白刃と教団Ⅴ

「ちょっと、この数を相手にして、こんなにも」


 もはや自分の槍にかける相手もいなくなったミニアは呆然として村正の無双を眺めていた。


「元から刀に膨大な魔力がある上に、持っている体はアーロンド。さらにあいつが言うように剣術も尋常じゃない領域に達している。象が蟻を踏みつけているようなもんだよ」


「しかし、どこか美しくもあるのう。雅じゃ」


 黒い結晶となったバーリンの亡骸なきがらが坂道を転がって燃え盛る炎の前に並んでいく。司祭のバーリンがそれを嘆くように岩山に開いたほこらのような洞穴に何度も祈りを捧げていた。


 祈りが通じたように洞穴の奥から地を揺るがす音が聞こえる。


「ようやくお目覚めかよ。これだけ派手に暴れてやったのによ」


 もはや立っているバーリンの姿はない。すべてが夢の跡。ただ黒い塊になったものたちにどれほどの救いがあったのかなど誰にもわからない。


「お目覚め、ってまだ何かいるのか?」


 バーンの問いかけに答える代わりに三人の身に強烈な悪寒が襲う。生命の本能がこの場から逃げ出せ、と強く訴えかけてくるようだった。


「おぉ、神よ。素晴らしい御使いを私に施してくださった。どうかあの厄災をはらってくださいませ」


 祠に向かって祈りを捧げていた司祭が涙ながらに地に伏して礼を述べる。その体を何か太く長いものが絡めとった。


「悪しき魂に祝福を!」


 遠くなる声が完全に消え失せると同時に鋭い爪と牙が洞穴から顔を出した。


「あれは、さすがにヤバいわよ。ダマスカスの軍が動くレベルだわ」


 炎を平然と踏みつけて出てきたバーリンの姿にミニアは絶句した。四足を地に着き、這い出てきたバーリンは爬虫類のような四肢を動かしながら、ゆっくりとこちらに向かっている。通った後には爪の穴が開き、すぐに続く腹這いでならされていく。


 威嚇する咆哮もなく、獣のように走るでもなく、ただ世界が自分のものであるかのように悠然と進んでいた。


「あれが信仰の対象だったのか」


「ようやく本気が出せそうだな」


「さっきのは本気じゃなかったって言うの?」


 村正はミニアに答えないまま颯爽さっそうと丘の上から飛び降りると、刀を器用に取り回して縄に縛り付けられた二人の人間をミニアたちの方へと放り投げた。


「さっきの奴で腹は膨れただろ?」


 刀の切っ先を突きつけるが、巨大なトカゲバーリンからの答えはない。それほどの知能は村正の数十倍はある体積の中に入っていないようだ。


「ちょっと何してるの! 早く逃げなさいよ」


「なんでだよ。こっちはケンカ売られてるんだぜ?」


 体高でさえ村正の身長の二倍を超えている相手に村正はひるむことはない。見据えた先のバーリンには村正はどのくらいの大きさに感じられているのだろう。


「妖刀のあんたのことなんかどうでもいいのよ! でもその体はアーロンドのものでしょ!」


「落ち着け、ミニア。あいつが暴れるかもしれないだろ」


 バーンがなだめてはみるものの少しもミニアが落ち着く気配はない。怒る理由がわかっているだけに、バーンも軽々しく言葉を出すことはできなかった。それ心配しているのはバーンとて同じことだ。


「いいから早く逃げるわよ」


 二人の人間を軽く抱えてミニアが立ち上がる。火事場の馬鹿力なのか、元々このくらいは普通のことなのか。


「いいからそこで見てろ。すぐに終わる」


「終わる、ってあんたが死ぬ方でしょうが!」


「ごちゃごちゃ言ってんなよ」


 じわりと近づいてくる巨大バーリンを気にすることもなく、村正はミニアに声を張り上げた。気勢の乗った声は決して大きくはないが、それだけで空気を震わせているような錯覚がする。


 まだ何かを言っているミニアを無視して村正はバーリンに向き直った。仲間、あるいは信者を虐殺されたというのに崇められていた存在は気にしている様子もない。餌を与え続けている存在くらいにしか感じていなかったのかもしれない。


「待たせたな。おっぱじめるか」


 だらりと垂らした両腕から力みが消える。背中をぐにゃりと曲げて体を小さくしたはずなのに威圧感はさらに増していく。


「私たちだけでも逃げた方がいいかもしれないわね」


「いや、わしはここで見ておいてやろう」


 サイネアはその場に座り込むと、睨み合いの続く村正とバーリンを見た。マギステルのときと同じだとすればいつ村正が消えてもおかしくないのだ。


「こっちも説得しなくちゃいけないわけ?」


「大丈夫じゃて。勝ち目のない戦いはせぬじゃろう」


 ミニアが何かを言おうとする前に、村正の姿が一瞬にして消えた。バーリンが迎え撃つように大きく口を開くと、鋭い牙が並んで岩山のそばに散らばったくすぶる炎に照らされて怪しく光っていた。


 その口が勢いよく閉じる。高い音が響いて閉じられた口は何も捉えられていはいなかった。代わりにバーリンの前に満足そうに村正が立っている。


「いい濃さだな」


 刀身を舐めるように目を流した村正が満足そうに微笑んだ。それに答えるようにバーリンも傷一つない牙を誇るように口を開いた。魔力で覆われた刀身と同じく魔力が凝縮されてできた牙には互いに傷一つない。


「あの刀が通らない濃さってのはマズイな」


「ちょっと本気? 冗談じゃなかったら災害指定級じゃない!」


 ミニアの顔色がますます悪くなっていく。何かと文句を言いながらも彼女とて村正の力は理解しているのだ。その村正が圧倒できない相手となれば、自分たちがすぐそばで安穏あんのんとして座っていることすら恐ろしく思えてくる。

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