白刃と槍Ⅶ
「
「掃除用の機械が勝手に掃除してくれますからね」
床を
「ほへー、便利なものがあるんじゃのう。しかし、それならどうして不便な村に移り住んだんじゃ?」
「それは、私にもいろいろとありましてね」
アーロンドはまた工房を方をちらりと見てから戸棚の中を見た。いつものくせでハーブティーを探していたのだが、当然食べ物など残っているはずもない。
「少し食べ物は持ってきていますからそれを食べますか?」
「わしはそれより寝たいぞ。あのふかふかの寝床をくれ」
「それならこちらへどうぞ」
ラスクニアとは違い、いくつもある寝室の一つに案内する。ベッドはふかふかとは言わずとも清潔さは保たれている。歩き疲れたせいなのか、サイネアはベッドに潜り込んで数分もしないうちに小さな寝息を立て始めた。
「ああしていれば普通の子なんですけどね」
部屋の扉を閉めて、アーロンドはただの土間と化している工房へと足を向けた。その手に握った村正を工房の中央辺りに無造作に置く。
「普通か? 人を襲う力も考えもないやつは本当に魔族と呼べるのか?」
「そうですね、どういう形になっても普通とは呼んでもらえないのかもしれませんね」
自分もこの妖刀を持ったその日から普通ではなくなってしまった。
「人を傷つける。そういう意味ではあなたの方がよっぽど魔族ですね」
「どうだか。平気な顔をして嘘をついているお前が一番魔族に近いかもしれんぞ」
村正の言葉にアーロンドはくっ、と意味をなさない声で答えた。
土を固めた床の中央。きれいに洗い流しても残ってしまった赤い染みにアーロンドは手を触れた。
これは血だ、私の父の。
あの日、私の記憶が未だに戻らない数日間の最後の日。ここで村正が私の父を斬った痕跡だった。
アーロンドの父もまた杖職人だった。こうして工房を構えてはいたが、腕がいいとはお世辞にも言えず、あまり裕福とは言えなかった。アーロンドも大学からの推薦の話がなければ、今頃はここで鉄を打っていたかもしれない。
記憶が途切れる直前のアーロンドは確かいつものように遺跡発掘に出かけたはずだった。その遺跡の場所すらもアーロンドは覚えていない。村正を初めて抜いたときに受けた膨大な魔力によって記憶が一部欠落してしまっているのだ。
村正を抜いた、いや村正にその白刃を抜き放たされたアーロンドは、この場所で自分の父親を斬ったのだ。その理由は未だにきちんとはわかっていない。ただ人を斬りたかったという以外に村正には理由がないのかもしれないが。
あの日、目覚めたアーロンドは額に大量の汗を浮かべ、何度もうなされながらも、右手に握った血にまみれた村正を決して離そうとしなかった。
当初は殺人事件として捜査が始まったこの一件も、村正の内部に膨大な魔力が内包されていることがわかり、事故として処理された。最初は研究機関に送られる予定だった村正は、アーロンド以外の人間には膨大すぎる魔力ゆえに触れることができず、結局アーロンドの手元に残ることになった。
「どうして、斬ったんでしょうか」
「俺が斬るのに理由がいるか? 目の前に敵がいたからだ」
「私の父が敵だったと?」
アーロンドは前髪を荒っぽく掻き上げる。村正の言うことは一つも納得できなかったが、覚えていない以上反論のしようもない。
あの日以来、アーロンドは人間にもバーリンにもその白刃を振るうことができなくなった。昔は剣術の試合では好成績を収めていたものだったというのに、その太刀筋は影も形もなくなってしまった。
「さぁな。俺はよく覚えちゃいないが」
「あなたはいつもそうやって」
こうやって当の村正はその日のことを話さない。その理由すらも語らない。
アーロンドは何度も村正を捨てようと思ったが、自身の身を守るためには村正に頼る他もない。それに誰かがまたうっかりと手にしては惨事になる。そういうわけで一人と一振りの奇妙な関係は今も続いていた。
「私ももう休みます」
アーロンドは工房に村正を置いて自分の寝室へと向かう。徹夜など研究でも仕事でも慣れたものだと思っていたが、夜通し歩くのはやはり簡単なことではない。
「一番の疑問は」
アーロンドは明かりを消す前にもう一度村正の方を見た。特に文句を言うでもなく、工房の壁に備え付けられた棚に収まっている。
どうして父を殺したはずのあの杖を私は恨んでいないのだろうか?
壊そうとするでもなく、捨てることもなく、アーロンドは村正とともに生活している。ラスクニアの村がバーリンに襲われたときはためらいながらも戦場へと共に向かい、自らの体を貸して敵を斬る。
父の敵でありながら、アーロンドにとって村正は頼れる戦友でもあった。
「これからもしっかり働いてもらいましょう」
自分の方が上だ、とお互いに言い聞かせるように言った言葉に返答はなかった。
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