ろめたいことをしているのもあってやたらと周囲が気になってしまうのだ。


(帰るか……)


 ≪それでいいんですの? 話しかけるきっかけを得るためにこうして偵察しているんじゃなかったんですの?≫


「うう……」


 そうこうしている間も、湖咲に反応した自動ドアが開いたり閉じたりしている。一般人には誰もいないにもかかわらずドアが開閉しているようでさぞかし不気味に映るだろう。現に店員が怪訝そうな顔でこちらを見ている。よくテレビ番組で取り上げられている心霊映像はこうして出来上がるのかもしれない。


「……よし」


 湖咲はいったん引き返すことにした。戦略的撤退である。

 人目のない路地に入り――変身を解く。

 変身前と後とでは目線の高さが異なるため、目を閉じたり手を握ったり開いたりと少しだけ感覚の違いに身体を慣らす時間をとる。何度か瞬いてから、習慣になっている自分の容姿の確認。変身後とあまり変わらない長い金髪に、学校からそのまま追ってきたので中学の制服姿だ。


 常々何か声をかけるための〝きっかけ〟でもあればと思っていた。だけど変身して認識されないのではそれが都合よく訪れても活かせない。やっぱり堂々と、生身の自分で行くべきだ。


(あたしはただ学校帰りに寄り道するだけ、小腹が空いたからただ寄っただけ……)


 自分にそう言い聞かせながら店に入る。「いらっしゃいませー」と店員から声をかけられた。適当に注文し、席を探す。店内は空いていて、実来からやや離れた位置にある席を確保できた。実来との間に仕切りがあるので顔を見られる心配もない。静かなのもあってここからなら二人の会話を聞けるだろう。

 仕切りの隙間から廊下を挟んで斜め向かいにある実来の背中を確認しつつ、湖咲は声を潜めて呟く。


「ラヴィ……頼んだ」

「分かりましたわ」


 変身を解いたことで赤い鳥の姿に戻ったラヴィに偵察を任せることにしたのだ。使い魔もまた魔法少女同様、一般人には認識されない。それを活かして、湖咲の方からはきちんと確認できない彼女たちの様子を調べようという算段である。


(何してる……?)


 仕切りの上に立つラヴィに心の中で訊ねる。


「ノートを広げてますわ。どうやら勉強しているようですの」


(まあ、普通だな。うん。友達と寄り道して勉強。うん)


 普通だろうとは思うが、湖咲はそんな経験したことないためいまいち実感が湧かない。ただ、よくそうしながら楽しげにお喋りに興じる女子高生らしき少女たちを見かける。だから恐らく普通なのだ。うん。


 店員が注文したハンバーガー『マッシュチキン』を運んできた。それでなんとなく湖咲は訊ねる。


(何食ってる……?)


「跡羽実来はサラダを食べてますわ。サラダだけですわね。小食みたいですわ」

「ふうん……」


 食べ物と言えば、と思い出すことがあったものの、


(体重でも気にしてんのかな……)


 特に気に留めはしなかった。


(……その友達は?)


 別に誰が何を食べようと構わないのだが、実来の友達についてもとりあえず探っておこうと思った。実来本人に当たらずとも、その友達を通して得られる情報もあるだろう。食べ物の趣味が話題になるかもしれない。


 湖咲はハンバーガーの包みを開きながら、仕切りの上から二人を覗く赤い小鳥を見上げる。


「ハンバーガーを……チキン! なんてこと……鶏肉を食べてますわ!」

「は……?」


 大方湖咲も今食べようとしていた『マッシュチキン』のことだろう。この店でも人気の高いメニューである。湖咲は毎回『マッシュチキン』を注文しているが、ラヴィはこれまで気にならなかったのだろうか。


(というかなぜ気になったし……)


 呆れつつ、湖咲は『マッシュチキン』を頬張った。いつも通り、普通に美味しい。


「頭悪そうな顔をしていながら、友達の方が勉強を教えているようですわ……」

「……意外と毒吐くな、お前……」


 実来の友達らしき小柄な少女はクラスが違うので名前も知らないが、こうして寄り道して一緒に勉強するくらいには仲も良いのだろう。学校では二人一緒にいるところをそれほど見かけはしないものの――


「……っ」


 湖咲は思わず舌打ちする。

 廊下を挟んだ窓際の席に座ろうとしていた女性客が今の独り言で湖咲に気付き、あからさまに違う席へ移動したのだ。


 何がいけないのだろう。やっぱり、この見た目のせいか。

 例の友達みたいに見るからに間抜けっぽい顔をしていれば、他人にも好かれ友人にも恵まれるのだろうか。実際、彼女には実咲以外にも親しくしている相手がいて、誰からも好かれているように湖咲には見えた。


「そのアホの子が席を立ちましたわ」

「…………」


 きっと湖咲の気分を変えようとしてくれているのだろう。


「トイレのようですわね」


 念のため、仕切りの隙間からそちらを確認する。廊下を歩く例の友達の薄っぺらい胸元が見えた。制服の赤いリボンがその子供っぽさを助長している。


「跡羽実来が動きを止めましたわ」

「?」


 勉強していた手を止め、小休止といったところか……?


