02 炎のように紅く、熱く(2)




               × × ×




 ――ストレスというものは、一度生まれたら消えないものだと思う。


 澱のように心に沈み、溜まり、「ストレス発散」なんて称して体を動かしたり好きなことに打ち込んでも、そうやって打ち消せるのはほんのひとときだ。

 ただ表層を浚うだけの、焼け石に水をかけるよりも空しい行為。

 気分は晴れても、本当の意味でそれは完全になくすことが出来ず、それはずっと底に残り、溜まり続ける。


 溜まったストレスは、火が灯るのを待つ起爆剤。


 短気で怒りやすい人というのはきっと、些細な摩擦からでさえ大火を生みかねないほどそれが心に溜まっているのだろう。

 周りも、自分すら傷つけて燃え続け、飛び散った火の粉は誰かの心に影を落とす。


 けれど、それでも――


 だから。


 人は他者を傷つけるのだ。暴力を振るい、罵倒し、そうやって悪意をぶつけることで心に溜まった澱を払う。他人に押し付けることでしか楽になれない呪いのように。

 心に抱えた爆弾を押し付け合うババ抜きなんだろう。


 そんな腐った世の中で――誰かが投げ出したいジョーカーを、ひょいっと摘み上げて燃やし尽くす。


 魔法少女には、それが出来る。




               × × ×




 ――こんなあたしにだって、誰かを救うことが出来るかもしれない。


 正義の味方とは言わないけれど、それは一つの希望だった。


 吐き捨てたくなるような悪循環だって、この奇跡に繋がる過程だと思えば少しだけ受け入れられる気がするから――


 だから――負けたくないと顔を上げる。

 これは誰かの心の闇を払う戦いであり、自分を肯定するための戦いだから。


(やってやる……)


 魔法少女ラフ・ルージュは決意を新たに、数メートル先、腰を屈めたような格好でぶらりと両腕を垂らしているケモノ『猿』を睨む。


(猿……)


 両脇を建物に挟まれた路地の半ば、大通りを背に佇むそのケモノは、どこか哀愁を感じさせた。

 人型をしているから『猿』だろうと直感的に思ったが――こうして見ると、


「ケモノっていうのは、人のストレスの塊で……何か、欲求を叶えようとする獣性なんだよな……?」


 ≪ですわ。自然発生したケモノほどそうした獣性に忠実ですの。けれど、こうして摘出したケモノは『親』の精神性が形として表れはしても、これといった目的はないものですわ≫


 だから、積極的に行動はせず――この『猿』はこちらの出方を窺うように構えているのだろうか。

 最初にルージュが攻撃を仕掛けてきたから、それに反応して、それこそ獣らしい生存本能から反撃したに過ぎず――


 ≪ルージュ。あなたのその感受性の豊かさは美点ですけれど、ケモノは生物でもなければ意思も持たない――『親』の心の影に過ぎませんわ≫


「……だな」


 本当に懸念すべきは――気にすべきは、きっとこのケモノじゃない。

 現実の、日常の、魔法少女ではないあたしに何が出来るかは分からないけれど。


(……その時は、また倒せばいい)


 そのために、目の前のケモノをちゃんと倒せるようにならなければ。

 今は救援を待つことしか出来なくても。


 ≪けれど、こちらから仕掛けなければ相手が何もしてこないことに気付けたのは良かったですわ。そのまま逃げないように――≫



かます!」



 手の平に拳を打ち付け、気合を入れる。

 ただ助けを待ってるだけなんて性に合わない。


 ≪ちょ……っ!?≫


(そっこー近付いてぶん殴る!)


 使い魔ラヴィに頭の中で指示を送る。ケモノがいくら知能がないとは言っても、さすがに〝敵〟の前で作戦を口にするのは気が引けた。


 身体強化ブーストをオンにして、瞬間的に『猿』との距離を詰めて殴る。作戦もへったくれもないが、隙を突き急加速して肉薄……奇を衒ったような作戦なんて思いつかないから、正々堂々、後腐れないように戦いたい。


「…………、」


 すっと息を吸って――全身に巡る熱い力を感じて、


「ッ」


 踏み込む。


 大きく足を伸ばした一歩で『猿』との距離は半分に、次に繋げるためにアスファルトを踏みしめた瞬間――『猿』は飛び退き、それに追いすがるように――魔力を点火する。


(『魔力放出バースト』――!)


 ルージュの体感だと足裏から炎でも噴き出したかのような衝撃だった。

 踏みしめた足の裏から魔力をロケットの推進剤のように爆発させて、踏みしめたアスファルトを焼き砕くような勢いでルージュの体は加速する。

『猿』との距離が一気に縮まり、ルージュは思いっきり右手を突き出した。


「届けェ……!」


 拳が一瞬遅れるが、指を伸ばす。まだ少し届かない。

 あと一歩、もう一度踏み込めれば――ケモノがルージュより先に地面に足をつく。ケモノならではというべきか、一息つくタイムラグもなしに再び後方へ向かって飛び退こうとした。

 このまま後退を続けられると、『猿』は大通りに出てしまう。対処を誤れば逃げられるかもしれない――


「させるか、よ……っ!」


 伸ばした右手を引く反動で、左腕を前に――その手の中に十字架を模した〝魔法の杖〟が現れ――『猿』に向かって突き出した。黒い顔面に杖を刺した格好で『猿』は大通りまで吹っ飛ばされる。


「!」


 確かな手応え。その頭部に杖が食い込む感触を得た。さすがに相手の反応の方が早く〝守り〟に入られたようだが――飛び出した勢いのまま滞空していたルージュは、とっさに両腕で顔を守った。


(顔やられてんだぞ……!?)


