03 跡羽実来について(1)
× × ×
なぜなら、
(あたしがいるから)
自意識過剰や被害妄想と言われるかもしれないが、以前、ホームルームが終わってから少し駄弁っていた連中も、教室の真ん中の席に居座る湖咲に迷惑そうな目を向けて出ていった。周りを気にせず自分たちの世界に浸っていながら、ふと目に入った邪魔者の存在が疎ましくお喋りに集中できないのかもしれない。身勝手な連中だ。
あるいは、当の本人がいる前で陰口を叩くことが躊躇われるのか。
思いつく妥当な理由としては、目つきも悪ければ態度も悪い不良風なクラスメイトがいる教室じゃロクに世間話も出来ないといったところだろう。
なんにしろ、過去のそうした経験が湖咲の心に深い影を落とし――それでも、開き直るように湖咲は教室の真ん中あたりにある自分の席に座って眼鏡をかけ、ノートを広げて宿題を片付けている。
教室はまだまばらに生徒が残っているが、それらもすぐにいなくなるはずだ。
迷惑に思われていても、家には帰りたくなかった。
だから放課後はすぐに下校せず、いつもこうして教室に残っている。宿題が終われば空が暗くなるまでその辺をぶらつくのだが、前に補導されかけたので最近は陽が沈む前には仕方なく帰宅していた。
ただ、今日はそんな消極的理由から居残っている訳ではない。
「ミッキちゃんー、終わったー? わたし終わったー。日誌持ってったー」
教室の入口から間延びした声が聞こえてくる。勉強している振りをしながらちらりと窺えば、ちんまりした少女が間抜け面をしていた。彼女が呼びかけているのは当然湖咲ではない。
「ありがとー。私も……、」
応えるのは、さっきから教室の中をうろうろしていた黒髪をセミロングにした少女だ。彼女は今日の日直で、クラスメイトたちの多くは日直が仕事をしている間は教室に残っている。
とはいえ、真面目に日直の仕事をこなすのはクラス委員でもある彼女――
その実来は困ったような顔でちらちらと湖咲に視線を向けている。何か感じ取ったのか、居残っていた連中もどこに寄り道するかを話しながら教室を出ていった。
「…………」
湖咲は何も気付かなかった風を装って勉強に没頭している……フリをする。
すると、
「えーっと……紅坂さん?」
「…………」
今は眼鏡をかけているから幾分か「目つきが悪い」という印象を軽減できていると思うが、湖咲は「聞いてはいる」という反応をするだけで顔は上げない。
「もう少し残るんなら……帰り、カーテン閉めてってもらってもいいかな……?」
……そんなお願いをするのは、日直の中でも彼女くらいのものである。他の生徒は湖咲に声をかけることなく帰るし、そもそもみんなわざわざカーテンまで閉めない。窓の施錠だってロクにせずほったらかしにする者もいるくらいだ。
「……ん」
湖咲が軽く頷くと、「ありがと」と聞こえるか聞こえないかという程度の声量でつぶやいて、実来は足早に教室を出ていった。
(…………)
――そんなつもりはないけれど。
そうやって、彼女に声をかけてもらうためだけにこうして居残っているのだとしたら、自分はなんて不器用で子供っぽいんだろう。
「ですわ」
「……うるせえよ」
教室に人がいなくなったので、眼鏡を外す。すると『勉強頑張ろうモード』も解けて、気が抜けるようなあくびが漏れた。
「せっかくだから、一緒に帰ったら良かったですのに」
眼鏡を外したからではないが、目の前に小鳥のような赤い生物が浮かんでいるのが見える。ぬいぐるみのように柔らかそうな黒いくちばし、ルビーのように紅いつぶらな瞳、全身は赤い羽毛に包まれている。ぱたぱたと羽を動かしてはいるが浮かんでいることとは関係ない、ボディランゲージのようなものだ。
――ラヴィ。湖咲を魔法少女にした『使い魔』である。
普段から近くにいるが、姿を現すのも声をかけてくるのも大抵は周囲から人がいなくなった時だ。別に一般人からはその姿も声も認識されないのだが、それに反応する湖咲に配慮してのことだろう。
「……余計なお世話だっつーの」
