白刃と槍Ⅸ

 図書館は平日ということもあってか混み合う様子もなく、落ち着いた空気で迎えてくれた。


「うるさくしてはいけませんからね、いいですか?」


「うむ、驚かせるようなことがなければな」


 吹き抜けの高い天井から見える三階までびっしりと本が詰められた棚が規則正しく並んでいる。活字嫌いならそれだけで意識が遠のいてしまいそうな光景だった。もちろん目的の本を探すのも一苦労というだけではいかなそうだ。


 アーロンドは入り口そばにあった小さな箱を指差すと、サイネアを連れてそこに向かった。


「なんじゃ、それは?」


「これは蔵書のデータベースですよ。これを使うとどこに本があるかわかるんです」


「魔法はそんなことにも使えるんじゃな」


 正確には魔法ではなく科学なのだが、魔法しか見たことがないサイネアにとっては機械の方がよっぽど不思議なことなのだろう。操作するアーロンドの手が動くのを目で追いかけている。


「さて、だいたいこのくらいでしょうかね」


 アーロンドが蔵書を検索しながら見つけたタイトルは二〇冊は下らない。どれも学術論文集のようでサイネアが覗き込んだところでどんなものなのか想像もつかなかった。


「おとぎ話ではなかったのか?」


「有名な話ですから、論文集の巻末で話題になることが多いんですよ。専門的な見解を述べている人は少ないですけれどね」


 メモを片手に図書館内を迷うことなく歩いていく。中を歩くのは久しぶりとはいえ、アーロンドにとっては通いに通った大図書館だ。ここ数年で大きな配置換えはなかったようで、学生時代と少しも変わっていないように思える。


「これと、それからこれもそうですね」


 アーロンドはメモに移した番号を見ながら、手際よく目的の本を抱えていく。うず高く積みあがった本をバランスよく持ち運びながら、アーロンドはまた次の本を探していく。


「こんなに読んでおったら日が暮れてしまうぞ」


「全部一度は読んでいますから内容はなんとなく覚えているんです。細部の確認だけなのですぐに済みますよ、っと」


 アーロンドが抱えていた本の山の一番上から一冊の本が滑り落ちた。それを見てサイネアがとっさに手を伸ばすと、抱きかかえるようにしてつかむ。


「ほれ、言わんことではない」


「昔は五〇冊は持てたのですが、やらなくなると衰えるものですね」


「そういう問題ではなかろう」


 呆れたように言ったサイネアが大事そうに本を持ちながら肩を落とす。確かに一〇冊以上が積みあがった本を片手で扱うアーロンドはそれだけで十分に驚異的ではあるのだが、誰も図書館に大道芸をしにきたわけではないのだ。


「わしにも少し寄こせ。中を読んでもわからんが、運ぶだけならできるぞ」


「助かります」


 しゃがんだアーロンドから数冊の本を受け取ったサイネアとともに二人は閲覧用の席に並んで座ると、近くで勉強していた学生が驚くほどの本の山を一番上からめくり始めた。


 無言でページをめくり、すぐに目的のものにたどり着いてはメモを取っているアーロンドを見ていると、内容はだいたいわかっているというのも嘘ではないらしい。


 暇を持て余したサイネアはアーロンドが読み終わった内の一冊をなんとなくめくってみる。


「なにやら、さっぱりわからんのう」


「専門書ですからね。大学で勉強しないとなかなかわかりませんよ」


「ぬう、そうか。ん、これは?」


「何か知っていることがありましたか?」


 サイネアが手を止めたページはバーリンが生み出されていると言われているパンドラのはこを予想したものだった。木製のオルゴールを大きくしたような直方体の匣には何が入っているのかはわかっていない。


