07 愛より憎し(3)




               × × ×




 その瞳はまるで怒りを湛えたように赤く――私の心を震わせる。


 動かなくなった愛論めろんを叩き起こそうと、今一度愛論の骨折した左腕を踏みつけようとした時、ようやく『彼女』はやってきた。


(あぁ、やっぱり――)


 陽射しを受けて金色に輝く長髪はまとめ上げられ、白いうなじを惜しげもなく晒している。その首にまるで首輪のように無粋なチョーカーが巻かれ、四肢にも枷のようなものが目立つが、それも気にならないくらいに彼女は美しい顔立ちをしている。

 肩と背中を大胆に露出した紅いドレスは彼女の身体のラインを際立たせ、情熱的でありながらどこか可憐、彼女の魅力をいかんなく発揮させる装いだ。


 赤い、紅い、魔法少女。


 ――きれい。


「あい、ろん……?」


 呆然と呟く彼女はやはり――その印象は学校で見かけるものより遥かに大人びて、華やかで色っぽく、それでいて優美だけれど。

 この紅い少女は。


(あなたなのね、こさっちゃん)


 待ってた。

 ……今更やってきても、もう遅いけれど。


(本当は、メロンちゃんの苦しむ姿を見せたかったけど――)


 


……!)


 今度こそ、――あなたを滅茶苦茶にしてあげる……!




               × × ×




 救援信号シグナル――自分の力だけじゃ対処できない敵と遭遇した時、近隣にいる他の『魔法少女』に助けを求める際、『使い魔』を通して発信するものだ。

 救援要請コールには必ず応じなければならない訳ではないが……そこは助け合いである。

 救援要請コール自体そもそも滅多にあるものじゃない。あるとしたらそれはよっぽどのことで、この近隣には湖咲こさきの他に二人しか『魔法少女』がいないから、湖咲はなるべく駆け付けられるよう努めている。

 その二人ともが顔見知りで――ちょうど今、そのうちの一人に話を聞きたい気分だったから、湖咲としては都合が良かった。


 そいつが展開したのだろう、一般人への被害を防ぐために作られた『結界フィールド』の中に入る――


(なんだ……?)


 その瞬間、まるで断末魔めいた声が聞こえた気がした。

 それは一瞬で、あるいは叫びの残響、余韻のようなものだったのだろう。


(まさか『ケモノ』にやられ――、)


 たのかと思ったが、『結界』によって無人になった街、その車道に佇む人影を見つけた。


 黒い――魔法少女。


 魔女を思わせる帽子に裾のすり切れたローブのような装束、脚を覆うゴツめのブーツ……全身真っ黒な後ろ姿。


 ……


(やっぱり――)


 確信がある訳ではないものの、おそらくは『彼女』だろう。

 そいつが振り返る。


「な――、」


 その時になって、ようやく気付いた。そいつの足元。ローブに隠れて、何かが――誰かが、倒れている。


「あい、ろん……?」


 湖咲は目を見開く。倒れる誰かの姿が鮮明になる。

 白かった包帯は赤く染まり、ギプスは砕け――動かない。


「お前……、」


 どうして――



「何やってんだよ、お前はぁ……ッ!!」



 どうして、笑ってるんだ。


「待ちくたびれちゃったよぉ……」


 黒いシルエットの中、青い瞳が仄暗い輝きを放つ。

 裂けるように、そいつの口が開いた。



 私を楽しませてね、



 ≪落ち着くのですわ……!≫


 頭の中で響く声も気にならなかった、


「――殺す!!」


 アスファルトが砕けんばかりの勢いで飛び出した。


「はい、ストップー」


 そいつの足が、倒れる愛論の頭に添えられる。


「そこのギプスみたいに……踏み潰しちゃうよ?」

「ッ」


 湖咲は道路に叩き付けるように足を踏みおろし、そいつの数メートル手前でなんとか立ち止まった。


 ≪落ち着くのですわ……。あの子はまだ生きてますの。幸い『結界フィールド』内ですわ、この前と違ってきちんと回復させてあげられますわよ≫


「……っ」


 感情が治まらない。


 ≪ついでにあの骨折も完治すればいいのですわ。あれから時間が経ってますし、多少早く治っても不思議じゃない、『魔法の制約』にも引っかかりませんわ≫


「ふう……っ」


 ≪冷静になるのですわ。いつもの湖咲に……『魔法少女ラフ・ルージュ』に戻るのですわ!≫


(今その名前で呼ぶなっての……空気読めよ)


