04 私だけを見てほしい
× × ×
――運動するのは楽しい。
中でもスポーツ、バスケットボール。
限られた空間の中で全身を使って全力を尽くし、対戦相手のチームとボールを奪い合う。どんなスポーツにも言えることだが、特にチームスポーツは一人じゃままならないからこそ、チームで連携して苦戦を制した時の喜びがひとしおだ。
スポーツは自分との闘いであり、対戦相手との、そして味方との競争――競い合いお互いを高め合って、他人の全力を叩き潰して勝利を掴みとる悦び。
勝負は最後まで何があるか分からない。
ラスト数秒に決めたブザービーターによる逆転勝利。巻き起こる喝采の拍手、集まる羨望の眼差し――誰よりも輝ける瞬間。
チームのみんなが私を囲んで、一緒に喜んでくれる――連帯感。
誰よりも上手く、巧く、強い自信があった。
周りさえ――チームメイトさえついてきてくれれば、全国大会優勝だって夢じゃなかった。
そんな……他人を見下している心の内が見透かされたのか。
それとも単なる嫉妬だったのか。
「……死ねば良かったのに」
ある日、帰り道だった。
不意に背中に衝撃を感じ、突き飛ばされた。
車道に投げ出された体は、まるで狙いすましたようなタイミングで突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされ――
――私を形作る全てが、失われた。
× × ×
地鳴りのような地響きが続く。
体育館の床を突き破るのではないかというほど激しく、ボールがバウンドし、選手が跳ぶ。
エネルギッシュなその躍動はとても迫力があって、傍から見ているだけでも胸を熱くさせた。特に
壁際で退屈していた愛論も思わず手に汗握るような、単なる授業であるにもかかわらず周りを熱狂させるほどに湖咲は輝いていた。
「スーパープレーってやつだね! みんなも楽しそう! ね? きよちゃん!」
「……別に」
テンションの落差を感じつつも、
「みんな普段はこさっちゃんのこと恐がってるけど、こういう時はなんか違うね!」
「…………」
愛論はその隣でそわそわうずうずしながらも、膝を抱えて座っていた。
「ねえ、」
「何っ?」
食い気味に振り返ると、貴世は嫌そうに顔をしかめる。
「……あなたは、つまらなくないの」
「全然? 暇だけどね!」
足も頭もなんともないのだが、利き腕である左腕の骨折がまだ治らない。危ないからと体育は見学を言い渡され、母親からも早く帰宅するよう言われている。どうやら母は学校にも気を付けるようにと再三連絡しているようだ。
お陰で愛論はこの数日、窮屈で退屈な想いを抱えていた。やりたいことも出来ないし、日常生活にも不便が付きまとう。字を書いたり食器を扱うくらいは平気だが、それも普段に比べると格段に手間がかかる。
つまらなくはないが、いろいろと面倒で大変で、こうして一番の楽しみを見ていることしか出来ない現状に不満が募る。
せめてもの救いというか、唯一マシなことがあるとすれば、誰かの視線を感じないことか。
普段から運動していると、誰かに見られているような気がして、その視線が身体に絡みつき動きを妨げるようで少しだけ気持ち悪い。活躍し目立てば注目が集まるのは自然なことだが、愛論は特別目立ちたい訳ではないから、注目されても嬉しくなかった。
今日は体育館の片隅で膝を抱えているだけなので、誰の注目も集めなくて当然だけれど。
それにしても。
……暇だ。
「暇……暇、ね」
「だからきよちゃん、お喋りしよっ?」
「…………」
貴世は答えない。ただ黙って、ゲームに興じる湖咲たちを――ボールの流れを追っていた。
ふと思う。
「きよちゃんは……」
いつも、こんな想いをしているのだろうか。
事故に遭って怪我をして、走れなくなって――転校してきた当日に、担任が説明していた程度のことくらいしか知らないが――
この前、貴世の脚を間近で見る機会があった。その時に分かったのは、彼女が以前なんらかの運動をしていた経験があるのではないか、ということ。
たとえば、スポーツをやっていたなら……。
「ほんとに走れないの?」
ピクリと貴世の頬が引きつる。
「……何、それ」
顔を少しだけこちらに向け、険しい表情で睨む。
「私が、サボるために嘘をついてるって?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ」
「……なんとなく?」
本当に、ただなんとなく思っただけだ。
愛論はスポーツトレーナーの知識がある訳でもないから人の脚の違いなど詳しくは分からないが、普通の脚と、運動をしている人の脚の区別はなんとなくつく。
貴世の脚は、運動をしている人の脚だ。
それは引き締まり、適度に筋肉がついていることから本当になんとなく思っただけで、そして、訊ねたのは漠然と疑問に思ったから。
怪我をして走れなくなったというのなら、その脚からは筋肉が落ちているはずで、もっと普通の人の脚寄りになっているべきではないか。
「……リハビリを続けてるから。別に、完全に走れなくなった訳じゃない。走るのが難しくなっただけ」
「そうなんだ?」
愛論としては些細な、ちょっとした疑問で、別に何かを疑う訳でも咎めるつもりもなく、ただの暇潰しの話題に過ぎなかったのだが――貴世の表情は不思議なほどに硬く険しく、その瞳は苛立っているように見えた。
「きよちゃんも大変だねえ……」
「……っ」
「……あ」
聞こえよがしな舌打ちに、愛論は自分が失言をしたと気付く。
「ごめんねー?」
「……謝るくらいな喋るな。うざい」
「うう……」
さっきからずっと何を考えているのか分からない不機嫌そうな顔をしていたものの、今はもう完全に不機嫌なご様子だ。