「ぬぅ、確かではないが、見覚えがあるようなないような」


 白い羽を持つとはいえ彼女もバーリンだ。このようなパンドラの匣から生まれてきたと考えられている。それならばサイネアが知っていてもおかしくはない。


「やはりパンドラの匣は実在するのでしょうか?」


「うぬぅ、しかし何か違う気もするし、ようわからんな」


曖昧あいまいですねぇ」


 あの日のことを全く覚えていない自分が言えたものではない、とアーロンドは調べ終わった本を閉じて、書き出したメモを順番に眺めてみる。やはり学生時代には読んでいなかった論文もあたってはみたが、良い情報を得ることはできなかった。


「あまりいい情報は得られませんでしたね」


「そうか、残念じゃな」


 二人は図書館を出ると、もう太陽が真南に近づいている。


「やっと出てきた」


 入り口のすぐ真横に立っていたミニアが、出てきた二人を見るなり、わずかな距離を全力で近づいてくる。その勢いに気圧されたのかまたサイネアがアーロンドの背中に隠れた。


「あれ、やっぱり逃げられた」


「そりゃそんなに鬼気迫る顔で近づいてきては子供はみんな怖がりますよ」


 立場が変わり、歳を重ねてもなかなか人間の本質までも変えることは難しい。どこまでいってもミニアはミニアのままだと思うと、アーロンドは少し嬉しくなって顔を緩ませた。


「ぬし、やはりこの女怖いぞ」


「どうして? 今朝も野菜ジュース届けたじゃない」


「うむ、それには感謝しておるぞ」


 アーロンドがいなければミニアもまともでいられるのだが。


「さ、ランチ行きましょ。昔行ってたモールのレストランフロアでいい?」


 図書館前の階段を降りながらミニアが振り返る。大学近くのショッピングモールは学生がよく来るせいか、周囲の店より一回り安いものが揃っていて財布に優しくよく通ったものだった。懐かしくなって、アーロンドはすぐさま同意する。


「ふふふ、アーロンドとランチデート」


「なんじゃ、妖気を放っておらんか?」


 口元が緩みっぱなしのミニアに不安そうにサイネアが視線を向ける。


「大丈夫よ。怪しいところに連れていくわけじゃないから」


「少しも信用できる顔をしておらんぞ」


 緩みきった顔のミニアは真昼の太陽に今にも溶けてしまいそうだ。それほど暑いわけでもない過ごしやすい気候だというのに、ミニアははぁはぁとさながら犬のように息を荒げている。


「とりあえず息を整えてください」


 未だに怖がってアーロンドの背中を離れようとしないサイネアを気遣うようにアーロンドが溜息をついた。数年も会っていなかったのだ。自分が悪いということで収まってくれればよいのだが。


「ぬし、本当についていくのか?」


「一度決めたミニアを止めるのは簡単ではありませんよ。槍を振り回すかもしれないですし」


「私だってもうそんなことはしないわよ」


「もう、ということは以前はしておったのか」


 呆れたように言ったサイネアに、アーロンドもミニアも答えない。実際学生時代酔った勢いで数度やったことはあるが、大きな被害は出していないはずだ。


「あぁ、その前にこの子に服を選んでいただけませんか? 私の服を着ているのも困るので」


「そうね。アーロンドじゃわからないだろうしね」


 これから向かうショッピングモールなら十分揃うはずだ。今日もサイネアは昨日洗濯したアーロンドのティーシャツを一枚羽織っているだけだ。丈は十分あるし、幼い少女の見た目ということもあって周囲からは何も言われていない。


 サイネアも一日経って服というものに慣れたらしく嫌がることもなくなった。


「もう、プレゼントなんて私ももらったことないのに。でも相手は子供だし、ノーカンノーカン」


「やはりこの女怖いのう」


 アーロンドが右往左往しているミニアを置いて図書館前の階段を下りる。ミニアに案内されるまでもなくショッピングモールへの道は分かっている。


「そうよ、ノーカンなのよ、って置いてかないでよ!」


 慌ててアーロンドたちの後ろを追いかけるミニアの姿には防衛省主任の威厳など少しも残っていなかった。

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