 だけど、短気ですぐ頭に血が上るのは湖咲の悪い癖だ。

 そうして熱くなり、大事なことすら見えなくなるから――こうなる前に、止められたはずなのに。


(……後悔はあとだ。今はアイロンを――)


 慎重にそいつとの距離を確かめながら、


「お前……糸群貴世いとむらたかせだな……?」

「ん? 見て分からないの……? あなたと違って、『変身』しても見た目にそれほど変化はないのに。それとも、そんなに私に興味なかったぁ……?」


 そいつの――糸群貴世の甘えるような声に虫唾が走る。


「どうして、アイロンを……アイロンに何か恨みでもあるのかよ」

「恨み……恨みね。そうじゃない。私は――あなたが大好きだから」

「は……?」


 一瞬寒気を覚えるも、


「あなたが、メロンちゃんのことが好きで好きでたまらないみたいだから、」


 愛論の頭を足蹴にしながら、貴世は笑う。



「あなたを苦しめたかったのぉ……! うふ、ふふふ……!」



 ゾッとした。


(こいつの狙いは、あたし……?)


 そのために、そのためだけに……?


「だけど――」


 妖艶に微笑みながら、貴世が身を屈めた。愛論の襟首を掴む。湖咲の身体はとっさに反応するが、貴世は牽制するような視線を寄越した。


「これは、私の趣味」


 片腕で愛論を持ち上げると、貴世は愛論の胸にもう片方の手を押し付けて――



「愛論ちゃんの本性、教えてあげる――解放リリース!」



 瞬間、愛論の体が爆発したかのように――その背中から黒い光が弾ける。


「あいつ、まさか……!?」


 吹き出すそれは、まるで翼のように広がった。

 愛論の身体から、蛹を破って現れる蝶のように――何かが具現する。


 ≪『ケモノ』ですわ……!≫


 は、巨大な翼をもった黒い『鳥』だ。

 全身が煙のような質感を持つ『黒い何か』で構成された、全長四メートルほどで、翼を広げるとさらにその威容を増す、鳥のような姿をした――『ケモノ』。


 人間の秘められた本性、目的のためなら手段を問わない獣性――


 いわば人の心の闇ストレスから生まれた、『魔法少女』の倒すべき敵である。


 しかし、それがどうして。


「なんで……」


 あんな毎日楽しそうで能天気な、ストレスとは無縁の愛論から――?


 ≪……元々あの子は『魔法少女』としての資質が高かったんですわ。だけど『ケモノ』を生み出す源たる『魔力』は、日々の運動によって適度に発散されてきましたわ≫


 つまり、骨折し運動できなくなったことが、愛論の中に魔力ストレスを溜め込む要因となり――こうして、ケモノを生み出すに足る〝魔力の蓄積プール〟を作り出してしまった。


 ただ、それが事故により起こった、仕方のない、誰にでも起こりうる偶発的なことであればまだ納得できた。受け入れられた。たとえ貴世が愛論からケモノを具現させなくても、必要とあらば湖咲が自分の手でやっていた。そうしなければケモノは自然発生し、場合によっては愛論自身すら傷つけるから。


 しかしこれは違う。


……!」


 片腕で愛論を抱きかかえ、貴世はあの薄ら笑いを浮かべている。その真意は読めない。だけれど。


「お前、なんかが……」


 そんなことをするヤツが、同じ『魔法少女』……?


 ふっざけんなよ、クソったれ――!


