白刃と過去Ⅴ

「ここにある結晶って、もしかして全部お前が斬ったのか?」


「そうだな。俺とも言えるし、あいつとも言えるな」


「もったいぶってるとちょっと刺すわよ」


 ミニアが突きつけた槍の穂先を、村正は一瞬にして抜いた刀身で自分から逸らす。その動きに焦りの色は少しもない。ミニアの脅しなど、村正にとってはそよ風が頬に当たるのとたいして差などないだろう。


「別にあいつだってこのくらい片付けられるだろ。お前らの方が詳しいんじゃないのか?」


「あいつだって父親の一件の前までは優秀な剣士でもあった。でもこの数を相手にするのは無理があるだろ」


 転がった黒い結晶の一つを拾い上げてバーンはその塊をまじまじと見た。黒い結晶は生きていた頃の魔力の強さを反映してか黒々とした密度の高いものとなっている。


「って、ちょっと待て。なんでお前にそんなことがわかるんだよ」


「俺は妖刀じゃない、って言ったらお前は信じるか?」


 村正は腰に下げていた村正、刀の方を鞘ごと外すと、バーンの目の前に差し出した。見かけだけならやや飾り気の少ない、ダマスカスの杖商店で埃をかぶっていそうな刀型杖だ。


「おいおい、今度は俺に憑りつくつもりか?」


 鞘はアーロンドが抜身だった村正を収めるために作ったもので魔力が流れ出すのを防ぐために内部に紋様を刻んでいるはずだが、膨大すぎる魔力の奔流は留めきれていない。


「なんて魔力だよ。よくアーロンドはこんなもの持ち歩いてるな」


「あいつは全てを利用できていないだけで体内にある魔力は膨大だ。魔力が詰まった体は外からの魔力を弾く。強大なバーリンがそうであるのと同様にな」


 おそるおそるバーンは村正から刀を受け取った。ずしりと重い感触に思わず腰を据える。細身の刀の中に詰まった魔力がバーンに倦怠感けんたいかんを呼び寄せた。


「ちょっと待て。鞘にしまうだけじゃなくて手から離しても人格が戻らないのか? お前はこの中にいるんだろ?」


「だから、俺はそこにはいないんだよ」


 手が震え始め、今にも刀を落としてしまいそうなバーンから村正は容易たやすく片手で刀を受け取った。平然として刀を腰に差した村正は残念そうな目でバーンを見下ろすが、バーンは何も言い返せない。


「じゃああんた本当に何者なのよ?」


「面倒だな、わかったよ。教えてやるよ、俺はアーロンドだ」


「は?」


 村正の答えに、ミニアの怒りに満ちた声が寂しい遺跡に響く。バーンはもう慣れた、といわんばかりに何も反応せず、サイネアは背中に張りついたままぽかんと口を開けて村正の後頭部を見つめていた。


「なんだよ。別におかしなことは言ってないだろ?」


「十分言ってるわよ。アーロンドが演技してるなら性質たちが悪いし、そうじゃないに決まってるんだから怒るわよ」


 もう十分怒ってるだろ、と呆れた村正は遺跡を歩きながらもう五年以上前になる、あの日の話を語り始めた。




 アルテル遺跡から村正を持ち帰ったアーロンドは十日ぶりにダマスカスに戻ってきた。抜身のままだった村正を大きな布に包んで、あちこちが破れてぼろぼろになった服に、行きよりもずいぶんと中身の減ったバッグを背負っていた。


 帰りはもう少し早くなる予定だったのだが、野宿続きの体が簡単に癒えるわけもなく、もう日が落ちてから数時間は経っていた。獣が活発に動き始めるこの時間帯に首都から出ようとする人はほとんどなく、街道には人の姿は見えなかった。


「さて、考えなしに来てしまいましたが、ここをどう越えましょうか?」


 ダマスカスの正門。バーリンや杖を隠して侵入する犯罪者を未然に排除するために魔力を感知する首都の防衛システム。人間の目にも明らかな魔力の塊にダマスカスの正門が反応しないはずがない。


「教授に連絡すれば研究成果として入れてもらえるかもしれませんが」


 この時間に連絡をつける手段もない。もう一晩野宿というのは勘弁だった。


 一度正門の前から逃げるように立ち去り、バス停の待合椅子に腰をかけた。少し遠めに見えるダマスカスは近いようで、村正を脇に抱えたアーロンドには遠い場所だ。


 天に向かってそびえる城壁は数十メートルにもなる。その上は何もないように見えて透明な対バーリン用の魔法障壁が常に展開されている。


「あちらの方が抜けやすそうですね」


 見上げた城壁の上の空間。建造されて以来一度たりとも破られたことのない完全無敵の障壁にアーロンドは狙いを定める。遺跡でバーリンを斬り伏せ続けて昂ぶった心は長い旅路を終えてもなお冷めることはなかった。


