09 かつて魔法少女だった君へ(2)




               × × ×




 その髪がとてもきれいだったから――


 陽射しを浴びるときらめくような、腰まで伸びたその長い髪が――きれいだったから。


 仲良くなれたらいいなぁって思っていて、思っているだけで、機会がなかったから言葉を交わすこともなく日々は流れて――


 気付けば、



(こさっちゃん……?)



 目の前に、彼女がいる。

 愛論めろんの知る彼女よりどことなく大人びているが、間違いない。

 アスファルトの上に広がった金色の髪、端整な顔は苦しそうに歪められ、細い首には小さな手が添えられている。


 その手が彼女の首を絞めていた。


「あ、……ろ……」


 絞り出したような掠れた声。涙に濡れた赤い瞳に映っているのは――



(わた、し……?)



 ……頭が痛む。

 ずきずき、じりじり。まるでプログラムの処理に追われるコンピューターみたいな気分。昔、本屋でなんとなく気になって開いた数学の参考書を覗いた時のよう。

 見るべきではなかった、子供にはまだ早い――そんな、現実。


 つい最近も……いつだったろう、同じような感覚に襲われた。


 確か――えっと……何か、目には見えないのにそこに在ると分かるモノを掴んだ時だ。あの時も酷い頭痛に襲われた。


 詳しくは思い出せないが、それがなんにせよ、その時ほどの苦しみはない。

 そして、まるで画面越しに眺めているかのように現実感が希薄だった。


 自分の目で見ているのに、映る景色はどこか遠くに感じられる――


 それも仕方ないと思う。

 だって、こんなの――大事な友達に馬乗りになって、その首を絞めているなんてこと――ありえない。

 なんて酷い夢だろう。どうして自分が湖咲こさきの首を絞めるというのか。


(それはまあ、こさっちゃんの首はきれいだし……)


 きっと苦しむ姿さえ、きれいなのだろうけど。


「あい、ろん……」


 涙が溢れて、目の端からこぼれ落ちる。

 湖咲は苦しそうにしながらも、柔らかく微笑んだ。


(こさっちゃん――)


 その直後、横殴りの衝撃に襲われ、愛論の意識は吹き飛ばされた。




               × × ×




「もういいよ」


 愛論を蹴り飛ばす。その体は呆気ないくらい軽々と飛んでいき、遠くの瓦礫にぶつかって動かなくなった。


 どこかで瓦礫の崩れる微かな物音が聞こえるだけの、無人の街。ひと気はない。

 崩れた建物の瓦礫がそこかしこに出来上がり、車道は爆発でもあったかのようにアスファルトが砕かれ焦げ跡が焼き付いている。

 その光景に、首をかくりと傾けたまま力なく四肢を投げ出し倒れる一人の少女。


 ――まるで戦場だった。


 しかし、まだ足りない。


(もっと絶望した顔が見たかったのに)


 貴世たかせはアスファルトの上に倒れる湖咲の顔を覗き込む。


「ねえ、何その顔? もしかして気持ち良くなっちゃったの? 首絞められて? とんだ変態だねえ、こさっちゃん? マゾなの? うん? それならさあ、私にももっと興奮してよ。私の方がもっと酷いことしてあげたでしょ? ねえ、ねえったら」


 ごほごほと咳き込む湖咲の胸の上に。黒いブーツは彼女の呼吸を阻む重りだ。ゆっくりと体重をかけ、湖咲の苦しむさまを見下ろして貴世はその表情を堪能する。


「ねえ、もしかして……『アイロンになら殺されてもいい』とか思っちゃったぁ? 重いよぉ、重すぎるよぉ、そういうのぉ……うふふふ」


 湖咲の表情に戦意が戻る寸前に、貴世はその上に馬乗りになって、湖咲の両手を押さえつける。手首を地面に押し付け、こすりつけ、鈍い痛みに顔をしかめる湖咲の瞳をじっと覗き込んだ。


