エピローグ

白刃と村

「ちょっと、どこに行くのよ?」


 一人先を行く村正を追いかけて、ミニアがその肩をつかんだ。反射的に払われた手が村正にとられ、ミニアは簡単に道端に転がせられた。


「何するのよ?」


「いきなり後ろから襲いかかるからだろ?」


「襲いかかってないわよ」


 ミニアはすぐさま起き上がり服についた汚れを払う。こちらも首都で警備課長をしているのだから、無様な姿はあまり見せられない。


 アルテル遺跡で伸びている兵士たちのうち生きているのはどのくらいいるのか。それは村正のみが知ることだ。ただ誰も死んでいないような予感をサイネアもミニアもバーンも同じように感じていた。


「結局次の目的地はあるのか?」


「あるわけないだろ。俺が知るわけもない」


 そう言っているにもかかわらず、村正の足取りには確かな目的が感じられるどこかをさまようわけでも寄り道しようというわけでもなさそうだ。


「じゃあどこに向かって」


「ないなら帰るんだよ。それが普通だろ?」


 そんなこともわからないのか、と後ろを振り返った村正に呆然とした三人の冷たい視線が刺さった。


 帰る、と言われたところで解散というわけにもいかない。今は村正に意識を奪われているアーロンドはもちろん、サイネアもミニアもバーンも帰る場所などとうに失ってしまった。今さら一体どこに安住の地があるだろうか?


 まっすぐにラスクニアに向かう村正を止められず、かといってどこかに向かうことのできる場所があるわけでもなく、三人はただ後ろをついてきてしまった。マギステルだけでなくダマスカスの兵士まで倒してしまえば追手の姿は一つもなく、自分たちが逃亡者であることを忘れてしまいそうだった。


 周囲の風景がだんだんと自然に還っていく。首都と比べると、もう不便であることがありありとわかった。


「ふぅ、やっぱりこの辺りは魔力が薄いな」


「なんじゃ、遠いところに帰ってきたような気がするのう」


 街道は整備が整わないままで、申し訳程度に道標の杭や石碑が立っているくらいで、後は踏み固められた土が道として成り立っているだけだ。


 研究のためにこんな田舎にも何度か来たことがあるミニアとバーンも、帰ると言いながら通る道としては違和感を覚えずにはいられない。


「さてとそろそろだな」


 拓けていた道の周囲がだんだんと木々に覆われていく。バーリンにとって遺跡が生命の源であると同じように、森は人間の生命の源なのだ。


「あ、先生!」


 村正が村に入ると同時に少年が駆け寄ってくる。見た目はアーロンドだが、今の中身は村正のままだ。無邪気に笑顔を浮かべる少年にいったい何を言い出すかとその場の空気が一瞬にして冷え込んだような気がした。


「おう、坊主。元気にしてたか?」


「先生? なんか話し方変だぞ?」


 頭を乱暴に撫でた村正を少年が不思議そうに見上げた。顔はまったく同じだというのに口調も態度もすっかり変わっていれば、困惑してもおかしくはない。


「ちょっと長旅で疲れておるんじゃ。すぐに戻ると思うぞ」


「そうなのよ。アーロンドの家ってどこなのかしら?」


 すぐさまフォローに入ったサイネアとミニアが村正を引っ張って少年から引き剥がした。


「おいおい」


「何考えてんのよ? さっさとアーロンドに返しなさいよ」


「だから俺もアーロンドだってのに」


 二人に背中を押され、村の奥へと連れて行かれる。その後ろを申し訳なさそうに顔を作りながらバーンが会釈をしながら続いた。


 アーロンドの工房に戻ってくると、数日空けていただけだというのに、もう隅に埃が溜まっている。ダマスカスと違い、掃除は自分の力でするより他にない村だ。それをアーロンドが気に入っていることを村正はよく知っていた。


「さてと、後はあいつに任せて俺は撤退するかな」


 大きく伸びをして、村正は自分の腰に差した刀の鞘を左手で叩いた。そこに帰るわけではないことはもう説明した。だが、やはり村正自身も刀の中にいることにした方が都合がいいとわかっている。だからアーロンドには過去の真相を何も言わずにいるのだから。


