第11難 おーばーかむ・でぃふぃかるてぃーず
「コマリ様、私がついておりながら……」
「いや、そんなに悲観しないでくださいよ!」
今日は待ちに待った(!?)中間テストの一日目。あの時から二週間、秋人さんにみっちり勉強を教えてもらった。秋人さんは数学と物理、あと英語が得意で、その三つを特に教えてもらった。暗記系科目の国語や歴史なんかは汐里ちゃんノートを見て、なんとか自力で頑張った感じだ。もちろん、テスト勉強にはほのかちゃんがくれたプリントも使ったし、秋人さんが私に合った参考書をわざわざ探してきてくれたものを使ったりした。
「まあ、やれることはやりましたから、そこまで絶望視することもないでしょう」
「なんで不安になるようなこと言うんですか!」
秋人さんお得意の嫌がらせを起きた瞬間から浴びながら学校に行く準備をしてきた。あとは意を決して学校に行くだけ。
「もう……じゃあ、そろそろ学校に行ってきますね」
「はい、コマリ様……あの」
「はい?」
秋人さんが遠慮がちに呼び止めるなんて、珍しいこともあるものだなと思ったけれど、今は口にしないでおく。
「コマリ様は今回、コマリ様にしてはよく頑張られました」
「はあ……」
私にしてはって、軽く馬鹿にされてる? とも思ったけど、秋人さんなりに褒めてくれているようだったから、これも口を閉ざしておこう。
「……ですから、自信を持って行ってきなさい。コマリ様は焦るとケアレスミスが格段に増えて、できる問題もできなくなる傾向にあるので、分からない問題があれば飛ばしなさい。最後まで解き終えたところで分からない問題に戻って、ゆっくり考えれば大丈夫なはずです。この私が教えたのですから、とにかく自信を持って挑みなさい」
「……はい! 行ってきます、秋人さん!」
最後の最後まで、とにかく言い方が素直じゃなかったけど、今の私にはその方が心強かった。
「コマリ、大丈夫そうか?」
「分からないところ、もうなさそう?」
テスト直前まで、ほのかちゃんと汐里ちゃんが心配してくれたけれど、二人の心配とは裏腹に私は自信に満ち溢れていた。
「うん、大丈夫! ほのかちゃん、汐里ちゃん、ありがとう。二人のおかげで赤点とらない自信しかないよ!」
「えっと……意外と目標は”ソコ”なのね」
「あはははは! コマリらしいや! でも、ちゃんと勉強できたってことなんだな」
「うん、できることはやった。だから、私、頑張るよ!」
「うん!」
「おう!」
テストは二日間、今日は一日目。テストの順番は英語、日本史、物理。英語は汐里ちゃんノート、日本史はほのかちゃんプリントのおかげで私にしては割とスラスラと最後まで解けた。もちろん、忘れちゃった部分とかもあって悔しかったけど、そこは今朝の秋人さんのアドバイスを思い出してとりあえず飛ばし、最後の問題までたどり着くことを目標に据えて解いていった。そうすると、他の問題を解いているうちに突然前の問題の解き方を閃いたりもしたし、何より焦ることなく最後まで集中してテストを受けることが出来た。
最後の物理は、汐里ちゃんノートで公式を覚えながらほのかちゃんプリントで問題をこなし、秋人さんからは問題の考え方のコツを教えてもらった。
特に、今回の単元は力のモーメントが入っていたのだけど、秋人さんの教え方ときたら……
「坊っちゃん、持ってきましたよ」
私の部屋に、珍しく市村さんが入ってきた。その脇に何故かキャスター付きの座面が回るタイプの椅子が置いてあった。
「ああ、市村。コマリ様に物理の力のモーメントについてお教えするのだが、手伝ってくれるか?」
「力のモーメント? いやぁ、オジサン、勉強したって記憶はあるけど、もうだいぶ昔のことだから教えられるかなぁ……」
市村さんが椅子を部屋の中へと搬入して、ワイシャツの袖をまくり、椅子に座って教える態勢に入ったけれど、秋人さんが何故かそれを制止した。
「市村、お前は座っているだけでいい」
「え? そうなんですか?」
秋人さんは市村さんを部屋の真ん中の空いているスペースに移動させて改めてキャスター付きの椅子に座らせ、私には立つように促した。
「力のモーメントとは簡単に言えば、ある物体を回転させる時の力のことです。そこはお分かりでしょうが、コマリ様はひたすら公式を暗記しようとされています。そんな理解の仕方ではいずれ無理が生じるでしょうから、コマリ様には市村を使って力のモーメントを体感していただきます」
「え、何、俺何に使われるの?」
「市村、手を腰に当てて」
「こうですか?」
「コマリ様、市村の肘を掴んでください」
「ええっと……こうですか?」
秋人さんに言われるがまま、市村さんの張り出した肘を右手で掴んだ。
「はい、ではコマリ様、市村の肘を掴んだまま椅子の周りを歩き、市村を回転させてください」
「えっ、は、はぁ……」
遠慮している私に、市村さんは「いいよ」と苦笑いしながら回すように促してくれた。
「いきますね」
市村さんの肘を掴んで、市村さんの周りを歩くと、当然ながら椅子に座っている市村さんは簡単に回転した。
「……んで、これがなんなんですか、坊っちゃん……」
秋人さんの意図を汲み取れないのは私だけではなかった。
「では市村、次は腕を伸ばし、コマリ様は市村の手を握って市村を回転させてください」
「は、はあ……」
市村さんの伸ばされた右手の先を握って市村さんの周りを回ると、さっきよりも力はいるし、なにより移動する距離が増えてちょっとだけ大変だった。
「コマリ様、違いが分かりましたか?」
なるほど、秋人さんが伝えたかったことはこのことだったのか!