「変身して、魔力に覆われても……痛みは感じる。体温も変わるし、汗だってかく。だってそうじゃなきゃ、〝自分の身体〟だっていう感覚が得られないから」


 右手で湖咲の左手に指を絡め、力のない彼女の腕を移動させ右膝で押さえつける。貴世は自由になった右手を覆う黒い手袋の中指を噛んで、すっと手を抜いた。


「変身っていうのは、その言葉通り、魔力で自分の身体を作り変えるもの」


 その右手を湖咲の身体にぴったりと押し付け、ゆっくり這わせていく。


「変身していても、この身体はあなたのもの。あなた自身」


 湖咲の身体が硬くなるのを感じ、貴世は薄らと微笑む。そのまま右手を這わせ、小さな手形のついた白い首に触れた。


「こうして密着させているとね……? ……?」


 たとえば、首を絞めるように。

 こうした――


「か……っ、」

「苦しい……?」


 魔法少女を殺す、ごく簡単な方法。


 白い喉を絞める指に強弱をつけて、指先に感じる脈動を、酸素を求めてあえぐ姿を堪能しながらも、暴れようとする湖咲の体をしっかりと押さえつける。

 ただ、苦しさから暴れはするものの、今の湖咲からは貴世に抵抗し拘束を逃れようという意思は感じられなかった。

 少し前まではあんなにも強気で、怒りを露わにし、きれいな顔に似合わず――もしくは様になった汚い言葉を吐いていたのに、すっかり大人しくなってしまった。


「どう……? そろそろ、変身解けそう……? 魔力なくなっちゃった……?」


 身も心もくたくたになって、悪態の一つもつけなくなった時こそ、真に魔力が生み出せなくなる。


(文句が言えるうちは、まだ魔力切れとは言えないから)


 だから徹底的に痛めつけた。身も心も。


「諦めた方が楽になれるって誘惑、魅力的でしょう……?」


 さっきまで蒼白かった湖咲の顔は少しずつ赤く上気していた。いじらしく、色っぽいその表情に、貴世の興奮は助長する。吐き出す声は熱を宿し、呼吸は浅く、荒くなる。


 ……動悸が治まらない……!


「あんなに頑張ったのにねえ……? 結局こさっちゃん、なぁんにも出来なかったねえ……? 今の気分はどぉう……? 悔しい? 悲しい? それとも……もう全部ダメになって、どうでもよくなっちゃって――気持ち良い……?」


 貴世の黒髪がこぼれ、湖咲の頬に触れる。真っ直ぐに見つめ返す赤い瞳。重なりあう二人を覆うように、黒い『鳥』の影は地面に落ちている。


「私ね、聞いて……ずっと考えてたの。魔法少女になって、しばらくしてからね……私の他にも魔法少女がいるって知ってからね――私だけが特別じゃないんだって知ってね」


 湖咲は唇を噛んだまま、未だ毅然として、視線を逸らさない。愛論のことが気になるだろうに、目を離せば貴世が何をしでかすか――湖咲自身に対しても、愛論に対しても――分からないから、貴世の注意を自分に引き付けようと、懸命に。

 その姿が貴世の心を引きつけて、縛り付けて止まない。


「どうやったらそいつらを倒せるだろうって、ずっとね、考えてたの」


 ずっと、ずっと、考えていた。

 あらゆる方法を模索した。

 まずは自分に出来ることと出来ないことを探り、弱点を調べ、得られる限りの魔法少女に関する知識を使い魔コンフィから聞き出した。

 

 その全ては、同じ魔法少女を倒すために。


(私が一番だって、証明するために)


 勝つのは、必然。

 だって、準備にかけた時間が違う。考え抜き、計画を立て、自分にとって都合のいいフィールドを用意した。用意周到に準備万端。負ける方があり得ない。


「こさっちゃんは魔法少女歴、長いみたいだけど……実力の差を、経験の差を感じたけどね?」


 相手が誰であっても勝てるように、『人質』を用意した。

 魔法少女同士の戦いは心の消耗戦。先に心の折れた方が負ける。

 愛論は湖咲にとっての研磨剤として都合が良かった。

 愛論に対する想いから鋭く強くなる半面、心は細く削られていくのだ。

 湖咲の心はもう、きっとぼろぼろだ。

 指先で少し押してやれば、真ん中からぽっきり折れちゃうくらいに。


 それなのに、それでもひたむきに自分を睨む彼女のことが――


「あなたを見つけた時――興奮した。きれいだと思った。初めての相手に相応しい、倒しがいのある、美しい魔法少女……そんなあなたの苦しむ顔が、絶望に歪む顔が見れると思うと、ゾクゾクした」


