白刃と魔法Ⅴ

「そうだな。一番近いところだと、ここなんだけど。可能性が高いのは」


 地図を指し示しながらバーンが候補地を挙げていく。


「別に今なら私の車に乗せてあげてもいいわよ?」


「そうですね。頼りになりますよ」


 自慢げに話すミニアにアーロンドは通り一遍いっぺんの褒め言葉を並べておく。いつまでも褒めてあげないでいると、ことあるごとに自慢し始めそうな勢いだ。とはいっても頼りになることには間違いはない。怒らせてしまってはアーロンドも困るのだ。


 学生の頃はお金を少しでもかけまいと自家用車どころかバスに乗るのも躊躇って、歩いて目的地まで向かったものだったが今はそんな心配もしなくていい。もっとも車が通れるのは整備された車道までと決まっているので、途中からは歩かざるを得ないのだが。


「それならまずはこの辺りだな」


「一番近い町は、レリギオー、ですか」


「あそこには長居したくないわね。早く出発したいわ」


 ミニアが怪訝けげんな顔をしたのを不安に思ったのか、サイネアがアーロンドの顔を見た。


「大丈夫ですよ。ちょっと不気味なだけですから」


「それは安心してよいのか?」


 実際のところはアーロンドにも少し不安があった。ただでさえ魔力の濃い場所は危険だというのに、よりによって目的地があんなところになってしまうとは。だが、可能性が高いと言われてしまえば後回しにするわけにもいかない。


「では急ぎましょう。野宿は大変ですからね」


 学生時代を思い出したのか、手を早めるバーンに苦笑いを浮かべながらアーロンドが研究室の扉に向かった。そのときだった。


「やぁ、はじめまして。アーロンド・ダマスカス。いや、今はラスクニアだったかな?」


「……どのようなご用件ですか?」


「なに、著名な杖職人が良い商品を持っていると聞いてね」


 ノックもなしに開け放たれた扉の向こうでは、バーンと同じく白衣を着た男が立っていた。こちらはバーンとは違って、こけた頬に節だった細い指から白衣の下はずいぶんと細身の男だということが容易に想像できた。彫りの深い顔に、堪えきれない愉悦を浮かべているのが初対面のアーロンドにもありありとわかる。


 アーロンドの目の前に立った男の後ろには見えるだけで兵士と思われる軍服を着た男が五人。まだ死角に隠れているとすれば、アーロンドたちの扱いは凶悪犯罪者以上のものだ。


 アーロンドの腰に差された妖刀のことを考えれば当然のことかもしれないが、既に銃型杖と呼ばれる最新型の戦闘用杖の銃口がアーロンドにいくつも突きつけられていた。


 銃型杖は近年開発された適性を考慮せずに使われる護身用の杖で体内の魔力を小さな球体に変換して打ち出す機構のみを備えたものだ。誰でも簡単に一定以上の戦力を持つことができる反面、魔法の応用が難しく、杖の紋様がすぐに傷ついてしまうため耐久性が低い。これを使うのは緊急時の護身用か、人が入れ替わっても使いまわすことができる軍や警備組織がほとんどだ。


「バーリンの娘を連れているらしいじゃないか。ぜひ譲っていただきたいものだ」


「お断りします」


 静かに、ただ普段のアーロンドからは想像できない圧力を持って言い放つ。目の前で突然生まれた威圧感に白衣の男はたじろいた。アーロンドの怒りに呼応するように村正がりんと振るえたような錯覚がする。


「ずいぶんと殺気立っているようだが、君は例の一件以来、杖を振るえないと聞いているぞ」


「くっ」


 アーロンドは腰の杖に伸ばしていた手を止める。抜いたところでそれが知られているのならこけおどしにも役に立たない。


「人の研究室を立ち聞きなんて恥ずかしくないのか? ミスティル」


「研究は公開されるべきだ。ましてやバーリンが手に入ったとなれば大ニュースだぞ!」


「誰も実験に使うために連れてきたわけじゃないんだよ。そうやっていつも他人の研究を横取りしようとしているからいつまでもうだつが上がらないんじゃないのか?」


 バーンが自分の杖をとり、その先を白衣の男に向けた。


「反抗するのか? 規律違反だぞ」


「盗み聞きしていた男がよく言うよ」


 呆れたようにバーンがミスティルにゆっくりと近づいていく。銃口がバーンにも向けられると、村正の声がアーロンドの頭の中に響いた。


「さぁ、抜けよ。俺を抜け」


 ぞくりとしてアーロンドは自分の右手を左手で押さえつけた。バーリンが相手ならば抜く覚悟はできる。しかし、今近くにいるのは人間なのだ。また人を斬ってしまうかもしれない。その恐怖はたとえ窮地にあっても簡単に拭えるものではない。


「何をしている? 俺を早く抜け!」


 強くなる声にアーロンドは頭を抱えた。村正は抜けない。ただこのままでは。


「どうしたんだ?」


 苦しむアーロンドに恐怖が薄らいだのか、ミスティルがまた研究室に踏み込もうと足を一歩前に出す。そのつまさきの数ミリ先に一瞬にして三つの穴が開いた。


「何をする、不可侵槍壁」


「お仕事よ。あなたが近づくとアーロンドが苦しむから下がりなさい」


 自慢の三叉槍さんさやりを振り回し、切っ先を向けてミニアが構えた。荒々しい槍さばきに研究室の積み上げられた書類がバラバラに崩れていく。


「今回の出張の目的はアーロンドの観察・保護よ。一応危険人物だしね」


 突きつけられた槍にどよめきが広がった。ミニアの防御技術相手では携行武器として広く出回っている銃型杖では簡単に攻撃できるものではない。


「おいおい、俺の研究室なんだけど」


「どうせお払い箱になるんだから気にしないでいいのよ」


「まったく、簡単に言ってくれるよ」


 そう言いながらもバーンは自らの杖を振るう。もっとも基本とされている樫の木を彫り出して作った杖から大量の水が発生し、研究室と廊下を洗い流す濁流となった。


「あーあ、研究成果が」


「どうせ頭の中には入ってるんでしょ。ほら、アーロンドをお願い」


 ミニアが驚いて固まったままのサイネアを抱き上げる。バーンも頭を抱えてうずくまったアーロンドを何とか肩に抱え上げる。


「さすがに重いな」


「無駄な肉つけてるからよ。気合い入れなさい」


 水流で倒れた兵士たちの間を抜けてミニアとバーンが走り去っていく。魔力のこもった水流は重く体にまとわりついていて簡単に立ち上がることは叶わない。階段を駆け下りて外に飛び出すと、さすがに重く感じられたのか二人はそれぞれにサイネアとアーロンドを大理石の階段に降ろした。


「重たいな」


「すみません。もう大丈夫ですから」


 ふらつく足を拳で叩いてアーロンドが立ち上がる。目の前に敵対する者がいなければ、村正の声も聞こえなくなった。


「ぬし、大丈夫か?」


「えぇ。さぁ、行きましょう」

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