02 想像に震える




               × × ×




 賑やかさが膨らんで、それが少しずつ収束するような時間――


 ――今の私に似ている――


 放課後。


 転校してきて数日、当初はあんなにも執拗に絡んできたクラスメイトたちも、今では遠巻きに彼女を眺めるばかりで、誰も一緒に帰ろう、どこかに行こうと誘わない。


(別に、構わないけど)


 彼女は一人、帰り支度を整える。


「今日カラオケ行かない?」

「あ、いいね! 実は今日あたし誕生日で――、」

「げっ」

「……え? 『げっ』て何? え? あ、あたしたち友達だよね……?」

「いやぁ……せっかくサプライズしようと思ってたのになー、と」

「それならそれでサプライズしてくれたらいいじゃん!」

「それもそうだねー。……でもうっかりバラしてしまったわたしはどうすれば……」

「し、知らなかったって体でいくから、あたし! うん!」


 ……人付き合いは面倒臭い。

 放課後ほどそれが如実に出るものもないだろうと彼女は思う。

 今のはだいぶ特異な例であるが――


「タカセサン!」

「……は?」


 変わったアクセントだったが、目の前で声を上げられるとさすがに気付く。

 彼女――糸群貴世いとむらたかせは顔を上げた。

 ちんまりした女の子が朗らかな笑みを浮かべ、貴世を見つめている。

 クラスメイトの遥風愛論はるかぜめろんだ。


「タカセサン? 一緒に帰ろう?」


 今なお貴世に声をかけてくる希少なクラスメイトである。毎回すげなく断っているにもかかわらず、懲りずに毎日やってくるから鬱陶しい。

 愛論は誰からも好かれるようなクラスの人気者だ。貴世が断ろうと、愛論は一人にはならない。彼女はきっと誰かしらに誘われたり、自ら誰かを誘って帰るのだ。

 だからどうという訳ではないものの、貴世のように一人を好む――集団を厭う者からすると、輪の外にいる人間にやたらと構ってくるようなこういう人種は迷惑なことこの上ない。


「…………」


 貴世が考えるような間を置くと、愛論はまるで餌を前にして「待て」とお預けを喰らっている子犬みたいにうずうずしていて、本当に可愛らしい。


 あまりに可愛らしくて、



(めちゃくちゃにしてやりたくなる)



 微笑み返してあげたくなる本心とは裏腹に、貴世はつまらなげな無表情を浮かべて訊ねた。


「……一緒に帰ろうって?」


 帰って、それでどうするのか。常々疑問だった。愛論はいったい何がしたくて毎回一緒に帰ろうなどと誘うのか。

 今日はなんとなく、気が向いたから、普段は「一緒に帰らない?」「帰らない」で終える会話を続けようと思った。

 あるいは、そう思わせるのが遥風愛論の持つ魅力なのかもしれず――今日になって「帰らない?」ではなく「帰ろう?」と変えたきたのは、貴世の言葉を引き出すためだったとしたら――


 愛論はなんの裏も感じさせない笑顔で答える。


「お喋りしたい!」

「……お喋り……?」


 貴世の嫌いなことだ。


「タカセサンのこともっと知りたいから!」

「…………」

「あ、タカセサン? 帰りどこか行くの? ならわたしついてくよ!」

「…………」


 もしも自分がいかがわしい店にでも入っていったら、この子はついてくるのだろうか。


(まあ行かないけど。あぁ、でも……行っても、いいかなぁ?)


 この少女がいったいどんな顔をするのか、とても興味がある。

 この――同じ高校生とは思えないような容姿とそれに反しない純粋で天然っぽい中身をした少女が、いったいどんな表情を見せるのか、どんな目で自分を見るのか、そして――


 たとえば、


(私のせいで、知らない男にでも襲われることになったら――)


 押し倒され、組み伏せられ、服を破かれ、暴力を振るわれて……めちゃくちゃにされたら。



 ――ぞくぞくする。



 



「あ、



 ふと呟かれた謎の台詞に、貴世は顔をしかめる。愛論は笑顔のまま表情を変えず、貴世の目を覗き込もうとするようにぐっと顔を寄せた。


「何? 楽しいこと?」

「……何が」

「タカセサン? 笑ってたから」

「…………」


 ……イライラする。

 どうしてこう、「タカセサン?」といちいち疑問形というか、語尾の音が上がるような謎のイントネーションでひとの――そう、大して親しくもないくせにで呼ぶのか。

 いつまで経っても慣れそうにないし、直る気配がない。


 これからこの先ずっとこんな子に付きまとわられるかと思うと、うんざりする。


(いっそ本当に……)



 ――




               × × ×




「……ったく、あいつおっせえなぁ……」


 放課後の校門前に立っていると、下校する生徒たちの不躾な視線に晒され、それでいて目が合うと逸らして、逃げるようにそそくさと離れていく。ストレスが溜まる。

 湖咲こさきは舌打ちして、気を紛らわせるためにスマートフォンを取り出した。

 メールでもしようか――


(~~~っ)


 ただ、何も用がないのにメールするのも……。


(いや、でも、……)