 ただ、それだけだったのに。


 まさかこんなにも――愛おしく思えるなんて。


 滅茶苦茶に壊してしまいたいくらい、彼女の全てが愛おしい。


(私、おかしくなっちゃったのかなぁ……? 興奮しすぎて、この子を倒した時のことを想像しすぎて――頭、変になっちゃった)


 大切で、大事な、たった一人の友達がいて――その子だけが全てで。

 周りに溶け込めず、浮いていて、だけども、独りでいるからこそ花のように凛と、美しく咲き誇る――弱さを孕んだ強さの持ち主。


 そして人一倍に孤独を恐れ、愛に飢えている。


「メロンちゃんは誰からも愛される、可愛いお姫様。だけど、あなたは違う。メロンちゃんを独占したって、あなたが愛される訳じゃない。……分かってるでしょう? あなたは独り。いつだって、これからだって、ひとりぼっち」


 覗き込んだ赤い瞳に映る、自分の目。

 湖咲が唇を噛み、血が滲む。

 貴世はそんな彼女に優しく微笑みかける。


「でも、安心して? これからは――私が愛してあげる。私のものになるの。そうしたら、大好きなメロンちゃんとも一緒。一生ね? 私が飽きるまで。これでみんな幸せ、ハッピーエンド。素敵でしょ? だから――」



 だから――?



 ≪それが君の本当の望みなんだね≫



(――うるさい)


 心地好い陶酔感が台無しだ。気持ちが冷めて、冷静になる。

 このまま勢いに任せ、しまおうと思っていたのに――


(まあ、いいか)


 貴世は唇を噛む。口の中に血の味が広がった。


 気持ちを昂らせるためのお膳立てはもういいだろう。湖咲の表情も充分堪能し、彼女の劣等感もたっぷりと刺激した。


「――だから」


 改めて。


「……?」


 あとは――仕上げのみ。


(私の血を……)


 湖咲の頬に手を当て、必要なら口を開かせようと指で唇に触れて、顔を近づける。鼻が触れ合う距離まで顔を寄せると、湖咲の目が大きく見開かれた。

 そのまま……に、貴世が動きを止めた時だった。



「ん……っ!?」



 



「っ」


 貴世はすぐに顔を離したが、口の中には鉄錆のような味が広がって舌に染み込んでいた。

 ……ごくり。と。口内の唾液を飲み下す。


(思いの外、が……?)


 湖咲相手なら、と思ってはいたものの――言葉責めが効いたのだろうか。まさか湖咲の方から仕掛けてくるなんて思いもよらず。


(何か……)


 言わなければ。貴世の動揺を悟ったのか、湖咲が血の付いた唇を笑みの形に歪めて――



「死ね」




               × × ×




 どこか遠くで祭りがあると聞こえてくる、花火のような曇った爆発音に彼女の意識は揺り起こされる。


 前後の記憶が曖昧で、まるで永い眠りから目覚めたかのように――



「よう、お姫様。お目覚めかい?」



 あぁ、そういえば――そうだっけ。



「生憎と、王子様のキッスはもらえなかったみたいだけどさ」



 忘れていた大事なことが、胸の奥に封じ込めた想い出が――痛みと共に蘇る。



「そろそろ俺たちの出番ターンじゃないか? 今こそ約束の、"その時"だ」



 そう言うなら、そうなのだろう。

 そういう約束だった。





 おう、と応える声は頭の中から――



 ≪魔力の貯蔵プールは充分――あんたの望む全て、この俺が叶えてやるよ≫




                           <第1話> 了



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