01 炎のように紅く、熱く(1)




               × × ×




 ――切りなさい、品がない。


 祖母は事あるごとに、口を開けばそう言った。

 そのたびに心の中で思った。


 ……うるせえよ、クソババア。


 想うだけだ。口には出せない。

 染めなさい、切りなさい……祖母のお小言。叫び出したい衝動を堪え、耐え忍び、無視を決め込んでいるうちに、祖母も呆れ果てたのか、いつ頃からか顔をあわせても口をきくことはなくなった。


 家族関係は冷え切っていた。

 父は仕事人間で、厳格な祖母に私を預けて家に帰ることは滅多になかった。まだ学生だった叔母だけは私に優しくしてくれたし、唯一の遊び相手で、私にとって光のような存在だったけれど、大学卒業と共に家を出ていってしまい、私は独りになった。

 人の住めない極寒の地とまでは言わないが、その武家屋敷じみた日本家屋は広さの割に住人は私と祖母の二人きりで、空き部屋が溢れ、閑散としていた。

 与えられた部屋はひとりで使うには広すぎて、冬は隙間風に震え、布団の中で縮こまって、どこからか聞こえるラップ音に怯えて過ごした。


 ――〝ひとり〟でいることが恐くなったのは、きっと幼い頃からのそうした体験のせいだろう。


 ずっとひとりだった。人付き合いが苦手で友達もつくれず、この見た目のせいで何もしてないのに怯えられ、人が離れた。そういう他人に嫌気がさして、その苛立ちが顔に出る。一度はまった悪循環からはなかなか抜け出せなかった。


 原因はこの髪にあるのだろう。長い、腰まである金色の髪。

 名前も容姿も、髪以外は全て日本人然としているから、この金髪は違和感そのものだった。小学生の頃なんか、同級生ならまだしも、教師からさえ染めているのかと言われるほど、様になってない。

 この髪を黒く染めれば、そして短く切り揃えれば、祖母だってもう少し優しくしてくれたのかもしれないし、友達だって出来たのかもしれないけれど。


 この髪は、私をこの世に産み落として死んだ、母との唯一の繋がりだから――


 たとえ似合ってなくても――



 ……切りなさい。



 たとえ孤独が苛もうとも――



 私は。



『あなたが、わたくしは炎を授けますわ』



 ……私は。




               × × ×




 叔母が言ってくれた――大人になったら、その髪が似合うようになるから。


 金色の長髪が似合い、美しく、それでいて気さくな大人の女――それが理想。

 誰もが目を奪われるような、全てを燃やし尽くすような――鮮烈な赤に染まる。


 魔法少女ラフ・ルージュ。


 なにものにもとらわれない――深紅の魔法少女。


 腰まである金色の髪は実際より白く細いうなじを誇張するようにまとめ上げられ、体格も大人びたスレンダーなものになっている。

 衣装は肩と背中を大胆に露出したワンピースタイプのドレス。身体のラインを際立たせるように密着していながら不思議と動きの妨げにはならず、スカート部分も深いスリットが入っている。

 金髪に紛れて何か動物の耳じみたものが垂れていたり、首や手首、足首に枷のようなものがついているものの、それ以外は全て理想通り。

 フリルのついたドレスの似合う『魔法少女』とは程遠いが――


「死ねコラぁっ!」


 舞踏会で参加者たちの注目を一身に集めるような流麗であり可憐なその容姿に反して――あるいは適して、彼女の戦い方は苛烈で直接的だ。


 近付いて、ぶん殴る。


 武器代わりの〝魔法の杖〟はあるが、彼女は直接素手で相手を殴る。拳を通して自分の魔力を相手に付与エンチャントし、それを爆発させるのだ。敵は大概その一撃で爆発四散、消え失せる。


