白刃と翼

神坂 理樹人

プロローグ

白刃と少女Ⅰ

 赤熱せきねつした鉄を打つ音が静かな工房に響いた。


 高い音を立てながら火花を飛ばすこと数回。水に浸してから出てきたそれを見て、アーロンドは額の汗を拭った。


「うん、今日もいい出来ですね」


 鈍色にびいろに光る刀身を見つめながら、納得したように二度頷く。まだ作業工程の半分も終えていないところではあるが、その手ごたえは確かなものだった。


 もう一度焼き入れをするために炉の中にまだただの細長い鉄塊を戻そうとしたところで、工房の扉が勢いよく開け放たれた。


「先生!」


「どうかされたのですか?」


「奴らが、バーリンがまた来やがったんだ!」


 慌てた様子の少年はアーロンドよりも少し年下の、村でとにかく足が早いことが自慢の少年だった。アーロンドはゆっくりと立ち上がろうとするが、彼は今すぐ走り出したくてたまらないように足をその場で踏み鳴らしている。


「だけど、今は男が半分くらい狩りに出てるから自衛用の杖が足りなくてさ。その先生のとこのを貸してくれないかな?」


 少年は工房に並べられたアーロンドの作品を横目に見た。


 美しく鍛え上げられたアーロンドの杖たちは自身の活躍する場所を今か今かと待っているようにも見えた。


「貸すだなんてとんでもない!」


「そうだよな。これは先生の売り物だし」


「そうじゃありません。いくらでも持っていってください。杖はいくらでも作れます。それよりも皆さん安全が一番です!」


 アーロンドの言葉に少年の顔が一気に明るくなる。


「私もすぐに向かいます。早く行ってあげてください」


 並べてあった商品を両手に抱えると、少年は土煙を上げて走り去っていった。


「さぁ、私も行かなくては」


 アーロンドは炉の火を落とし、鞘に入った自分の『杖』をとった。装飾が施された鞘からその杖を抜き放つと、まだくすぶる炉の火を受けて赤く輝く刀身が姿を現す。いつなにがあってもいいように、と杖の手入れを欠かしたことはない。


 扉に向かって歩き出そうとした瞬間に、炉のすぐそば、自分の作業場に最も近い場所に立てかけられた杖がアーロンドに囁いた。


「俺を連れて行け」


 地獄の底から這い出してきたような低く恐ろしい声。その声にアーロンドは急いでいるはずなのに足を止めてしまう。アーロンド自身もわかっていた。この杖がなければ自分が出て行ったところでどれほど役に立てるかわかったものではない。


「さぁ、俺を連れて行け」


「……」


「さぁ、さぁ、さぁ」


 怨嗟えんさのように繰り返される声に、アーロンドは手は震えていた。抗えない。この声に自分は抗えないのだ。踏み出していた足を返し、炉のそばで待っている杖の柄を握る。全身に冷水を浴びせられたようにアーロンドの体が痺れていく。


「あなたは極力抜きませんよ、村正むらまさ


「あぁ、お前が一人でなんとかできるってんならな」


 ただの杖のはずなのに、どうしてかあざわらう誰かの顔が浮かんでくるような気がして、アーロンドは村正を握ったまま工房から飛び出した。


 村の空を黒い影が覆うように飛び回っていた。魔族、今は学名が決められ『バーリン」と呼ばれるようになったそれは、村の上空から襲い掛かろうとしては常時展開されている魔法障壁に阻まれてたじろいでいる。


 数は多いが個体は小さい。これならきっと大きな被害は出ないだろう。村正を握った手に力を込めながらも、アーロンドは少しだけ胸を撫で下ろした。


 バーリンはその正体も生まれる場所すらもわかっていない生命体だった。どこからともなく現れ、黒曜石のような黒い肌と羽を持ち人間を襲う。その姿も大きさも知能すらも不揃いで、ただ一点、人を狙って攻撃を仕掛けてくるということだけが共通項だった。


 人が知恵を絞り、杖という補助を受けてなんとか扱えるようになった魔法をいとも簡単に操りながら、それをただ人への攻撃のためだけに使う。言語を解するほどの知能を持つバーリンでさえもその原則には逆らわない。


「どうですか、戦況は?」


 村の入り口にいた一人にアーロンドは問いかける。


「あぁ、先生! おかげでなんとかなりそうだ。先生の杖があれば何匹いたって平気さ」


 バーリンの数は多いものの力の強いものはいないらしく、こちらでも展開した魔法障壁に阻まれて村に被害は出ていないようだった。


「そうですか。しかしきっと指揮を執っているバーリンがいるでしょう。私が行ってきます」


「気を付けてくださいよ、先生。弱いけど数を連れてくるってことは結構賢いかもしれない」


「はい、では」


 アーロンドは一方通行の魔法障壁の内側から魔力を打ち出す村人たちの間を抜けて、村の外に広がる森の中へと足を踏み入れた。


 村に様々な恵みを与える森も、今はそこらじゅうに顔を歪めたくなるような魔力の痕跡が渦巻いていた。アーロンドはその不穏な魔力を頼りにして、もっとも大きなものを探していく。ほとんどのバーリンは空からの攻撃を試みているようで、森に残った強い魔力は一つしかない。


「いました。あれですね」


「へぇ、あんまり大したことなさそうだな」


 つまらなそうに言った村正に答えることなく、アーロンドはゆっくりとバーリンに近づいていく。


「そこか!」


 飛んできた魔弾をアーロンドがとっさに木の陰に隠れてかわす。バーリンの放つ魔力が集まってできた魔弾は、木の幹を焼き大きな焼跡を残した。


「話せるほどの知能をお持ちでありながら、なぜこのような」


 アーロンドは杖を抜き、中段に構えながらバーリンに問いかける。その質問に馬鹿馬鹿しいとばかりにバーリンの統領は声を上げて笑った。


「自分からやってきて命乞いとはずいぶんとおかしなやつだ」


「誰もそんなことは」


「体が震えているぞ。まさかその怯え方をしながら説教というわけでもないだろう」


 中段に構えた杖は確かに小刻みに震えていた。決して恐怖などしていない、そう言い聞かせてもアーロンドの震えは止まってはくれなかった。


「おい、さっさと抜け」


「いや、しかし」


 村正の声にアーロンドの心が揺れる。


「なんだ、貴様。誰と話している? 他にもいるのか?」


「ほら、抜けよ。俺を、だ。今すぐに」


「待ってください、それ以上言うと!」


 目の前にいるはずのバーリンの統領を見ることなく、アーロンドの視線は手に持った村正に向いていた。


「なんなんだ、お前は。狂っているのか? まぁいい。死ねば同じことだ」


 バーリンの統領がアーロンドに向かって手のひらを向ける。するとみるみるうちに黒い塊が生まれて大きく渦巻いていく。


「おかしなやつだ。加減なしで構わんだろう」


 黒い球体がバーリンの統領のほとんどを隠してしまうほどまで大きくなったところで動きが止まった。バーリンの羽と同じ黒曜石のような結晶と化した魔弾が、緑の豊かな森に不協和音を生み出している。


 当たればひとたまりもない黒い暴力がアーロンドに向けられている。


「さぁ、早く俺を抜け!」


「死ね!」


 村正の声とバーリンの統領が魔弾を放ったのは同時だった。

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