一章

白刃と槍Ⅰ

 バーリンの襲撃を退けたラスクニアの村はもう平静を取り戻していた。バーリンが襲ってくることなどもはや日常茶飯事のことで、誰もその事態を異常だと思っていないことが恐ろしく感じられるほどだ。


 アーロンドは村人に見つからないように土を踏み固めただけの簡素な通りを歩いて、村の一番はずれにある自分の工房を目指した。アーロンドが焼き入れの途中であったのと同じように、みなバーリンの襲撃で中断させられた自分の作業に戻ったようで通りに人の姿は見えなかった。


 工房に戻ったアーロンドは少女を自分のベッドに寝かしつけ、全身にあった小さな傷の手当てをして最後に眠った少女の額にタオルを乗せてやる。体温が高いがこれは病気によるものか、そもそもバーリンの体温が高いのかはわからないが。


「しかしお前も面倒なものを拾ってくるな」


「倒れている女の子を放っておくわけにもいかないでしょう」


 ベッドの傍らに置いた村正が問いかけると、アーロンドはきっぱりと答えを返した。


 アーロンドは村正を持って工房に戻ると、途中だった杖の刀身を確認してから、自分の杖をとり、炉の中に向かって切っ先を向ける。その燃え盛る形を思い描き、全てを燃やし無に帰す力を想像する。イメージを杖に流し込んで杖を握る手に力を込めると、炉の中に真っ赤な火が生まれた。


 人間が魔法を手に入れてからもう数百年になる。


 当時もっとも効率的だった石油という資源を失った人間は、新たな資源を自分たちの中に見出した。すべての人間が体内に持つという魔力。それを取り出し、エネルギーとして利用する。エネルギーの枯渇こかつに急かされて始まった魔法の研究は急速に進められ、魔力を取り出す媒介として杖と呼ばれる魔法エネルギーを発現する機器が開発された。


 誰もが物語を読んで一度は憧れたという世界は人間の手にするりと舞い込んで、そのまま生活へと定着した。今では日常生活を送るためにも必要なエネルギーは自分の魔力でまかなわれ、誰もが衣服と同じように杖をその身に携えて生活するようになった。


「作業をしていればそのうち起きてくるでしょう」


「まったく物好きだな。なんであんなとこで倒れていたのか」


「おそらくですが、仲間に捨てられたのではないでしょうか?」


 炉の火が十分に強くなったことを確認して、アーロンドは打ちかけの杖を炉の中に入れた。鉄がみるみるうちに赤く光っていく。


 杖の形状は様々で、人によって適性のある形を扱わなければ効率が落ちるとされている。誰もが物心のつく頃には家族あるいは教育者の指導の下、自分の杖を持つ。もっとも基本的な木製の杖をはじめ、大きく分けて剣、槍、槌、箒、装飾具に分類されたのち、さらに適性のある杖を探し出さなくてはならない。そのため杖の形状は数十種類にも及ぶ。


 アーロンドはその杖を作る職人である。木を削り、鉄を打ち、人体から魔力を吸い上げる紋様をそれぞれに刻印して仕上げる。まだ三十歳も遠い青年でありながら、その腕を信頼して仕事を依頼する声も多い。


 その中でもアーロンドが最も得意とするのは日本刀型の杖だった。古い時代に極東の島国で作られたという片刃の曲刀は、適応する人間が少ない杖であると同時に、その美しさと希少性からコレクションや美術品としての需要が高いものでもある。


 数が多くない鍛冶職人の中でもアーロンドの腕は一級品で、大金を抱えて首都から離れたこの辺境の村までアーロンドを訪ねてくる富豪さえも一人や二人ではなかった。


「捨てられた、ねぇ。言いたいことはなんとなくわかるが」


「バーリンの羽は黒。例外を見たのは初めてです。異端者を排除するのは生物の常ですから」


 赤く光る鉄の塊を金床かなどこに置き、丁寧にリズムよく刀身を叩く。火花が散り、工房に心地よい打撃音が打ち鳴らされる。


「得体のしれないやつは追い出す。ま、普通のことだな」


「それでも追い出された方はどうすればよいのでしょうね」


 刀身を叩く手を止めて、アーロンドは独り言のように言った。実際に工房にはアーロンド以外に人の姿はない。ただそこに無造作に立てかけたように見える村正に言っただけだ。


「一人で生きていくに他ないさ。お前と同じようにな」


 拾われ者の分際で、とアーロンドは顔をしかめた。


 この日本刀型の杖、村正はアーロンドが学生時代に遺跡から見つけ出してきたもののはずだ。はずというのは、アーロンドにはさっぱりその時の記憶が消えてしまっているからだった。ひとたび抜き放てば、村正はアーロンドの体から意識を引っこ抜いてその白刃を存分に振るう。本来ならば人間の魔力を通すだけの杖であるはずなのに、この村正はその身に膨大な魔力と狂気的な人格を内包していた。


 あまりにも強すぎる魔力はそれを持ってきたアーロンド以外に扱える者はなく、こうして今もアーロンドを縛っていた。


 村正の言葉にどう返したものかと迷っていたところに、さきほどの少年が大量の杖を抱えて工房の扉を開けた。


「先生、さっきはすまなかったな」


「いえ、みなさんが無事であれば幸いです」


「それで、借りた杖を返しにきたんだ。けど、もう売り物にはなんないよな」


 少年は少し悔しそうに視線を床に向けながら歯噛はがみした。


 適性のない杖に無理に魔力を通せば、効率が落ちるだけでなく杖の紋様も傷つけてしまう。アーロンドは少年が持ってきた杖を一つずつ確認してみるが、新品として売るには少しはばかられそうだった。


「いえ、かまいませんよ。手入れをしておきますからこれは村の自警団で使ってください」


「すまないな、先生。先生が来てから助けてもらってばっかりだ」


「いえ、私なんかをこうして受け入れていだたいているだけで十分です」


 アーロンドは少年から受け取った杖を工房の奥の棚にまとめて入れる。早く直しておいたほうがいいだろう。いつまたバーリンが村を襲うともしれないのだから。


「ありがとな。あ、狩りで大物が取れたらしいから後で先生の分も持ってくるよ。期待しててくれよ!」


 ありがとうございます、とアーロンドが伝える前に、少年はあっという間に工房から駆け出していく。せわしないな、とアーロンドは一人残された工房で薄く微笑んだ。


 薄く打った刀身にぎを施していると、工房の奥、アーロンドの部屋の方でずるずると何かを擦る音が聞こえた。

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