「はい、回転軸と作用線までの距離が関係してくるってことですね!」
秋人さんは満足そうにニッコリと私に笑いかけてくれたけど、次に市村さんを見たときには意地悪な笑みに変わっていた。
「では、まだ色々と実験してみましょう。今度は市村に対して……」
「え、ちょっと待って。オジサンすでに酔ってきてるんだけど」
「市村、このくらいで酔うようでは、運転手として失格だな」
「いやいや、それとは全然別物の気持ち悪さなんですって……いや、コマリちゃん? なんでもう回そうとしてるの?」
「市村、これもコマリ様の勉強のためだ」
「いや、え、ちょっと――――やめてええええぇぇぇぇぇぇ…………」
「ぷふっ……」
テスト中なのに思い出し笑いをしてしまった。流石にヤバイと思って試験監督の先生の方をチラッと見たけれど、先生の視線は窓の遥か彼方。幸い気づかれてないみたい。
あんな勉強の仕方は初めてだったから衝撃的だったけど、衝撃的すぎた分、内容がすんなりと頭に入ってきた。
こうして、私のテスト一日目は、何事もなく終わりを迎えたのだった。
*
「ただいま戻りました!」
「おかえりなさいませ、コマリ様」
テストが終わってお屋敷に戻ってこれたのは十四時頃で、芙由子さんが出迎えてくれた。秋人さんは今日、大学に行っているため遅くまで帰ってこられないそうだ。残念だけど、今日は私一人で最後のテスト勉強に励むことにした。
部屋で勉強を始めること四時間。余裕のない私にとってその四時間はあっという間だった。
コンコン――
部屋の扉がノックされた。少しだけ、秋人さんが帰ってきたのかなって期待してしまったのだけど、部屋に入ってきたのは芙由子さんだった。
「コマリ様、お夕食の支度が出来ましたが……こちらにお持ちいたしましょうか?」
「いえ、下に食べに行きます」
芙由子さんからの折角の提案だったけど、部屋から出た方が気分転換になるからと断った。芙由子さんの案内で食堂の席につくと、こってりとしたような、とてもいい香りがどこからともなく漂ってきた。
「本日のお夕食は野菜煮込みうどんでございます」
香りの正体はこれだった。そのスープの色から察するに、味噌とかがベースだと思うのだけど、これが本当にいい香りがして食欲がそそられる。
「実はこのメニュー、秋人様の厳命により今日お出しすることが決まったんですよ」
芙由子さんが「私が言ったということは内緒ですよ」と言って教えてくれた内容は、秋人さんの優しい気遣いがひしひしと伝わってくる内容だった。
秋人さんは試験前の私の体調をしっかりと考えたうえで献立を決めてくれていた。市村さんが「試験に勝つってことで、カツ丼がいいんじゃない?」なんて言ったのを消化に悪いという理由でバッサリと切り捨てたという。試験前にお腹を壊したら困る、消化に良く、かつ脳のエネルギー源になるという理由から、うどんに決めたのだという。
「すみません、これ以上話すとうどんが伸びてしまいますね。よく噛んで、ゆっくりと召し上がってくださいね」
「はい、いただきます!」
まだ湯気が立ち上がる野菜煮込みうどんを一口食べると、美味しさと、温かさと、みんなの優しさがじんわりと身体中に染み渡っていった。
夕飯を食べ終わってからは、再び勉強しに自分の部屋に籠もっていた。またまた時間はあっという間に過ぎていて、時計の短針がてっぺんを指すところでコンコンと部屋のドアがノックされた。
「失礼致します」
その声に、勝手に、自然に、期待が高まる。
「どうぞ!」
「コマリ様、ホットミルクをお持ち致しました。あまり根を詰めすぎるのは良くないですよ」
やっぱり! 部屋に入ってきたのはお盆をかっこよく片手で持った秋人さんだった。服装は燕尾服ではなくカジュアルな普段着で、メガネを掛けていたから、秋人さんももう少しでお休みするのかな、と無駄に観察してしまった。一日が長かったから、なんか、秋人さんと久しぶりに会ったみたいな気分だ。
「私の顔に何かついていますか?」
「えっ! いや、すみません、そういうわけでは……」
「では、私がいなくて心細かったのですか?」
「うっ……それは……」
そういうこと、分かっちゃったとしても言わなきゃいいのに!