『魔法少女』としての誇りを踏みにじられたかのような屈辱を覚えた。


「ねえ――」


 気づけば、貴世の姿は中空にあった。『ケモノ』から距離をとり、魔力で作り上げた透明な足場の上に立っているのだ。


「もしかして、こさっちゃん……、」

「――呼ぶな」

「……、こうなったのは私のせいだと思ってるのぉ?」

「あ……?」


 にぃ――と、邪悪に笑む。



? 、を」



 胸の奥に、重たい何かが落ちる。


は、今、関係ない……だろ……。それに、なんて――」

「そう? そうかなぁ? そうだとしてもねぇ……やっぱり、こさっちゃんに原因があると思うんだけどなぁ?」

「……なんだよ」


 聞くべきではない、話すべきではないと分かっているのに。



「重たいんだよねぇ、こさっちゃん」



「は……?」


 言葉を失う。呆然と、『鳥』越しに彼女の姿を見上げていた。


「メロンちゃんも思ってたはずだよ? 重いって。こさっちゃん、メロンちゃんしか友達いないんでしょう?」

「…………、」


 ≪湖咲……!≫


「メロンちゃんが他の子と話してたら、すぐ邪魔しにくる。みんな、あなたを恐がって離れていく。ねえ、に、メロンちゃんが迷惑してなかったなんて言い切れる

の? ねえ……?」

「…………」

「いちいち相手してあげないと拗ねちゃって、ほら、見た目がそんなんだから、何しでかすか分からないじゃない……? だからメロンちゃんはあなたの相手をしてあげてるの。優しいからね? 怯えてたのかも? なんにしても、あなたはその優しさに――に、甘えてる」


 今まで、その威容に呑まれて気付けなかった。

 お互いの間に存在している黒い『鳥』。それは翼を羽ばたかせて数メートル浮上しているも、飛び立っていこうとはしない。なぜか。その細い足に原因がある。

 まるで罪人に科す足枷のように――地上に落ちる黒い塊がある。鉄球のようなそれは『鳥』の足首と鎖めいたもので繋がっている。


 その枷が重くて、地上に縛り付けられている――



「ねえ、知ってる? そういうの、『重い』って言うんだよぉ……?」



 あぁあああああああああああああ……!!



「あははははははははは! 分かった? 分かっちゃった? これが本心なのぉ! あなたの大好きなメロンちゃんの、汚いな・か・みっ!」


 ……………………、


「ショックだった? 絶望した? ねえ? 顔上げてよ、私のこと見てよ! ねえったら、!」


 足元に昏い影が落ちている。


「そういえばさっき、恨みがどうのって言ってたよね? 教えてあげるね――こういう、人生毎日楽しいですぅ……みたいなリア充の化けの皮を引っ剥がして、そのきったない本性曝け出すのが私の趣味なのぉっ!!」


 狂ったような笑い声が、耳の奥で反響する。


「これがその、汚い本性。もしかして……初めて? これまで愛論ちゃんから『ケモノ』は生まれなかった? そうだよねぇ、運動するだけでストレス発散できちゃう子だからねえ……馬鹿みたいにさぁ!」


 友達を侮辱されているのに、何も。


「プールが溜まるまで、大変だったよぉ……? 、私も疲れちゃったなあ……。じゃあ、そろそろ、頑張った成果を……」


 そして――貴世は愛論から生まれた『ケモノ』に淀んだ視線を向けて、



「あなたの親友のぇ……私が頂いちゃうねえっ!?」



 心底から嬉しそうな哄笑が、無情に響く。


「こ、の……ッ」


 イカれてる。頭がおかしい。そんな悪態の一つも出ない。

 何も言い返せない自分が、惨めだった。


「ねえ、『ケモノ』は抑圧された負の感情の塊だけど……それでも、それでもね、そんな汚くて醜い感情でも、は――」


 そうだ、は。



「あなたの大好きな、大事なメロンちゃんの、『心の一部』なんだよぉっ!?」



 たとえその中に、自分を疎ましく思う心があったとしても――奪われたくない。


 こんなヤツにだけは、こいつにだけは。


 それが浅ましくて醜い、嫉妬心と独占欲に過ぎなくても。



「ぶっ殺してやる……!」



 お前さえ死ねば、いなくなれば――嘘で塗り固めた関係だとしても、元に戻るはずだから。

 そうだ、『ケモノ』として形を成した今、愛論の中から『その感情』は失われている。だから、やり直せる。今度はちゃんと――



 ≪相手の勢いに乗せられてはダメですわ! ――!≫



 それは――我を見失いそうになる自分を止める、一つの名前コード

 魔法と言えば、これも立派な魔法だろう。

 意識を切り替えるように、心が冷静さを取り戻す。

 適度な熱を内に残して。


「こいつは……『魔法少女』に相応しくない」


 自分の感情を抜きにしても、こいつはダメだ。



「私が倒す……!」



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