06 終わる過日




               × × ×




「……………………」


 静か

 息苦しいまでの静けさ。

 まるで音を立てることも、笑顔を浮かべることさえ許さないといったような空気。


 ありふれた事故。誰にでも起こりうる不運。それがたまたま顔見知り、同じクラスの子だったというだけ。

 いずれは皆に降りかかる――


 死。


 それが告げられた時、みんな押し黙っていた。

 教師の報告で初めて聞いた者もいれば、なんらかの形で事前に知っていた者もいたのだろう。

 思い出したように、誰かがすすり泣く。それさえ許さないかのように空気は重く、重く――


(……………………)


 ――そんな昨日が嘘のように、教室はいつも通りの喧騒を取り戻していた。

 いや、少しだけテンションは低いか。

 他の教室や廊下なんて、憎らしいくらいに変わり映えしない。


 湖咲こさきが教室に入ると、また一段と静まり返る。こちらに気付いた誰かが声を潜め、それが他の誰かに感染するように広がって沈黙が落ちた。


(あ……?)


 今日の自分は、そんな些細なことなんて気にならないと思っていた。

 それだけ全てが麻痺していると思っていた。

 だけど、何かが妙だ。

 いつもと違う。


 ……嫌な感じがする。


(ラヴィ。身体強化ブースト


「いいんですの……?」


 普段は無視しようと努める陰口の中に、何か、聞き捨てならない単語が耳に入ったような気がしたのだ。


 耳の奥に熱が集まるような感覚があり、ぼそぼそと聞こえていた周囲のざわめきが鮮明になる。一気に飛び込んでくる雑音をより分けるように意識を集中し研ぎ澄ませて、その声を拾い上げた。



『………………?』


……』


『……――』



 ――――……人殺し……。



「……あたしが、殺したって……?」


 視界が少しだけ広がった気がした。身体強化のせいか。違う。目を見開いていた。

 耳鳴りがする。頭の奥がちりちり焼けるような感覚。懐かしい、憎らしい感覚。

 血の気が引くようにすっと全身の体温が落ちる。自分の心音がはっきり聞こえた。

 世界が遠退いていく。ただ鼓動だけが鳴っていた。



「おはよー」



 聞き慣れた、間延びした声が湖咲の意識を現実に引き戻す。


「っ」


 途端に雑音が襲ってきて湖咲は顔をしかめた。耳を塞いで蹲りかける。身体強化を切ると、一瞬自分の耳が遠くなったような錯覚を覚えた。

 普段の感覚を取り戻した湖咲は先の声の主を探して視線を走らせる。教室の入口、湖咲が入ったのとは別の戸口から何食わぬ顔で入ってくるちんまりとした少女。


 遥風はるかぜ愛論めろん――


(あいつの……)


 跡羽あとば実来みらいの、友人。


 それがどうして。


「お前……」


 気付いた時、湖咲の足は愛論に向かっていた。きょとんとした顔で自分を見上げる愛論に詰め寄り、その襟首に手を伸ばしかけて、そこでふと我に返る。周囲の視線に気付く。そんなことで勢いを殺される自分に苛立ち、悔しくて、


「…………っ、」


 呟きは滲むようにこぼれた。


「お前、なんでそんなに普通なんだよ」


 どうしてそんなにも、平然としているのか。普段通り、変わりなく、まるで何事もなかったみたいに。


「お前、あいつと……跡羽と、――仲良かったんじゃ、ないのかよ」


 それなのに。


「仲良かったっていうか……」


 愛論は首を傾げる。



「ふつう?」



「は……?」


 ふつう? ……普通?


 それは――愛論にとって実来は、なんてことない、他に大勢いる友達の一人に過ぎなくて、だから、だから……だから?


(そりゃあ、あたしには友達なんていないから、分からないけど)


 でも、そんな呆気なく、素っ気なく、簡単に忘れられるようなものなのか?