 敵――人の心に巣食う闇、それを具現した怪物。


 ケモノだ。


 形状は様々だが、その見た目や質感はまるで霧のような煙のような、あるいは質量をもった黒い光。物質化され可視化した、形を持った魔力の塊だ。


 ケモノはストレスを抱えた人間から自然発生する。そうなるとケモノはストレスの原因を解消しようとするように、よくある例で言えば、『親』となった人間を苦しめる存在を襲うのだ。

 襲うと言っても、その〝結果〟は単なる事件や事故と処理され、ケモノの存在が世間に露見することはない。そもそもケモノは一般人には認識されないためだ。しかし最悪の場合、襲われた人間は意識を喪失し、死に至る。近年では原因不明の病として扱われるようなケースだ。

 魔法少女の役割は、そうなる前に、ストレスを抱えた人間からケモノを摘出して消滅させることである。


 人知れず人を守る正義の味方――とでも言えれば格好がつくのだが、彼女にとって魔法少女は、ケモノを倒すその役割は、ストレス発散に都合のいい、日々の抑圧から解放される非日常の世界だった。


 人間から抽出されたケモノは、それこそ生まれたての赤ん坊のように、自分の意思や行動目的というものを持たないから、喚く代わりに攻撃こそしても、大抵は動かずジッとしていることが多い。そこに近付いてぶん殴る、そうすれば戦闘は終了だ。


 少なからず魔力を使うことで彼女の鬱屈とした気分もすっきりと晴れ、ケモノを抽出すれば、ストレスを抱えていたその『親』の心も幾分かは優れる。

 ケモノはいわばヒトのストレスを肩代わりして消えてくれる体の良いサンドバッグだ。


 ……反撃さえしてこなければ。


「くっそなんなんだよこいつはぁっ!?」


 それは戦いにも慣れてきた(と思っていた)ある日のことだった。


 せっかく変身して美女になったのだから、言葉遣いもそれっぽくしてやろうと思っていたにもかかわらず、そんな余裕も吹っ飛ぶような強敵と出くわしてしまったのである。


 いつも通り近付いて殴ろうとしたら、避けられたのだ。

 反射神経とでも言えばいいのか、そのケモノは彼女の初撃をかわすと、警戒するように距離をとって彼女を近づけさせず、彼女の出方を窺うようにじっと動かなくなり――かと思えば、接近した彼女の意表を突くように、腕を伸ばして仕掛けてくる。


 その攻撃は、自動で彼女を守る障壁シールドが対処するから、構わず突撃することも出来るのだが、敵は攻撃が当たらないとみるやすぐさま跳び退き、彼女と距離をとってしまう。


「ちょこまかと……!」


 それがまた素早いものだから、彼女の苛立ちは募る一方だった。


(運動不足ってやつかよ、くそ、追いつけねえ……!)


 身体は変身前の普段以上に動くものの、それもベースあってこそだ。『身体強化ブースト』の魔法は肉体のスペックの限界を引き出すもので、日常的に体を動かしているならまだしも、学校の授業ぐらいでしか運動しない彼女の限界などたかが知れていた。


 人のいない、周りを建物に囲まれた路地で――ケモノとの戦闘による被害を出さないために作り出された『結界』の中で――彼女はそいつと数メートルの距離を挟んで対峙する。


 敵は、猿のような形状をしていた。

 両足で地面を踏みしめ、ある程度の長さまで伸縮自在な両腕を力なく下げた格好でやや前屈みに立っている。全長は二メートルくらいか。この大きさで俊敏に動く姿はさながらバスケットボール選手だ。現にボールのように固めた魔力の塊を投げて攻撃してくる。

 おまけにそのボールは遠隔操作できるのか、「外してんじゃねえか、ばーか!」と嘲笑った彼女の背後から、横を抜けていったはずのボールがターンして襲ってきたりもするのだ。