 ケモノのそれは能面のように真っ黒で顔も何もないのだが、『猿』は吹き飛ばされながらも両腕を振るって『魔力弾バレット』を飛ばしてきたのだ。ルージュにはシールドがあるものの、その〝不意打ち〟には思わず体が反応していた。

 ケモノでも顔をやられると命中精度が落ちるのか――放たれた二つの黒い塊はどちらもルージュの横を抜けていった。

 ルージュは地面に足をつき、思わず背後を振り返る。『魔力弾』はどこにもない。直線状の路地だ。そのまま飛んで行ったのなら戻ってくることもないだろう。


(割とデカかったな……?)


 当たっていたらシールドはどうなっていただろうと一瞬不安がよぎるも、敵は攻撃を外したのだ。その結果として――魔力の総量に限りがあるケモノは、『魔力弾』に使ったことで自らの体積をすり減らし――見るからにサイズダウンしていた。


 ≪これならもう倒せるかもしれませんわね≫


 顔面に杖を突き刺したまま、『猿』はアスファルトの地面に座り込んでいる。まるで人形だ。相当な魔力を使ったのか、数分前と比べると大人と子供ほどに体格に差が生じている。

 もしかすると先の『魔力弾』は断末魔代わりの最後の一撃だったのかもしれない。


 少しだけ哀れにも思うが、とどめを刺すべくルージュは『猿』に歩み寄る――


 その時だ。



 



「なっ……!?」


 とっさに振り返る――先の『魔力弾』が時間差で戻ってきたのかと思ったが、そうじゃない。それならシールドの展開も多くて二回だったはず――


「もう一体……!?」


 路地の奥に、もう一体いる。

 子供ほどのサイズの『猿』が、もう一体――こいつが新たな『魔力弾』を撃ってきたのだ。


「分身――?」


 最初から二体いたとは思えない。ならどこかで分裂したのだ。それはどこで?

 まさか先ほど飛ばした『魔力弾』が――ふと頭の中で光が弾ける――じゃあすぐそこに残されている……?


 ≪これはさっきの『魔力弾』が――湖咲こさき!≫


 鋭い警告にルージュは危機を感じ取った。


 ――


 とっさに目を向けた先、座り込む『猿』の体が膨張していた。既に猿の形も成しておらず、その様はまるで――



「シールドぉ……っっっ!」



 全力で叫んでいた。

 飛び退くルージュの前面を覆うように目に見えるほど厚い、ありったけの魔力を注いだシールドが展開される。


 その向こうで――黒い爆発が起こった。


「……っ!?」


 正確には、それは爆発じゃない。まるで網のように大きく広がり、ルージュを呑み込もうとする巨大な口だ。

 シールドの一部が噛み砕かれ、そこから入り込むような衝撃にルージュの体は路地にまで吹き飛ばされた。

 アスファルトの上を転がる。魔力を使い切ったからか、それとも残量を鑑みてセーブされているのか、これ以上のシールドは展開されず全身に痛みを覚えた。


(くそ……)


 力の入らない体をなんとか起こし、大通りを確認する。

 今度こそ正真正銘の、最後の一撃だったのか――ケモノの姿はない。

 今のはなんだったのかと、何もない大通りを見つめながら漠然と思考を巡らせる。

 自在に操作可能な『魔力弾』は、軌道を操るだけでなく、時限式の爆弾のようにも使えた……という訳だろうか。


(……自爆……?)


 ふと、疑問。

 あれは自爆というより、〝捕食〟だ。

 もしも……どうなっていたか。

 恐らくケモノは消滅せず、ルージュを喰ってその魔力で存続を遂げていただろう。

 あれは生きるための攻撃で――それに失敗したからといって、まだ消えたとは限らない。


「そうだ……っ」


 もう一体、あるいは二体に『猿』は分裂していて、だからこそ『口』がルージュを喰おうと襲ってきたのだ。あれは『猿』じゃない。『捕食器官』と『本体』とに分かれた異形だ。

 目に見える形でなく、魔力を通して繋がっているのだろう『口』が呑み込む先にケモノの『本体』が――そう思い至った瞬間、ルージュは背後に気配を感じてゾッとした。



 振り返れば、さっきよりも巨大な闇が口を広げていて――



――っ!」



 開いた口を塞ぐように――黙らせるように。


 空から降ってきた何者かによって、『口』が上から押し潰され――黒い光が弾け飛んだ。


「ふう……」


 と。


 目の前に舞い降りた魔法少女は一息ついて、腰が抜けて動けないルージュを見下ろしてにかっと微笑んだ。



「待たせちゃったねー、後輩ちゃん? 私が来たからにはもう安心。魔法少女みらくる☆とまりん、参上だぞ?」



 ……………………。



「……ねえ、なんか言ってよ。寒いじゃん……」



 それがこの街を数年間一人で守ってきた魔法少女、みらくる☆とまりんとの――



「ごめん今の忘れて! 冗談だからぁっ!」



 炎のように顔を赤く熱くする彼女との――出逢いだった。



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