答える湖咲の声は明るかった。本心から余計なお世話だと思うものの、それで苛立つことはない。
知っているからだ。
こんな自分でも心配してくれる人がいるということを。
そして――今のあたしは一昔前の荒んでいた頃とは違うから。
× × ×
魔法少女みらくる☆とまりん――彼女はこれまでこの界隈唯一の魔法少女として、人々の心の平穏を陰から守っていた先輩魔法少女だ。
湖咲の窮地を救い、〝不意打ち〟というのもあったが一撃で『猿』のケモノを仕留めた実力者であり、そして――社会人でもある。
「……え? じゃあ
「女に
「ちょっ、わっ……!」
それじゃ魔法少女じゃないのでは、などと言いかけた湖咲に抱き付き、セクハラ親父よろしく体をまさぐる先輩である。
本名を泊木
見た目は十代半ばといった年頃の少女だ。
大きく肩を露出したフリル満載のドレス姿で、胸元にリボン、着物の帯のように巻かれたリボンが背にあり、湖咲とは違っていかにも魔法少女な姿をしている。
お互い〝変身〟しているため〝実際の姿〟は分からない。そういう付き合いだ。だけどあれ以来、何度か会うようになった。といっても湖咲が応援として呼びつけているためだが、それでも泊木は毎回来てくれた。
社会人らしいのでいろいろと大変なはずだが、仕事の合間を縫っているのか、それとも魔法でなんとかしているのか、申し訳ないと思いつつも頼ってしまう湖咲に、彼女は良い気晴らしになると言ってくれる。
友達、というのとは何か違う――それこそ先輩後輩のような間柄。
その日はケモノを倒した後に、なんとなく、流れで近くの公園で話していた。
夕陽に朱く染まる砂場で子供たちが遊んでいる。彼ら彼女らは木陰に隠れたベンチに座る二人には気付かず、楽しそうに砂を集めてなんだかよく分からない像を作っていた。
「なんとなく……」
泊木がぽつりと呟く。
「聞いてなかったんだけど、また、あの『猿』と戦ってたね?」
「…………」
あれから何度か戦っている。相手の手の内は知り尽くしているにもかかわらず、湖咲は未だあのケモノを一人では倒せず、今日も泊木の手を借りることになった。
あの『猿』のように反撃してくるケモノとも数回だがやりあってきて、泊木を呼ぶのもそうした場合だが最近では一人でも倒せるようになってきたのに。
「……いろいろ、考えて」
動けなくなった、その隙を突かれるのだ。
攻撃してくることもあれば、なりふり構わず逃げることもある。逃げながらも分裂し、まるで地雷のような『魔力弾』を仕掛けたりと一つの攻撃手段で多彩な戦略をとるが、湖咲はその全てに意味を考えてしまう。
どうしてこんなことをするのだろう、と。
ケモノは生物ではないものの、生物のように何かしらの行動原理に基づいて行動する。それは単純な生存本能――ケモノは自ら魔力を生成できず総量にも限りがあるため、他者から奪って自身を維持しなければならないから――だけではない。
その姿をしていることも、その特性も、『親』となった人間の感情や記憶、精神性が影響しているのだ。
ケモノを倒しその魔力を吸収できればある程度の構成情報を読み取れるのだが、生憎と『猿』は自爆するような戦い方をするため、得られる情報も断片的だ。
ラヴィがかろうじて分かったのは――ケモノの『親』は〝自分〟への執着が極端に薄いこと。
だから、あんな戦い方をする。
「相当根深そうだね……」
倒しても、短期間のうちに、きっかけがあればケモノが自然発生できるレベルまで『親』の中に魔力が
湖咲のように魔法少女の素質のある人間には、稀にそういうことが起こるものらしい。一般人より魔力生成量が高いのだ。しかしあのケモノの『親』はそうではないという。魔法少女として認められるほどではなく、一般人にしては高い方、という位置づけだそうだ。
ただ、こうして何度となくプールが溜まるようであれば、話はまた違ってくる。
あるいは、湖咲がケモノを摘出せずにその魔力プールが溜まるに任せれば、それに目をつけて使い魔が現れるかもしれない。
(だけど……)
