三章

白刃と教団Ⅰ

 荒れた道を進んでアーロンドたちがレリギオーに着いたのは、太陽が落ちきるほんの数刻前だった。街道の整備が行われない土地では道を踏み固めるのは旅人の仕事だ。レリギオーへの道が荒れているということはすなわち、それだけこの町に近づく人間が少ないことを意味していた。


「やれやれ、ようやくか」


 重くなった体を引きずるようにバーンが膝に手をついて乱れた息を整える。


「不摂生してるからよ」


「昔ならこのくらいの距離、もっと早く着いたはずなのですが」


 バーンとは対照的に少しも疲れた様子のないアーロンドとミニアから容赦のない言葉が振り下ろされる。


「のう、ぬしよ。これは、いったいなんじゃ?」


 村の入り口にしめ縄がかけられ、その両脇には石を彫ったバーリンを模した像が並んでいる。ガタガタと体を震わせて怖がるサイネアは体が固まってしまったように像を指差したまま微動だにしない。


「信仰の対象でしょうね。守り神といったところでしょうか?」


「バーリンは神が人々を選定するために与えた試練、という考えの人が集まっている村なんだ。だからバーリンは神の使いと考えられているんだ」


「人間を傷つけるものを崇め奉るのか?」


「まぁね。世界にはいろいろな考えの人がいるんだよ」


 威圧的な鋭い眼光を放つ黒々とした石像は、外部からの人間の侵入を拒んでいるようにも見える。四肢を地面に着け、口からは猛々しい牙が覗く獣のような外見をしている。アーロンドはふと気になって、サイネアの方を見た。二足で歩き、外見はほとんど人間と変わらない彼女とは同じ種だと言われてもにわかには信じがたいほどの違いがある。


「わしは見たことのない種のようじゃな。あまり詳しくはないが、バーリンにもいろんなのがおるんじゃろ」


 夕暮れとはいえ村の雰囲気は重々しいほどに空気がよどんでいる。あまり技術や魔法に頼らない村は少なくないがそれにしても松明たいまつを家の壁に差して使ったり、村の人間で当番を決めて篝火かがりびをしたりと明かりを絶やすことは少ない。


 火は明るさを生むと同時にバーリン以外の野生動物を遠ざける効果がある。無闇に魔法に頼らない村ならば当然行われているはずのものがない。それは立ち並ぶ石像や突き当たりに見える塔のようなモニュメントよりも違和感を覚える。


「これ、入って大丈夫なのよね?」


「いたずらに刺激しなければね」


「それって大丈夫なの?」


 呆れたように頭を抱えるミニアを連れてやけに暗い村の中へと進んでいく。


「あの岩山の方が魔力が濃いんだ」


「あれが。あまり何かが隠れていそうな雰囲気はないですが」


「でも洞穴とかありそうな感じよね」


 まだ日が沈みきっていないというのに、村の中に人の姿はほとんど見えない。時折すれ違う人もローブのような厚手の外套コートを羽織り、フードを目深にかぶっていて誰が誰とも検討がつかない。


 重々しい雰囲気に気圧されたのか、少しずつサイネアの体がアーロンドに近づき、すっかり定位置となったアーロンドの背中に張り付いた。


「なんじゃ、ここは。本当に人間の住む町なのか?」


「ミニア、顔が怖いぞ」


 アーロンドから顔を逸らして、ミニアは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。それを見て笑いを堪えながらバーンは悪態をついた。


「これも試練ってやつなのかしらね」


 もしもミニアの漏らした言葉が本当だとしたら、バーリンという種族はずいぶんと恐ろしいと思えるだろう。ただその爪や牙や魔力で人を襲うなら槍を振るえばいいが、人の心は簡単には動かせない。


 隣で必死に笑いを堪えるバーンに何かを言い返そうとミニアが顔を向けたところで、どこからともなく現れて村人が、そっとミニアの隣に立った。


「な、何でしょうか?」


「今、試練とおっしゃっていたようですが、ダーインの教えを請いに来た方ですか?」


「い、いえ。旅の途中で今夜はここで宿を取ろうかと」


 ほとんど密着するような位置に立っている村人にパーソナルスペースという概念はないのだろうか? 思わず一歩退いたミニアはじっと村人の顔を探ってみるが、フードの奥の顔は辺りの暗さも相まって窺い知ることは出来なかった。


「そうですか。ダマスカスほど便利ではありませんが、ここも良いところですよ」


「そ、そうですね」


 ミニアの同意に満足したのか、村人は不気味な笑い声を上げながら立ち去っていく。


「な、なんだったのかしら」


「ここのダーイン教に入信しにきたと思われたのでしょうか?」


 レリギオーの村に住む住人は全てバーリンを信仰するダーイン教の信徒だと言われている。この村に来る人間のほとんどはダーイン教への入信が目的だ。アーロンドたちがそう思われても無理はないことだ。


「それよりあの岩山のこと、聞かなくて良かったの?」


「向こうはバーリンを神の使いだって言ってるんだ。魔力が濃い場所について下手なことは聞けないよ」


「そうですね。祭壇や神殿のようなものがあってもおかしくありません」


 アーロンドも慎重に声をひそめる。マギステルとは違う理由でサイネアがどこかに連れ去られる危険性も十分にあるのだ。


「いっそ直接乗り込んだらいいんじゃないの?」


「無茶言うなよ。昔みたいなことを言うな」


「ちょっとくらいやりすぎてもいいでしょ?」


「……とりあえず宿を取ろう。旅人がほとんどいないとはいえ、ないってことはないだろう」


 満面の笑みで答えたミニアにバーンは返す言葉もない。無視を決め込んで辺りを見回してみるが、それらしいものは見当たらなかった。

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