愛論もさすがに気まずくなって、ちらちらと貴世の顔色を窺いつつも、話しかけることは出来なかった。
(うーん……)
愛論はたまにこうした失言をする。大抵はどうして相手が怒ってしまったのか分からなかったり、そもそも失言をしたことにも自覚がないのだが、今のはちゃんと自分でも「やってしまった」と分かった。
自分はどうしてこうなのだろう。少しだけ悩む。
他人の気持ちがよく分からない。
なんとなく、感覚で喋っている。
……たぶん、頭が悪いのだ。
(ごめんね)
心の中で謝ってみるけれど、当然貴世に伝わるはずもなく、彼女はつまらなげな目をして湖咲たちの方を見つめていた。
愛論は膝を抱えた腕に頬を寄せるような格好で隣の貴世の横顔を眺める。
退屈と窮屈に加えて、少しだけ鬱屈が加わる。
こういう時こそ体を動かしたいのに、それが許されない――
「?」
ふと視線を感じて、空気の変化を感じ取って、顔を上げる。
「…………」
試合の途中、湖咲がボールを手にしたまま立ち止まっていた。
これからシュートを決めようというところで固まったらしく、周囲の生徒たちも戸惑ったように動きを止めている。
「こさっちゃん……?」
湖咲はこちらを見ていた。目が合うと、我に返ったように顔を背けてボールを投げだした。試合は仕切り直しになる。湖咲は何事もなかったみたいに、周りの生徒には苦笑で応えていた。
その見た目の印象から恐がられている湖咲も、体育の時は活躍するのもあってみんなから声をかけられる。それはニクラス合同で、普段の湖咲を知る彼女のクラスメイトたちがいるからそう見えるだけかもしれないが、なんにしろ、体育の時は湖咲の表情も柔らかくなる。
先ほどまでは確かにそうだった。
けれど、今はどこか――気分が晴れないかのように、表情を曇らせている。
こころなしか、プレーにもミスが目立っていた。
「――お喋りしようか」
「え?」
不意に貴世が呟く。思わずそちらを見ると、貴世の視線は試合の方に向けられていて――その口元に、薄らと浮かぶ冷たい笑み。
(あ、闇属性……)
どうしてこんな感じがするのだろう。
彼女は何を考えているのだろう。
――気になる。
「うん、お喋りしよう!」
「……やっぱりやめようかな……」
× × ×
……ひとりになりたかった。
愛論は一人で帰路につく。
母からは早く帰るようにと言われているが、今日はなんだかすぐには家に戻りたくない気分で、どこに行く当てもないけれど遠回りすることにした。
人通りの多い大通りを歩く。様々な専門店が立ち並び、どこからか食欲を刺激する匂いが漂ってくる。車道には車が走り、見渡せばそこかしこに人がいる。肩を寄せ合いながら歩く男女とすれ違う。進行方向に見える歩道橋の上では携帯を手にした女子高生の姿。
楽しげにお喋りしながらファストフード店に入っていく少女たちを遠目に眺めて、愛論は隣にいない友達の存在に思いを馳せる。
(どうしたんだろ、こさっちゃん……)
いつもなら、放課後は湖咲が校門前で待っている。でなければ教室を出たところで出くわし、一緒に帰るのだ。
それが今日は、湖咲は何も言わずに一人で先に帰ってしまった。
考えるまでもなく、あのことが関係しているのだろう。
体育の授業の後、湖咲の様子がおかしかったから声をかけたら――なんだか、怒っていた。
「…………」
どうして怒っていたのか、愛論には分からない。
ただ、「怒っていた」ことだけしか分からない。
具体的に怒られた訳ではないし、そもそも口もきけなかったのだが、どことなく不機嫌そうで、声をかけようと近付けば逃げるように離れていってしまった。
避けられている、と感じた。
だから「怒っているのだ」と思った。
(でも、なんで怒ってたんだろ……? わたし、何かしたかな……?)
分からない。
湖咲の気持ちが分からない。
湖咲はいつも怒っているような恐い顔をしている。それがデフォルトだから仕方ない。
初めて口をきいた時も、湖咲は怒っているようだった。
『お前、なんでそんなに普通なんだよ』
その時は愛論の方に原因があった。今回はどうだろう。分からない。
――分からなくて、もやもやして、気持ち悪い。
胸の奥に重たくてどろどろしたものがわだかまっているような、嫌な感じ。
後先考えずに走り出して、体を動かしてすっきりしたい衝動に駆られるも、母の言いつけを破ることが躊躇われて踏み出せない。
この気持ちをどうにかしたくて、とにかくひとりになりたかった。
放課後はいつも湖咲と帰るから、彼女がいなければ自ずと一人になるのだけど。
それにしても。
誰もいない、本当に一人になれるところに行きたいとは思っていたけれど。
「……あれー……?」
どうしてこうも、誰もいないのだろう。
知らず俯いていた顔を上向け、愛論は改めて周囲を見渡した。
車道に面した大通りで、様々な店が並んでいる。正面のディスプレイ越しに見えるその店内にも誰の姿も見当たらず、不自然なくらい車道は空いている。路駐された車こそあるが、さっきから車が一台も通らない。
ひと気というものがまったく感じられなかった。
こうも静かすぎると、少しだけ寂しくなり、不安を覚える。
「…………」
まるで本当に独りになってしまったかのような。
もしかすると、湖咲の気持ちを分からなかったから、その報いなのではないか――なんて思ってしまって、愛論は視線を足元に落とす。
…………と、
不意に足音が響いた。
ゆっくりと、余裕を持った足取りを思わせる響き。
近付いてくる。
愛論は顔を上げた。
「……きよちゃん……?」
無人の街に、不穏な
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