何故か秋人さんに”まあまあ”と諭され、勉強机ではなく、小さなテーブルが脇にあるゆったりとしたソファに座らされ、カップにホットミルクを注いでもらった。
「美味しい……」
疲れた脳と身体に温かさとほんのりとした甘みが広がっていく。一息ついたら、
なんだかどっと疲れが出てきた。
「ふあ〜あ……」
思わず大あくびが出てしまって、また秋人さんにお小言を頂戴するんじゃないかと思ったけど、秋人さんは私の机の上にあった数学のプリントを真剣な眼差しで見つめていた。
「秋人さん、どうしました?」
「……コマリ様、このプリントは、先生が普段授業で使っているものですか?」
「はい、そうですけど……」
あれ、なんかまずいことでもした? それとも、明日のテスト、思ったよりヤバそう……? 急に不安が襲ってきて、カップを持つ手がわなわなと震え始める。
「この調子だと――」
アア、オワッタ。さよなら合格点、こんにちは再試験。
「基礎はできているので、ケアレスミスやよほどテストの難易度が高くない限りは七十点はとれそうですね」
「よ……良かったぁぁぁああああ!」
びっくりしたビックリした吃驚したよ! というか、マジか。マジですか!
赤点の点数は六十点未満だから、七十点取れれば万々歳だし、何よりいつも六十点スレスレの点数でなんとか乗り越えてきたから、七十点なんてとれたら自己最高記録更新だ。
「ただし、一つの計算ミスもなく、テストの難易度がこれらのプリントに合わせて作られていたらの話ですから、油断はされませんように」
「は、はい……」
七十なんて数字が飛び出してきたものだから、ついつい浮かれてしまった。秋人さんの言う通り、苦手な数学に変わりはないのだから気を引き締めていかなければ。
「先程も申し上げた通り基礎はできていますから、難易度の高い問題が出てもとりあえず挑んでみてください。途中点の二、三点しかもらえずとも、それも立派な点数に変わりありません。絶対に諦めることだけはしないでくださいね」
「……はい、頑張ります!」
*
「始めてください」
テスト二日目。もうすでに国語と化学は終わり、残るは数学だけになっていた。
名前を書いて、最初にテストの構成をザッと見ていく。大きく六題構成になっていて、最初の大問一〜二には単純な計算問題がズラッと並んでいて、大問三〜四には文章題とグラフ問題、大問五〜六には”難問”が待ち構えていた。
とりあえず手が出せそうな大問一〜二の単純計算を解いていって、分からないところは秋人さんのアドバイス通りにとばしていく。
大問三〜四には秋人さんが”あの時”からずっと教えてくれていた微分・積分の計算とグラフ問題があった。なんか、あの時がすごく遠いことのように感じるけど、それでも、昨日のことのように思い出せる。秋人さんとすれ違って、何故か春也さんとデートして……って、今そんなこと考えている場合じゃない。今思い出さなきゃいけないのは、秋人さんから教えてもらった勉強のことだ。ここは秋人さんと何回も反復練習をしたところで、グラフなんかは絶対に間違いようがないってくらい書いた。というか、この問題で間違えたりしたら、秋人さんに何を言われるものか分かったもんじゃない。
そして最後の難問。なんか、グラフにいっぱい線がある。曲線とか直線とか。うん、ヤバイこれ。ひと目見ただけでは全然何から手をつけていいのか分からなかった。回答は自由記述形式。解答欄の空白がやたらとデカイやつだ。
秋人さんに言われた通り、ここで簡単に諦めたくはない。とりあえず、曲線と直線の式を一つずつ出してみると、グラフの交点とかが出せるようになった。あとは面積とか出せばいいんだろうけど……とりあえず、ここは撤退。最初に戻って分からなかった問題と解いた問題の見直しをすることにした。
「はい、解答をやめてください」
先生の告げた終わりの一言が教室に響き渡ると、教室中のあちこちから溜息が聞こえてきた。それは悲嘆の溜息か、疲労の溜息か。
「ふう――」
私がついた溜息は、安堵にも似た、すっきりとしたそれだった。
*
*
「秋人さんっ! ただいま帰りました!」
「おかえりなさいませ、コマリ様……何か良いことでもあったようなお顔ですね」
「分かります? えへへ……聞いてくださいよ」
「はい、聞いておりますよ」
「あのですね……数学のテスト、七十九点でした!」
「……おや。私の理想には程遠いですが……よく頑張りましたね」
「もう! 今日くらい素直に褒めてくれたって良いじゃないですか!」
「そうですね、流石は私のコマリ様です」
「でへへへへ……ありがとうございます!」
(ん? ”私の”コマリ様って? まあいっか。珍しく褒めてくれたんだし)
慰謝料はドSな執事で。 風見ちかちか @chikachika
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