魔法少女の素質とは別にして、使い魔はその人間性も判断の基準に含むらしい。
魔法を悪用しかねないような人間は魔法少女には選ばず、〝要監視対象〟に留めるのだそうだ。プールが溜まれば近くの魔法少女がその対処をする、といった具合だ。
あのケモノの『親』がそんな悪人だとは思えないが――やっぱり、魔力が溜まるのを見過ごすのは心苦しかった。
そのぶん、『親』はストレスを抱えているということだから。
いったいどんな想いを抱えて日々を過ごしていれば、あんな特殊なケモノを生み出すような
「まあ、人間生きてりゃいろいろあるよ」
泊木の今の見た目は変身前の自分とそう変わらないのに、こぼれる言葉にはいちいち年齢を感じさせる重みがあった。
「私も……昔は結構荒れてたからなぁ」
「……荒れてたんですか」
「いや、不良って訳じゃないよ? 心の中が大荒れだったのよ。だけど、表面は凪いだ水面のように静かで」
内側に、人には言えないいろんな想いを抱えて生きていた。
苦しくて、どうしようもなくて、誰かに吐き出したくても、そうすることでその誰かに重荷を負わせるようで躊躇われて――
「そんな鬱屈としていたある日に、コンフィが現れた」
コンフィ――ラヴィが『火属性』の気質を持つ者の前に現れる使い魔なら、そちらは『水属性』の気質を持つ人間の前に現れる。
湖咲は実物を見たことはないが、ラヴィいわく「話が通じないやつ」らしい。とはいっても、ラヴィに言わせれば他の二匹も同様のようなので、つまりはそういうことなのだろう。
コンフィの性格がどうであれ、一般人に魔法の力を授ける存在であることには変わりない。
「魔法少女になって、ストレス発散できたのもあるけど、一番大きかったのは――私にはなんでも出来る力があるんだって、可能性を感じたこと」
ま、実際にはいろいろ『制約』があって自由効かないんだけどね、と泊木は苦笑して、
「私が望めば、いくらだってこのつらい状況を変えられるんだっていう……希望。私が魔法少女になれたのは、ほっとくといくらでもタチの悪いケモノを生み出しかねないっていう〝魔法少女の素質〟があったからで、いわば〝口封じ〟みたいな理由からだけど」
そんな暗い過去も、今に繋がると思えば――と。
「魔法少女になってなければ、〝今の私〟はなかった。きっと相当腐ってたし、もしかしたら人くらい殺してたかもしれない」
「…………」
「それが今や正義の味方だよ」
魔法少女になれて良かった。
それは悩める誰かを、そして何より自分自身を救うことの出来る力で、他人を知って、今より少しだけ優しくなれる手伝いをしてくれるから――
「うちの会社の上司どもも、その上の連中に悩まされてるんだって分かるし、私に心救われてんだって思うと多少怒られても受け止められるしね。誰のお陰でストレス抱えずに済んでんのよって言いたくもなるけどさ。正義の味方っていうか……家庭の味方? ストレスを家に持ち帰らないようにしてあげてる」
「会社」
「おっと。私は今をときめく大学生って設定で」
「あはは……」
ふっと息をついて、泊木は言った。
「そんなに気になるんならさ、声かけてみたら?」
「……え?」
その顔を見ると、まるで、気になってはいてもあのケモノの『親』とは話せてもいない湖咲を見透かすように――やっぱり『水属性』なのだなと思わせる、優しい笑みを浮かべていた。
「魔法少女のお仕事は、何も戦うことばかりじゃないよ」
「…………」
「仕事っていうか……なんていうかさ」
言葉を探すように泊木は砂場で遊んでいた子供たちを、その迎えにきた親たちを眺めて、
「そんなに悩むくらいなんだから、きっと、誰よりるーちゃんが、その子のことを分かってあげられるはずだよ」
柔く微笑む横顔は、記憶の奥にある叔母の顔を想起させた。
「――――」
……そうだ。
こんなあたしにも、親身に接してくれる人がいて――救われたんだ。
希望だった。
(なれるかな)
あの子の希望に。
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