第9.5難 be in love with

「まったく、あのクソガキときたら……」

 人の気も知らないで、呑気にもほどがある。

 イライラが収まらず、勢いに任せて家の外に出てしまったが、特段行くところもないので家の裏の庭にあるベンチでとりあえず頭を冷やすことにした。

 あのクソガキは今頃先生の診察を受けている。熱の原因は分からないが、あの様子だともう大丈夫だろう。だが、また倒れでもしたら……

「クソっ、何なんだ」

 また心配をしてしまった。アイツならもう大丈夫だ。アイツが自分でそう言ったんだ。俺が心配してやる筋合いなんかもうない――そのはずなのに、何かが胸の奥でモヤモヤと渦巻いていく。

 思考回路が定まらない。イライラが収まらない。

「すぅ………………ふぅ……」

 大きく息を吸い込んで、吐き出す。肺に冷たい空気が流れ込む。もう少しして、この感情が収まったらあのクソガキの様子でも見に行ってやろう……仕事だからな。その前に、今日の昼食の献立でも考えておくか。多分、アイツの朝ご飯くらいはダレンが用意するだろう。他には何かやることはあっただろうか。

「………………」

 頭がボーっとする。そういえば、今日はあまり寝られなかったな。

 ヒュルリ――――

 俺の疲労を拭い去るかのように、風が通り過ぎていく。ベンチに横たわり、心地いい風に身を任せる。ザワザワと木が音を立てているのだが、それも今は良いBGMとなっている。段々と、木の音も、風の音も遠のいていって、いつの間にか俺は寝入っていた。




 *




「……さま、秋人様」

 どのくらい経ったのだろうか。俺を呼ぶ声によって意識は覚醒し、声の主が誰なのかをすぐに理解した。

「ダレンか……」

「おはようございます、秋人様。よくお眠りになられていたようで」

 上半身を起こし、地に足をつける。そのまま大きく伸びをし、息もまた大きく吸い込んで、吐き出す。身体が少し冷えている。

「秋人様、お目覚めのところ恐縮ですが、コマリ様についてご報告致します」

「ああ……」

 起きて一番にあのクソガキの報告か。癇に障るが、これも仕事だから仕方ない。大方、勉強のしすぎで知恵熱でも出したのだろう。ダレンに続けるよう促すと、その報告は予想外のものだった。

「心因性だと?」

「はい。進藤先生の見解では、コマリ様は慣れない環境にずっと一人で身を置いていらっしゃるので、知らないうちにストレスを溜め込んでしまっていたのではないかと。そして、そこに勉強で無理を重ねてしまったために、精神的にも肉体的にも限界が来てしまったのではないか、とのことです」

「そう、か……」

 返す言葉が、見つからなかった。風が俺を責めるかのようにビュウビュウと音を立てて吹き付けてくる。胸の奥にまた恐ろしくモヤモヤとしたものが渦巻いていく。

「秋人様、私からも一つ、よろしいでしょうか」

「なんだ」

 こんな時に、ダレンはニッコリと微笑んだ。俺はこのダレンの顔を幾度となく見たことがある。この顔をするのは……


 ――説教の時だ。


「いいですか、秋人様。あなたは今朝仕えるべき主人、しかも体調を崩した主人を置き去りにして部屋を出ました」

 ダレンの説教は毎回長時間に及ぶことが多い。そして、核心という核心をついた説教をしてくる。

「それは、アイツが平気だと言ったから……」

 分かっていても口答えをしてしまう。それを無駄だと言わんばかりにすかさずダレンが割って入る。

「いいえ。それでも秋人様はそこに残るべきでした。執事たるもの、主人の体調を仔細に把握し、快方に向かうよう先生と相談し今後の治療方針を定める、ご無理をなさらないように見守る、体調に合わせたお食事を作る、やるべきはいくらでもあったでしょう。それを秋人様、あなたはすべて放り投げて逃げ出して、呑気にも惰眠を貪っていらっしゃった。はっきり申し上げますと、完全に執事失格でございます」

 ダレンは正しい。だが、アイツのことを思い出すとまたイライラが始まり、口答えせざるを得ないような感覚に囚われて、また”無駄なこと”をしてしまう。

「それは、そうかもしれないが……しかし、執事はまだ始めて二週間程度なのに、お前の立派な執事論を説かれても……」

「いいえ。執事という仕事を引き受けた瞬間から、あなたは”執事”なのです。三日も十年も変わらない。私たち執事は、常にプロでなくてはなりません。そんな覚悟もなく、あなたはこの仕事を引き受けたのですか。そんな中途半端な覚悟であるならば、執事などやめてしまいなさい」

「それは……っ」

 気迫に負けたとかそういった話ではなく、俺が間違っていたということを、これでもかというくらい実感させられる。

「すまない、俺が悪かった」

「おや、”すまない”なんて秋人様の口から聞けるとは。長く仕えてみるものですね」

「お前な……」

 ダレンは実のところ、使用人たちのなかで一番嗜虐的である。世俗的に言い換えるならば”ドS”だ。昔から、俺を説教しては楽しんでいる節がある。もちろん、説教の内容は九割九部正しいのだが、説教をし終えた今、とても満足そうな顔で笑っている。これは多分、まだ何か言い足りないことがあるのだろう。そういう顔だ。