「ちょっと、かき回すだけかき回しといてどうするつもりよ?」


「後は好きにすればいいさ。あいつの決めた通りにな」


 ミニアが何かを言う前にアーロンドの体からふっと力が抜ける。鉄や木の破片が落ちた床に抵抗もなく転がった。


「おいおい。どうするんだよ、これ」


 素早くアーロンドを抱き起こして、バーンは重く感じるアーロンドの体を工房の隅にあった椅子に座らせる。すぐに意識を取り戻したアーロンドはゆっくりと目を開いて周囲を見回した。


「ここは、ラスクニア?」


「えぇ、パンドラの匣は見つかったんだけど、村はなかったわ」


「そうですか。弱りましたね」


 体が重いのは村正がまた何かを斬ったからだろう。もうわざわざ問うことも面倒だった。それに今は行き詰まった問題を考える方が先だった。


「それで、どうしてここに?」


「ここにお前の探してる答えがあるからだよ」


 どこか確信めいた村正の声と同時に、鍵をかける風習の無い工房に誰かが入ってきた。


「先生。体の具合は大丈夫かい?」


「えぇ、なんとか」


 疲れた笑顔を見せたアーロンドの顔がはっとなる。青年の後ろに見えたその姿はアーロンドもほとんど姿を見たことがないものだった。


「村長」


「ようやく戻ってきたか。優秀な杖職人でも心はまだまだ未熟じゃな」


 村長はゆっくりと工房の中を見回してサイネアを見つめたところで顔を止めた。その視線に耐えられなくなって、サイネアはアーロンドの座った椅子の背に隠れるように身を寄せた。


「この村は、いや今全ての村も都市もみな、考えを同じくする者を受け入れ、互いに干渉せずに生きている。この村も同じじゃ」


「はい、心得ております。私を受け入れてくださったこと、感謝しております」


「ならば、その羽くらい何の違いがある。考え方を同じくするというのなら村から出ていく必要など初めからないのじゃ」


 村長の言葉に驚いてアーロンドは目を見開いた。サイネアも隠れていた椅子の後ろから顔を出して微笑む村長の顔を見た。


「知っていらしたんですか?」


「歳をとると、いろいろ目ざとくなるものじゃからな」


 今度はしてやったり、と満面の笑みを浮かべる村長の顔はずいぶんと子供らしく映った。だが、全てを見透かされていては何も言うことなど出来ようもない。


「そもそも危険な者を受け入れないというのなら、お前さんなんぞ村に入れたりせんわ」


 アーロンドの腰に差さったままの村正を見て、もう一度村長は大きな声で笑った。


「それじゃ、俺もここに受け入れてもらうかなぁ」


「そうね。ダマスカスには戻れそうもないし」


「え?」


 それぞれに自分たちの少ない荷物を探り、ミニアとバーンは早くも村長に入村の交渉を始めている。ラスクニアには都市から物を持ちこんではいけない決まりはないので、特に問題が起こることもなさそうだ。


「それじゃ、その娘のことは任せるよ、アーロンド」


「え、はい」


 ミニアとバーンを連れて村長は工房を出ていく。これから二人の住む場所を決めるのだろう。余っている家がなければ、村人たちで建てるまではどこかに間借りもしなくてはならない。


 いろいろな問題が一気に吹き飛ばされて、アーロンドは呆然として腰の村正に視線を投げかけた。


「な? 探していたものがあっただろ?」


「えぇ、見逃していました。私が誰で、あなたが誰なのかを」


 村正はアーロンドと同じものを見て、違うものを感じて違う考えを持っていた。いつか去る場所、消えるかもしれない人を見ようとしなかったアーロンドにはわからなかったことも村正にははっきりと見えていたのだ。


 今ならこの声の主がもう一人の自分だと言われても少しだけ信じることができそうだ。


 アーロンドは自分の腰から刀をほどくと、村正を立てかけてからもう一刀で工房の炉に火を灯した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白刃と翼 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