 ≪『魔力弾バレット』ですわ。自分の体の一部を削って攻撃してるのですわ≫


 ……なるほどそれらしい、知能のある、初めて当たるタイプのケモノだった。


 ≪苦戦してるのは単にあなたが考えなしに突進してるからですわ!≫


 ……その通り、実際のところケモノに知能なんてあるはずがなく、それはケモノを構成する魔力ストレスに原因があるのだろうが、彼女はまるでしてやられたかのように少しずつ疲弊していた。


(これがあたしの限界ってか……っ)


 身体の動きが戦闘開始時より遅くなっているかと思えば、


 ≪体力及び魔力の消耗が激しいですわ。身体強化にかける魔力量を少し減らしましたわ≫


 ……ということらしいが、要するに疲労が原因で、それはつまり日ごろの運動不足のせいであり、自分の限界ということだ。


 ――魔法の力があればなんでも出来ると思っていた。


 しかし実際は憎たらしい父も祖母もあの家も燃やすことは――魔法で一般人に危害を加えることは出来ない。

 友達を作ることさえ――『火属性』である彼女には、他人の精神に干渉して自分に好感を持たせるようなことは難しい。


 せいぜいが、体育の授業で身体強化を用いて男子顔負けの活躍をするくらいだ。それも自分の力でやっている訳ではないから、正確には「運動」にさえなっていない。ただ目立って、そして後からどっと疲れるだけだ。

 そして今の状況は、そのツケが回ってきたとも言える。


(結局あたしは……)


 調子にのって、自分の力を過信して、摘出さえしなければこの世に現れることもないケモノを呼び出してしまった。それは檻の中の猛獣を人里に解き放つような行為に等しい愚行だ。あれを倒せなければ、いったいどれだけの人が――


 ≪救援を呼びましたわ! だからそこまで思いつめる必要はないですわ! あとは応援が駆けつけてくるまでの、それまでの辛抱ですの!≫


 ……結局、自分の力だけでは何も出来ない。

 だからこそ日々に、孤独に苦痛を感じて、そのくせ父や祖母には何も言えない。魔法で危害を加えることが出来たとしても、きっと最後の一線を踏み越えられない臆病者なのだ。


 ≪顔を上げるんですの、ラフ・ルージュ!≫


 他人から――自分に魔法の力を与えてくれた使い魔であっても、誰かからその名前を呼ばれると、少しだけ顔が熱くなる。


 ≪そんな一線は踏み越えなくてもいいんですわ。あなたはちゃんと、冷静な判断に基づいて行動してますの。今のあなたにとって、家族の存在は必要ですわ≫


 まだ中学生に過ぎない彼女にとって、保護者の存在は重要だ。多少料理は出来ても生活費を稼ぐ能力がないし、中学生の彼女を雇ってくれる真っ当な仕事も見つけられないだろう。水道代や光熱費、保険料など、そういった諸々の支払いの方法だって知らなければ、家族の死を隠し通すことも、露見したのちの葬儀だって――


 今の彼女には一人で生きていくための能力が足りないのは当然で、家族の存在は必要なのだと。頭の中、あるいは心の内から聞こえる『声』は、自身が現実離れした存在であるにもかかわらず、言っていることはいちいちもっともで、確かな説得力が彼女を冷静にさせる。


(だけど――)


 ≪これほど厄介なケモノということは、放っておいてもじきに自然発生していましたわ。そうなれば被害が出る前に対処するのは不可能と言っても過言じゃありませんの! こうして『結界』に閉じ込めることが出来たのは正解でしたわ!≫


 ストレスを抱えている――ケモノを生み出すに足る魔力を蓄積している人間を見つけたのはこの『声』だし、放っておくと厄介だと進言したのもこの『声』だが……それでも、『彼女』は励ましてくれる。


 ≪応援を待つまで持ちこたえますわ。いいですわね?≫


「あぁ……」


 それくらい、やってやる。


 ≪その意気ですの!≫


 顔を上げ、しかとケモノを見据える。


 たとえ単なる時間稼ぎでも――負けてたまるか。



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