「秋人様、説教ついでに、あなたのその感情の正体をお教えいたしましょうか」

「………………じゃあ、頼む」

 ダレンの顔が未だに楽しそうなことに一抹の不安を覚え、一瞬躊躇したが、俺はこの得体の知れない胸の奥のモヤモヤの正体を知るためにダレンに頼ることにした。

「それは、”甘え”でございます」

「甘え……?」

 意味が分からず、オウム返しをしてしまった。

「はい、甘えでございます。あなたはコマリ様に甘えていらっしゃるのですよ」

「俺が? あのガキに?」

「はい」

「何故?」

「そうですね……要するに、秋人様にとって、コマリ様は気が許せる相手だということでしょう」

 何を言っているんだ、こいつは。と、ダレンの言葉を一旦遮ろうかとも考えたが、それはダレンの説教を長引かせるだけなような気がして今はやめておいた。

「故に、あなたは執事なのに主人であるコマリ様に見返りを求めてしまいました」

「見返り? 給料のことか?」

 当然のことを返したまでなのに、ダレンが声を上げて笑い始めた。

「フフフッ……秋人様、ご冗談を」

「俺は冗談など」

「まあ、そうですよね。秋人様は天然でいらっしゃいますね」

「それはどういう意味だ」

「まあ、それは置いておいて、秋人様が求めた見返りとは、コマリ様から認められることだったのでしょう。秋人様はコマリ様に看病してやった自分を見てもらいたかった。頑張った自分を褒めてほしかった、そんなところでしょう」

「なっ……!」

 なんだと……? 俺が、アイツに褒めてもらいたがっていた? 考えれば考える程に羞恥心が湧き上がってきて、否定しようとしてもどこかで納得しかけている自分もいて、思考回路が爆発寸前だった。

「執事の仕事はどれもやって当たり前のことなのです。看病とて仕事の一環だということは秋人様も本当は重々承知のはずで、見返りなど不要だということも理解しておられたはず。しかし、それでもそれを求めてしまったのは、秋人様がまだ未熟であるということと、あなたがコマリ様に甘えていらっしゃるということの表れです」

 ダレンの言う、執事の仕事に関しては理解できる。俺が至らなかったことも十分に痛感させられた。だが、俺がコマリ様に甘えているということだけは納得いかない。

「まあ、秋人様が困惑するのも無理はありません。コマリ様は、秋人様が今まで出会った方々とは少々違ったお人柄をお持ちのようですので……まあ、その秋人様がコマリ様に抱いている感情の名前は、ご自分で付けるのがよろしいでしょうね」

「それはどういう……」

 こんなに俺が困惑している中でも、ダレンはと話を遮ってきた。そんなこととはなんだ。

「春也様が、コマリ様をデートに連れて行かれましたよ」

「何故それを早く言わない!」







 コマリ様に電話を掛けてみるが電話には出なかった。嫌な予感がしてコマリ様の部屋へと向かうと、ドアの内側から着信音が微かに聞こえてきた。

 諦めて”首謀者”に電話を掛けてみるが、ドライブモードをつげるアナウンスが聴こえてきた。多分、本当にドライブ半分、残りは俺から連絡を断つことが目的だろう。

 連絡をとることは諦め、早々に車に乗り込む。あの人の行きそうなところはどこか。考えを巡らせてとりあえず街の方へ車を走らせてみたが、しばらくすると渋滞に巻き込まれた。そうか、今日はマラソンか何かあったことを失念していた。車を動かそうにも、右にも左にも当分抜けられそうにない。渋滞に捕まっている間にも思考は止めず、あの人が行きそうなところを想像してみる。この渋滞の先にあるカラオケやボーリングなどの娯楽施設に行くだろうか。それはないだろう。あの人はああ見えて意外と合理的なところがあるから、無謀なことはしないだろう。とりあえず、街の方に向かうのはやめて渋滞から抜けることに専念した。

 数十分後、なんとか渋滞から抜け出し、別の国道へ車を流しながら再び考える。もう昼食の時間帯だから、どこかで昼食をとっていそうなものだが、皆目検討もつかない。とりあえず、目についたレストランやカフェの駐車場であの人の車を探して見たが、こんなやり方ではやはり見当たらない。そうこうしているうちにあっという間に一時間以上が過ぎていて、もう昼食時ではなくなっていた。こんな探し方では一日掛けても見つけられないだろう。

 あの人の行きそうな場所。その一点に掛けるしかない。しかし、あの人とはあまり一緒にでかけたことがない。多分、二人で出かけたことなど両指で数えられる程度しかないだろう。まさか、あのカー用品店? いや、いくらなんでもそれはないか……映画館、は渋滞の先だから違うだろう……街にいけなくなった以上、車を使って少しだけ遠出している可能性もあるが、コマリ様の体調を考慮して車で一〜二時間で行けるような……ドライブ……

「まさか、あの場所――」

 あの人が、特別に思うあの場所に、コマリ様を……

 そうだとしたら、あの人がコマリ様に対して何を考えているのかが分からない。しかし、何故だか嫌な予感がゾワゾワと身体の奥底から湧き上がってくるのを止められなかったため、俺はあの場所へと車を走らせた。

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