「友達のフライドポテトをじっと見つめていますわ……これは……」


 仕切り越しに、声が聞こえてくる。


「……一つだけなら……」


 意外な一面を垣間見た気がした。湖咲は思わず苦笑する。


 跡羽実来も、ちゃんと普通の女の子なのだ。


「友達が戻ってきましたわ」


 湖咲はテーブルの上にあるメニュー表に手を伸ばした。万が一ということもある。これで目立つ金髪を隠そうと思ったのだ。仕切りの隙間を覆うようにメニューを開いて、湖咲は首を引っ込める。廊下を足音が通り過ぎ、椅子を引く音が聞こえた。


(……まあむこうはこっちのことなんて……)


 知らないのだろうけれど。

 それでも気にしてしまうのは自意識過剰なのか。


 嫌な想いを噛み砕くようにハンバーガーを咀嚼しながら、仕切りの隙間から勉強を再開した二人を覗く。肝心の実来はこちらに背を向けて座っているため、横顔が垣間見えるという程度だ。

 彼女に気付かれることはない。きっと彼女も、さっきの女性客のように自分を一目見ただけで離れていくのだろう。だから、この距離感がベストなのだ。

 人目を引く長い金髪だって、少なくとも今の実来の方からは見えない――


「……どうしたの?」

「んー、なんかねー」



 ――目が合った。



(ばっ、ちょっ、なんであいつこっち見てんだよ……!?)



 実来の対面に座る少女からは、湖咲の方がばっちり見えていたのだ。


 仕切りの隙間から覗くなんてどう考えたって普通じゃない。不審だ。不審すぎる。それを見つけた場合、湖咲なら相手に文句を言いにいくくらいはする。いやしない。出来ない。舌打ちをしてその場から離れるだけだ。でも彼女たちはどうか。一人じゃない、二人なら文句だって言えるかもしれない。そうじゃなくても『金髪の少女』が覗きをしていたと知られれば、今後もしも彼女たちに接するような機会があった時に悪影響が出るに違いない。どうする。いっそ変身してこの場から消えてしまおうか。だけど防犯カメラもあるのに突然自分の姿が一般人の認識から消えてしまうのは『魔法の制約』に違反することにならないか? ああもうどうすればいい?


 湖咲はメニューで顔を隠しながら心の中で叫んだ。


(ラヴィなんとかして……!)


 ≪見た目の印象を操作するですの……! これならいっときですけれど、再会した時に今のが湖咲だとは気付かれないはずですわ……!≫


 困った時の魔法である。

 湖咲は深呼吸して自分を落ち着かせ、どんと構えようと努めた。冷や汗を流しながら。


 と、



「んー……なんでもなぁい」



 気の抜けるような声が聞こえてきて、すぐにはそれが何を意味するのか呑み込めなかったものの、しばらくして湖咲の肩から変な感じに力が抜けた。なんだかどっと疲れた。


(くっそ、あのチビ……)


 憎らしいようなありがたいような、複雑な気分を抱えたまま、その日は調査を諦めて湖咲はすぐに帰宅した。




               × × ×




 それからも尾行を続けたり身辺調査をするが結局声をかけられず日々は過ぎ――


 中学三年生に進級すると、まるで湖咲の努力に応えるかのように、跡羽実来と同じクラスになることが出来た。例のチビもクラスメイトになったが、それはさておく。


 ただ、「いつでも話しかけられる」という状況が湖咲の中の甘えを刺激し、やっぱり声をかけるにかけられないまま季節は夏を迎えようとしていた。


「まあ、あれだ。最近のあたしは勉強できる感をアピールしてるからな。放課後も居残ってるし。その姿はばっちりあっちの記憶にも焼き付いてるはず。だから……あいつの苦手な科目を調べて、それを教えるーみたいな形で接触できれば……」


 そう思ってその日、湖咲は放課後の教室に居残ったのだ。


 日直だった跡羽実来は例の友達と既に帰ってしまい、教室には今湖咲一人だ。たぶんもう誰もこないだろうとは思うが廊下の音に注意を向けつつ、湖咲は実来の机の中を探ることにした。


(つっても、放課後あのチビと勉強してるみたいだしな……ノート類は持って帰ってるかな……)


 都合よく零点のテストでも見つかればいいのだが――


「湖咲っ」


 ラヴィの鋭い声に湖咲も気付く。


 ……廊下から足音が聞こえてくる。


(やっば! ヤバい、こんなとこ誰かに見つかったら今度は不良の上に泥棒扱いされるわ……! ここが小学校ならいじめられる!)


 いじめられるのはまだ良い方だ。最悪、今よりいっそう嫌悪され忌避されるのではないかと卑下してしまう自分がいる。


(ぁあああ、どうしよっ、何もしないで立ってるのも不自然だし……!)


 自分の席に戻っても、すぐに勉強してた感を取り繕えるかどうか……!


(あっ、そうだ、カーテン! カーテン閉じよう!)


 実来の言葉を思い出し、机に腰をぶつけながら夕陽の射し込む窓際に移動する。慌ててカーテンに手を伸ばしたところで――教室の前で足音が止まった。


 カーテンをまとめるタッセルと呼ばれる紐を解いて、さもこれから戸締りしますよという雰囲気を醸しながら――どこのどいつだこの野郎とここぞとばかりにガンでも飛ばそうと湖咲は振り返る。



「ぁ……」



 漏れた声はどちらのものか。


 教室の入口に立ち尽くす少女は、まるで魂でも抜かれたかのように、こちらを見つめたまま固まっていた。

 夕陽の作る影の中で、彼女の瞳だけが輝いて見える。


 その目には今、どんな風にあたしが映っているのだろう――それを聞いてみたかった。



「――……きれい」



 振り返った拍子に翻った金の髪が、視界の端で夕陽を浴びてきらきら光る。



「――紅坂こうさかさんの髪って、すごく、きれい……」



 それが、待ち望んだ〝きっかけ〟だった。



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