白刃と魔法Ⅵ
「待てっ!」
重い体を振って走り出したアーロンドの背中からミスティルの叫び声が聞こえた。
「抜け。敵が来るぞ」
兵士たちの足音にアーロンドは振り返る。村正の声がまた少しずつ大きくなっていく。
「しかし……」
抜けばこの場を凌ぐことは簡単だろう。それほどまでに村正の能力は信頼できる。ラスクニアの村で幾度抜き放ち、そのたびにどんなバーリンも斬り伏せてきた。だからこの場で抜けばアーロンドが目覚めた時にはまた人間の死体が地に倒れているかもしれないのだ。
「ためらうな、撃て!」
悲鳴にも似たミスティルの叫び声が真昼に近い市街に響いた。これではどちらが悪者かわからない。いや、そもそもバーリンであるサイネアを連れているアーロンドたちの方が秩序からすれば間違っていると言われてもおかしくはないのだ。
「何をしている! 撃つんだ」
さきほどの短い交戦でアーロンドたちの恐ろしさは十分に伝わっていたらしく、兵士たちの動きは鈍かった。それでも二度目の号令で兵士たちは我に返ったように銃型杖を構えると、狙いも定めていないかのように魔弾を生成して撃ち放った。
「ちょっと危ないじゃない!」
ミニアが振り回した槍から
「まったく。こんな街中で発砲だなんて何を考えてるんだ」
バーンの杖から生み出された飛沫が地面に落ちると同時に間欠泉のように噴き出して視界と魔弾を遮る。
「しかし数が多いな。研究所の警備兵だろ? ほとんど全員じゃないか」
「バーリンの娘だぞ! どれほどの価値があると思っているんだ!」
間欠泉の向こうからミスティルの声だけが聞こえた。隙間を縫ってマギステルの外を目指すが、どこへ行っても警備兵が前から横から後ろから追ってくる。
「ほら、抜け」
村正の声がアーロンドを急かす。たいして走っているわけでもないのにアーロンドの息は上がっていた。もう思考が止まっている。ただまっすぐに右手が柄に伸びていた。
「お二人ともすみません。サイネアを頼みます」
村正を握った瞬間にはもうアーロンドに自由はなかった。
抜き放った刀身から暴力的なまでの魔力が走る。たった一振りでバーンが生み出した間欠泉が一瞬にして無と消えた。
「さぁ、斬られてぇ奴から前に出ろや」
二刀を構え、目の前に立った警備兵に自身の切っ先を向ける。妖刀と呼ばれるにふさわしい濃密な魔力をまとったそれを向けられただけで、警備兵は時が止まったように身動き一つとることができなくなる。
正面にいない警備兵たちすら、その手に構えた銃型杖が震えて狙いをつけるなど不可能に近い。遠巻きに叫んでいただけのミスティルでさえ、腰から崩れ落ちてがたがたと震えていた。
「どうした? 来ねぇならこっちからいくぜ!」
狙いは正面。恐怖に身がすくんだ警備兵に向けて、村正がその身を
素早く目で追うことすら困難な身のこなしは猛々しい獣のようで、そのしなやかさには目を奪われる
一閃。
「へぇ、なかなかやるじゃねぇか。いい槍捌きだ」
村正は楽しそうに微笑むと斬った警備兵に目もくれず、ミニアの方に視線を向けた。
村正の鋭い一閃は確かに首を刈り取ったはずだった。肩の傷を押さえて苦悶に伏している警備兵がまだ生きているのは、ミニアの槍がすんでのところでその軌道を変えさせたからに他ならない。
「もうアーロンドの体で人を殺させたりしないわよ」
「おぉ、怖いねぇ。あいつは愛されてて幸せもんだな」
村正が斬りつけた刀を振るうと、風を切る音とともに血が飛び散る。魔力に守られた刀身には斬られた者の血すら届かない。
三叉槍を構えたミニアは村正が立ち止まったのを確認してから、立ち尽くしている警備兵たちに向き直った。
「ほら、道を開けなさい! 次も助けられるとは限らないわよ」
ミニアの声は地獄がそのまま浮かびあがってきたようなマギステルの市街においてまさに一本の蜘蛛の糸だった。しかし、警備兵も仕事であるという以上に誇りがある。目の前にある暴力に屈したとなればそれは秩序の盾となるべきものから外れることになる。
警備兵たちはやはりその顔に恐怖の色を浮かべ、構える銃型杖は震えている。それでもその場から離れようという者は一人もいない。
「いいじゃねぇか。それでこそ武人ってもんだ」
「ふざけないで! とっととアーロンドにその体返しなさい!」
「俺を抜いたのはあいつだぜ? 斬ってくれってことだろ」
ミニアと話している隙をついて、村正の背中に一発の魔弾が走る。それに見向きもせずに村正は一太刀で斬り落とした。
「見ろ。向こうはやる気あるみたいだぞ?」
「それでもっ!」
駄々をこねるように顔をしかめたミニアにはもう説得の言葉もあまり残っていない。あの妖刀を鞘に収める方法など簡単には思いつかない。ただでさえ扱うには膨大すぎる魔力を内包しながら、さらに意識を持った人間の、アーロンドの体を持っているのだ。
「のう、ぬしよ」
「なんだよ、嬢ちゃん?」
いつの間にか二人に近づいてきていたサイネアが村正の袖をいつものように引っ張っていた。
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