 親指が画面を滑り、文章を紡ぐが、


「あぁーっ、もう!」


 結局メールは送らず、スマートフォンをポケットに突っ込む――も、手はスマートフォンから離れず、ポケットの中で握ったり表面を指先で叩いたりと落ち着かない。

 誰かしら、見知った顔でも通りかからないものかと視線を上げてみると、


「……さようなら」


 通り抜けざま、口元に薄らと微笑を浮かべる少女がいた。


「お前……、」


 タイミングよく現れたその転校生を呼び止めようかとも思ったが、


「こさっちゃーん?」


 その後から、ようやく目的の人物がやってきた。


「ったく……おっせーよ……」

「あれ? ぷんぷん?」


 ひとの気など知らず、愛論はきょとんとしている。湖咲は顔を背けて舌打ちした。


「ところでこさっちゃんー、きよちゃん見なかった?」

「きよちゃん……? 誰だよ初耳だよ、知らねえよそんなヤツ」

「タカセサン? って変だなぁって思って。タカセサンも名前で呼ぶなって言うから……『きよちゃん』と呼ぶことにしました」

「あー、そういうことね」


 糸群貴世。パッと見だと『きよ』と読んでしまう名前だ。大方、転校生として紹介された際に黒板に書かれた名前を見て、愛論もそう思ったのだろう。だから『たかせ』という名前に違和感があって、「タカセサン?」などと疑問形な抑揚だったのだ。


「あいつなら、ついさっき――」

「あ、いた……!」


 下校する生徒たちの中から、愛論が濡れたようにつやのある黒髪を見つけ出す。

 そちらへ向かって駆けだそうとする愛論の手を――


「? こさっちゃん?」

「……いいだろ、あんなヤツ。別に」


 愛論は何か用があって貴世を呼び止めようとしていたのかもしれないが。

 それでも。


「あれー? こさっちゃん、ぷんぷんだね?」

「うっさいな」

「お餅の匂いがするよー?」

「あ?」


 愛論が楽しそうににやりと笑う。


「焼いちゃってるー? お餅」

「っ」

「うふふ」


 カッと、自分の顔が熱くなるのを感じた。


「こさっちゃん可愛いねえ?」

「こんの……ッ、アイロンのくせに!」


 愛論に背を向け、湖咲は歩き出す。

 それでも、彼女の手を放せなかった。


「こさっちゃんにはこさっちゃんの魅力があるから、だいじょぶだよー」

「何がだよ」


 じゃあ、あいつにはあいつの魅力があって、だから彼女は興味を示すのか。


「……あんなヤツのどこがいいんだよ」

「? んー、闇属性だから?」

「ただ陰険で性格悪そうなだけじゃねえか。……話したことないけど。でも、毎日帰り誘っても断んだろ」


 一人でいる彼女のことが放っておけない――というお節介とは違う。

 愛論の場合、本当に貴世のような暗い印象がある美人に魅力を感じるのだろう。だから絡む。声をかけ、話をしようとする。

 それは愛論にとって今が幸せで、だから、自分とは正反対な相手の闇に惹かれるのかもしれない。

 退屈を持て余した人間がスリルを欲するように。


 あるいは。



(好奇心は猫をも殺す……)



「こさっちゃん?」

「……いんや」


 なんでもない。そう呟いて、湖咲は愛論の手を引いて帰路についた。




               × × ×




 ――事件が起こったのは、それから数日後のことだった。


「ふんふふーん?」


 移動教室の授業を終えて、愛論が自分のクラスへ戻ろうとしていた時だ。


「?」


 ふと振り返り、背後を確認する。視線を感じたのだが、特にこちらを見ている者もいない。周りは愛論同様、教室に向かうクラスメイトたちで溢れている。気のせいだろうと思って前に向き直るが、


(……なんだろ?)


 また、感じる。背筋を撫でられるような、舐められるような――嫌な視線。


 この数日、ふとした瞬間、特に一人でいる時に視線を感じる。周囲を確認しても誰も見当たらないのだが、虫眼鏡で陽射しを集束させると発火するほどの熱が生まれるように、その視線はジッと注がれ続けた末に感じる類のものだ。

 嫌でも、感じてしまう視線だった。


「んー……」


 首を捻りながら、愛論は階下に降りるため、階段に足を伸ばし――



「れ……、」



 世界が傾いた。



 ――だん、と。



 踊り場に鈍い音が響いた。




               × × ×




「……?」


 湖咲はふと顔を上げた。


 ついさっきまで教師の声だけが響いていた教室に、今はざわざわと浮足立つような空気が広がっている。


 何かと思えば――遠くから、いや近くから、サイレンの音が聞こえてくる。


「入ってきた……」


 誰かの声。窓際からだ。教師が諌めるも、既にみんな自分の席から離れて窓に集まっていた。


(……救急車か?)


 微かな不安が胸をよぎるも――まあそういうこともあるだろう。

 気の毒だとは思うもののやっぱり他人事で、ざわめきに背を向けるように湖咲は机に突っ伏した。



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