 たったそれだけの、その程度の――そんなものでしかない――


「ッ」

「わわっ……?」


 悔しくて、ただただ悔しくて、上手く言い表せない気持ちが弾けるように、気付けば愛論を突き飛ばしていた。


「…………、」


 教室の空気が波立つ気配を感じる。刺すような視線、耳障りな陰口、鼻につくような集団正義。しかして非は自分にあるからこそ、顔を上げられない。


 ……思い出す。嫌でも忘れられないと思っていたのに、いつの間にか記憶の底にあったこの悪循環の始点を。


(……そうだ……)


 小学生の、いつだったか。具体的な時期や問題のきっかけは漠然としているが、その時も今のように、子供じみた八つ当たりで誰かを突き飛ばした。大泣きした誰かと見下ろす湖咲を取り巻いて、周囲の中に固定観念めいた何かが出来上がったのだ。

 当時もその見た目から敬遠されていた湖咲は、それをきっかけに〝見た目通りの子供〟として扱われるようになった。

 それをまた、繰り返す。性懲りもなく、成長もせず。


(どうしてこう……)


 普段なら自分の中で爆発させるのに、周囲に人目のある最悪のタイミングで、思わず手を出してしまったんだろう。


(あたし、馬鹿みたいだ……)


 自分を見上げる愛論の戸惑ったような顔を直視できなくて、湖咲はその場から逃げ出した。




               × × ×




 跡羽実来は病院への搬送中、死亡した。

 交通事故、だったという。


 学校でそれを知らされた翌朝、朝食の席だ。湖咲は祖母が広げる新聞の片端に、小さくそのニュースが載っていることに気が付いた。

 それが真実なのだと、理解した。


 事故を起こした運転手は前後不覚の状態にあったらしいが、実来の死因は事故そのものというより、持病の悪化によるものだそうだ。


 跡羽実来が病気を患っていることは知っていた。

 激しい運動が出来ず体育の授業はいつも見学で、食事制限があるため昼食はいつも持参の弁当。

 定期的に通院しなければならず、放課後も自由に過ごせる時間には限りがある。

 友達は少ない。誰かと付き合うには、不自由が多い。


 そんな彼女と気兼ねなく、そして、人間がいるとすれば、それは――


 ……きっと。


 悔しいくらいに。




               × × ×




 教室で会ったら何を話そう。その前にどうやって声をかけよう。

 もしもちゃんと話せたら――


 応えてくれるだろうか。


 ――不安と期待を胸に、登校した。


 あの日の衝撃は忘れられない。

 教師から聞かされた、とうてい現実の出来事だとは思えない話。


(事故……)


 それはきっと、彼女と別れた直後に起こった。


「……本当に?」


 闇の中に呟く。

 行き場をなくした湖咲は屋上の隅で隠れるように膝を抱えていた。膝の中にうずめていた顔を上げると、陽射しが目に刺さる。降り注ぐ光に、目を細めた。

 授業の開始を告げるチャイムの音が聞こえてくる。

 だけど、教室には帰れない。


 あれは決定的だったから。


 教室で愛論を突き飛ばした。

 それだけでも充分だが、クラスメイトたちはその直前、湖咲のことで囁きを交わしていた。


 ――人殺し、と。


 誰かが見ていたのだろう、一昨日、湖咲と実来がともに校門を出る瞬間を。その後に実来が亡くなったのなら、湖咲がその死に関係しているのではと思うのは仕方ないのかもしれない。

 だって、


(……そうだ)


 明るすぎる空に、目が眩みそうになる。

 視界の隅で、陽を浴びてきらきらと輝くものに気付く。

 彼女が、きれいだと言ってくれた髪。

 遠い青に、燃えるようなあの日を幻視する。


『魔法が、使えたら……どうする』


 あんな言葉、届かなければ良かったのに。


『そうだね――』


 彼女は少しだけ、考えるように視線をすべらせて、


 それからふっと、



『誰にも、迷惑をかけずに――、』



 自分の口からこぼれた台詞に驚くように、実来は軽く目を見開いてから、まるで想いを閉じ込めるかのように瞼を閉じた。

 そして囁くように続けたのだ。



『――……死ねたら、いいな』



 もしも魔法が使えたら、誰にも迷惑をかけずに死にたい。

 そんなこと、きっと魔法の力でもなければ叶わないから。


(あたしのせいだ)


 何より自分が、そう思ってしまうのだ。

 あんな質問したから、彼女は死んでしまったんじゃないか、なんて。


(……あたしが、ころした)


 彼女は自分が心の奥底に抱えていた願望を自覚したのだ、きっと。

 そして、生きようという意思を失った。


 事故は偶然かもしれない。なんてことない、誰にでも起こりうる不幸だったのかもしれない。

 多少負傷はしても、数日後にはまたいつも通り、彼女は教室で笑っていたかもしれない。

 その可能性を――


(…………、)