 あの障壁を突破してみたい。


 そんな悪戯心いたずらごころがふつふつと湧き上がり、気が付いたときには村正の包みを解いて垂直に伸びる城壁に足をかけていた。


「この辺りはただの強化しただけの石のようですね」


 積み上がった切り出しの石のわずかな隙間につま先を差し込み、魔力を使って駆け上がる。


 平穏な日常に慣れ切ってしまっている門番はまさかダマスカスの城壁を走って上がる者など頭にないようで、騒ぎになるようなこともない。風を受けて少し汚れてくすんだ髪をたなびかせながらアーロンドはあっという間に城壁の頂上にひらりと舞い立った。


「ほう。初めて見ましたが、なかなか興味深い魔法紋様を刻んでいるのですね」


 アーロンドを敵とみなし浮かび上がる障壁の紋様を見ながら、アーロンドは落ち着いた様子で考察していた。あらゆるバーリンの猛攻を防いできた障壁も今のアーロンドには紙切れに等しいと言える。抜身の村正から溢れる魔力が障壁に当たって、火花のように弾けた。


「少しくらいなら勝手に直ってくれそうですね」


 村正を握り、アーロンドは不敵に笑う。魔力が相反して音を鳴らし続けているのも気にせず、アーロンドは村正を振り払った。


 弧を描いて裂けた障壁の隙間に体を滑り込ませて抜ける。そうすれば後は街の中に真っ逆さまに落ちるだけだ。風が顔に当たって、汗の滲んだ顔を冷やしていく。地面が見えてきたところで村正を振り、反動で勢いを殺すと、石畳の道路に音もなく降り立った。


「さて、早く帰りましょう。シャワーも浴びたいですし」


 人気のない路地を選んでアーロンドは自分の家へと向かって歩を早めた。


 工房の火はまだ落とされていないようだった。


 工房から外に漏れ出す明かりは淡い光だったが、アーロンドの父はその方が落ち着くのだと言い張っていた。


 子供のひいき目に見ても、父親は腕のいい杖職人とは言いがたかった。機能しないことは決してなかったが、デザインが優秀なわけでも、仕事が早いわけでも、特殊な技能を持っているわけでもなかった。入ってくる仕事は大手杖メーカーの下請けで同じデザインの杖にひたすらに魔法紋様を刻み込んでいくものばかりだった。


 母には逃げるように別れを告げられ、どこに行ってしまったのかアーロンドさえも知らない。それでも子供一人を育てるために毎日工房に籠りきっていた。


 アーロンドも大学から完全無償の特待生として迎え入れられなければ、今頃は社会人として仕事に身を削っていたかもしれない。この村正はいくらかの価値があるだろうか? 研究成果として買い取ってもらえれば生活も幾分楽になるだろう。


 それにもう一つ大きな発見がある。持ち帰ることはできなかったが、もしもアーロンドの想像と合致しているのであれば世紀の発見になるかもしれない。


 アーロンドは何故だか急に父の顔が見たくなって、荷物を抱えたまま工房へと足を踏み入れた。


「ただいま戻りました」


 工房ではいつものように父が変わらず杖に何かの紋様を彫っているところだった。棚には同じデザインの杖が山のように積まれ、どうやら今回も仕事ははかどっていないらしい。今回は剣型の杖らしく、打ち固められた刀身の腹に紋様を刻むのにはそれなりの力が必要になる。


 集中しているのか、それとも家を十日も空けたことに怒っているのか。父は金床かなどこから目を離すことはない。ただ紋様を彫る小さな音が狭い工房に下手な演奏のように流れていた。元から無口な人間ではあったが、今日の雰囲気はいつもと違っていた。


「どうかしたのですか?」


 無言のままに父は顔を上げる。いつから作業を続けているのだろうか、血走った目がぎょろりとアーロンドに向けられる。少し痩せた頬からしてろくにご飯も食べていないのだろう。答えのないまま父は立ち上がった。


 作業をしていた剣とのみをもったままの父は虚ろな視線のまま、右手に持った剣を振り上げる。


「何を!?」


 包みのままの村正で振り下ろされた剣を受け流す。包みが斬られ破れた包みの中から村正が姿を現した。

魔力を刀身にまとった村正に向かっていった剣は新品であるにもかかわらず、あっさりと半分に斬り落とされる。父は次の一振りを乱暴につかむとさらにアーロンドに向かって剣撃を続けた。


 村正の刀身が魔力の黒い渦を発し始める。それに呼応するようにアーロンドの体内の魔力が渦巻いて内臓をかき混ぜられているようでひどく吐き気がする。


「うぅ……」


 口から声と共に魔力が漏れ出ているような感覚。そのまま体にまとわりついた魔力が腕に絡みついて村正を握る手に力がこもる。


 アルテルでバーリンを斬り過ぎたのだろうか。たかぶっていた心は静まったと思っていたはずなのに、自らに向かって下手な剣筋を振るう父の姿が黒く濁って見えてくる。バーリンと同じく黒をまとう存在に人との境界が薄らいでいく。


 斬ってはいけない。


 そうアーロンドが思ったのと、村正を高々と天に掲げたのはほとんど同時だった。


 村正の魔力とアーロンドの魔力が重なってダマスカスの天井障壁のときよりも大きく、花火のように魔力が弾けた。

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