白刃と過去Ⅵ

「あいつは自分で自分の父親を斬ったんだ」


 壊れた遺跡の壁に腰かけて、村正は少し懐かしそうに空を見上げた。


「ただそんなのはたいして重要なことじゃない。言い訳するなら理由は他にいくらでもある」


 村正の魔力を侮っていたこと、自分も戦いに明け暮れて理性を失っていたこと、突然襲いかかられたこと。アーロンドの過ちはいくつもの要因が重なり合って起きたことだ。事実、警察機構が調べて裁判が行われたとしてアーロンドが刑罰を受けることはないだろう。それほどの事情があった。


「だが、あいつは父親を斬ったことを受け止めきれなかった」


「だから、罪を誰かに被せる必要があったわけだ。それを自分で作り出した」


「そういうことだな」


 村正は決して怒りを露わにすることなく、にやりと笑った。ようやく答えに辿り着いたバーンを小馬鹿にしているようだった。


「つまりな、俺はあいつ自身だ。あいつの罪を代わりに受け、あいつの欲望を満たすために生まれた悲運の剣豪ってわけだ」


 アーロンドの記憶から父親を斬った瞬間、そしてその原因となった妖刀を手に入れるまでの過程。それをアーロンドから押し付けられた状態で村正はアーロンドの中に生まれた。自らの体を自らで動かすことも叶わず、生み出したアーロンド本人にさえその生まれた原因を知られないままに。


「ちょっと待ってよ。罪はわかるけど、欲望って何よ?」


「わからないか?」


「わかったらいちいち聞かないわよ!」


 勝手だな、と村正はミニアに頭を振ってお手上げだと両手を挙げた。説明をしてやっているはずなのに、こんなに怒られる筋合いもない。それでも村正は苛立いらだつことなく話を続けた。


「人斬りだよ。いや、別に相手はバーリンでもいいんだが、とにかくあいつはここでバーリンを斬り過ぎた。動くものを斬り伏せる快感を知ってしまった。だから襲い来る父親に刀を振るうことができたんだ」


「そんな……」


「安心しな。その性格は全部俺が持っていった。アーロンドの人格には人を斬ることができない。ただ斬りたいという欲望はまだ持っているみたいだがな」


「そんな風には見えなかったが」


「お前らは感じなかったか? あいつは人もバーリンも斬れないと言っておきながら、いざ敵が迫ってきたと見れば簡単に妖刀を抜いて俺を呼び起こす」


「それは事態が迫ってきているからで」


「そうか? それにあいつはやけに死体が好きだろう。バーリンの黒い結晶をいつも見つめている。そうは思わないか?」


 村正の言葉にミニアは黙って頷きも首を振ることもできなかった。


 村正は腰かけていた崩れた遺跡の壁から立ち上がると、汚れを軽く払ってさらに奥へと歩き始めた。奥にはさらにバーリンだった黒い結晶が転がっているが、さして気にすることもなく蹴りながら道を作っていく。


「ほら、早く来いよ」


 ただ目的に向かってまっすぐ進んでいくその様子は、やや荒っぽいながらも確かにアーロンドを思わせる。ミニアもバーンもまだ村正の言っていることを完全に信じたわけではない。だが、この先にあるものが何なのかという興味がないわけではない。


 なにより、村正を信じ切ったようについていくサイネアを放っておくわけにもいかなかった。何かあればアーロンドが帰ってきたときに迎える資格がなくなってしまうような気がした。


「行くしかないみたいね」


「そうだな。早く帰ってこいよ、アーロンド」


 魔力が濃く流れる遺跡の中で、一匹たりとも現れないバーリンに逆に恐怖を抱きながら、ミニアとバーンは先を行く村正を追って遺跡の中を奥へと進んでいった。


「そろそろだった気がすんだけどなぁ」


「ちょっと、もしかして覚えてないの!?」


「んなこと言ったってもう何年前のことだと思ってんだよ」


 迷路というには簡単すぎる造りの遺跡だが、もう何度目かになる曲がり角を村正は迷いながら道を選んでいく。遺跡に着いた頃はずいぶんと頼りに感じていた背中もどこか小さくなっているように見える。


「おいおい、大丈夫か?」


「頭の良さはあいつだけなんだよな。まったくずりぃ話だぜ」


 突き当たりを右に曲がる村正の足取りはババ抜きの最後の二枚を引くときのようだった。それでも武士の嗅覚か、当たりを引き続けていたらしい。


「お、この辺りだな」


 村正の声が革新的に変わったとき、光の遮られた薄暗い遺跡の奥に壊れた壁面が見えてくる。今まで見てきたものとは違う滑らかな断面にこの部分が斬り落とされたことが容易に想像できた。もちろんそれを行った人物もだ。


「これは、パンドラの匣と呼んでいたものではないか?」


 一番最初にその存在に気がついたのはサイネアだった。壊れた壁の向こう側。同じく折れた柱のように見えたそれの先端にあるのは、確かに書物で見たパンドラの匣にそっくりだった。ただそれは柱の上におかれているのではなく、まるで地面から生えてきたように柱と一体になってそこにしていた。


「これはすごいな」


 近寄ってみると、確かに箱の形を成している。構成しているのはバーリンの体と同じ結晶ではあるのだが、少し色が薄く半透明の宝箱のようだった。少しだけ口を開けた辺りで止まっている匣には細長く小さな孔が開いていた。


「中身は、空か」


「見つけたときにはもう空だったぜ。周りにも何もなかった」


 拳二つ分ほどの大きさの箱の中は少しばかりの塵が入り込んでいる以外はまったくの空の状態だった。学説が正しいのだとすれば、ここからバーリンが生まれてくるはずなのだが、中に卵や何か生命を生み出しそうなものの痕跡も見当たらない。


 箱の中を覗き込んだミニアは、ふたに開いていた孔からまっすぐ下、箱の底側にも同じように細い孔が開いていることに気がつく。


「これってもしかして?」


「そうだ、ここにこの妖刀が刺さっていたんだよ」


 村正は腰の差した刀を示した。今はアーロンドが作った鞘に収められているが、この遺跡では抜身のままこの場所に刺さっていたのだ。


「箱の中の膨大な魔力を少しずつ吸っていたんだな」


「だからこの妖刀、尋常じゃない魔力を保有しているのか」


 さっき持った妖刀の重さが思い出されて、バーンは気だるそうに腕を振った。


「でもこれがパンドラの匣だって証拠はないんでしょ?」


 饒舌じょうぜつだった村正の説明が初めて止まった。アーロンドがここに来たときにもこれがパンドラの匣だという確証は持てなかった。


 確かにバーリンと同じ結晶で構成された箱ではあるが、ここからバーリンが生まれているかはわからなかった。

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