 ふと視線を地上に戻すと、眩む視界の中に誰かが立っていた。

 小さな人影。

 まさか、と思った。


「あ、わっ、えっと、」


 そのまさかだった。

 目を細めると、しっかりその姿を捉えることが出来る。

 遥風愛論だ。


 そういえば、と思い出す。

 あの日、実来は「遥風さん待たせてるから」と言っていた。

 もしかしたら愛論は、実来の最期を――


「……なんだよ」

「え、えっと……そのー……」


 ぼうっとでもしていたのか、彼女はひとしきりわたわたやってから、


「こ、紅坂こうさかさん、あの……。ごめん、ね……?」

「…………」


 謝るべきはこっちなのに、どうして突き飛ばされた側の彼女が申し訳なさそうにしているのか。

 ……わけが分からない。

 こちらから謝ることも、彼女に応えることも出来ず、湖咲はそっぽを向くことしか出来なかった。

 そうしていると、躊躇いがちに愛論が口を開く。


「えっと……わたし、あの日……ミッキちゃんが事故に遭った日……」

「…………」

「待ってたんだよ。ミッキちゃんが、戻ってくるの。だけど、遅かったし、先に帰ってていいって、言ってたから、その……ママに、怒られるから、先に帰ったんだけど……」


 なんの話だと口もはさめず、湖咲は膝に顔を埋める。黙ったまま、嵐が過ぎるのを待つかのように身を縮こまらせる。


「紅坂さんは……ミッキちゃんに、会ったの?」


 ――こいつも、あたしを疑ってるのか。

 胸の奥をちくりと刺す何か。堪え難い感情が臆病をかき消して、湖咲は顔を上げ、睨むように愛論を見つめた。

 彼女は、愛想笑いのような、おかしな表情を浮かべている。

 ただ、湖咲に怯えているといった様子はない。

 まるで自分でもどんな顔をつくればいいのか分からないみたいに――


「ミッキちゃん、紅坂さんのこと気にしてたから……」

「……なんで」


 そんなはず――気付いたら、声が漏れていた。


「だって紅坂さん、ミッキちゃんのこと気にしてたでしょ……? だから」

「…………、」


 だから、なんだよ。


(全部、見透かされてたってことかよ……)


 その上で、実来は教室に戻ってきた。

 戻って、どうするつもりだったのだろう。

 会話とも言えない言葉のやりとりを思い出す。そこに淡い夢を見る。

 恥ずかしくなって、嬉しくなって――泣きそうになる。


「最後に、会えたんなら――」


 会えたよ。だけど。



「良かったー」



 ……良くなんか、ない。

 結局、彼女は――あるいはそれがきっかけで――


(……あぁ……)


 彼女は、不思議な笑みを浮かべていた。

 まるで、友人が何かを思い残すことなく逝ったことを「良かった」と、そう告げるみたいに。


(……悔しい)


 二人の間に繋がる何かが。

 良かったと、そう思えることが。


「なんで……あたしなんかを」


 気にしていたのか。こちらが気にしていることに気付いていたとしても、普通は、そう普通のヤツなら、むしろ湖咲に関わらないようにしようとする。敬遠する。避ける。

 自分から近づこうとするヤツなんて、声をかけるヤツなんて――これまで、知らなかったのに。


「だって――」


 彼女は知っているのだろうか。



「紅坂さん美人だし! 髪とか、すっごくきれい!」



 ……なんだよ、その理由は。


 呆れて声も出ない。


 だけど。


「……はは」


 想いが溢れて、とまらない。




               × × ×




 夕陽に染まる街を、紅い魔法少女が行く。


 跡羽実来は死んだ。その事実は、魔法であっても覆せない。

 その病を知りながら、治してあげることが出来なかったように。

 それは分かっている。だけど。


 実来の死後、その場所では新たに数件、同様の交通事故が起こっている。

 今のところ死者は出ていないものの――いずれも、運転手は前後不覚の状態に陥り、操縦を誤って事故を起こす。


 まるで何かに引きずられるかのように、次々と。


 人々は疑うことを知らない。せいぜいが、この場所で死んだ女の子の呪いとでも噂するのだろう。

 だけど、彼女は知っている。



 ――――――、



 横断歩道にそいつは立っていた。

 陽炎のように揺らめきながら浮かぶ、黒いヒトガタ。

 貌のない顔で、こちらをじっと見つめている。



「……跡羽」



 思い残すことは、なかったのかもしれない。

 けれど、そこには何かが残ってしまったのだろう。

 その内側で眠っていた――


 ゆっくりと、そちらへ向かう。

 そいつは動かない。

 次第に歩調は速くなる。

 そいつはまだ、動かない。



(終わりにする)



 ――誰にも迷惑をかけずに、死ねたら。



 それが彼女の願いなら。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女WF 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