第10難 びこうず・おぶ・まい・わーく
車のドアが閉まる音に驚いて振り返ると、そこには彼が立っていた。
「コマリ様、お迎えに参りました」
「秋人さん!」
反射的に秋人さんの方へ歩み寄ろうと一歩進んだその瞬間、私の右腕が強い力で引っ張られてそのまま抱き寄せられてしまった。
「秋人、今更何しに来たの?」
「春也さん……っ!?」
私の視界は春也さんで遮られている。物理的にも精神的にも状況が分からなくて、ただただフリーズするしかなかった。
「――コマリ様をこちらへお返しください。家までお送りいたします」
「……へえ、執事の仕事、投げ出したくせに?」
「それは……」
あの秋人さんが言葉に詰まっている。それに、春也さんの声って、こんなに冷たい感じだったっけ……?
「秋人、お前がコマリちゃんの執事だから言ってるんじゃないよ。社会に出たら、ましてや親父の会社を継いだら仕事を途中で投げ出すなんて絶対に許されないよ。分かってんの?」
「……はい、承知しております」
違う、違うのに。私が秋人さんの気持ちを踏みにじるようなことをしたから、私のせいなのに。
春也さんに反論したかったのに、次に春也さんの口から出てきた言葉は、私の予想のはるか斜め上を行くものだったから、私の反論も斜め上に吹き飛んで行った。
「それに俺、まだコマリちゃんを返したくないんだよね」
春也さんの腕の拘束の力がぎゅっと強くなった。
「俺、コマリちゃんのこと、好きになっちゃった」
突然、耳元で紡がれた、愛の言葉。
「なっ……!」
この驚嘆の声は私から出たものではなく、秋人さんから出たものだ。私はというと、情けなく金魚みたいに口をパクパクとさせ、というか、驚きのあまり声すらも失ってしまっていた。心の中で言っておこう。にゃんですと?
「…………なーんてね! コマリちゃんは返してあげるよ。テストの準備もまだあるでしょ。どうせもう家に送ってあげるつもりだったし」
私を留めていた腕の力がすっと抜けたかと思うとあっさり解放された。春也さんの顔を改めて見てみるといつもの飄々とした笑顔に戻っていた。
「あの、春也さん……」
もう何から質問していいのかも分からなくて、とりあえず彼の名前を呼んでみたけれど。
「ふふ、コマリちゃん。困らせちゃってごめんね。テスト勉強頑張るんだよ!」
「へ? えっと……はい、頑張ります」
なんだか、有耶無耶にされた感じもしたけれど、この際もういいや、心臓がもたない。
春也さんは秋人さんに向かって手招きすると、「ほら、エスコートしなさい!」とおちゃらけてみせた。意外にも秋人さんはそれに素直に従って、私の手をとるとそのまま赤い車へとエスコートしてくれた。
「あ、コマリちゃんのこと好きってのは、冗談じゃないからね〜!」
後部座席のドアが秋人さんによって閉められる寸前に車内に飛び込んできた言葉にビックリして春也さんの方を見たけれど、春也さんはいつものふわふわ笑顔で手をひらひらと振っている。もう何が本気でどれが冗談なのかが分からない。
「発車します」
秋人さんは一言注意を促すと一気に車を発車させた。決してスピードの出しすぎとかではなかったけど、春也さんから逃げるように、何故かそんな風に走っているような気がした。
*
「秋人さん、あの……」
「コマリ様、お話は家に帰ってからゆっくりいたしましょう」
この会話をしてから一時間とちょっとの間、二人とも無言で車に揺られていた。お屋敷に着く頃には辺りはもう暗くなっていて、お屋敷からは煌々と明かりが漏れていた。
「おかえりなさいませ、コマリ様」
秋人さんの赤い車から降りると、玄関前でダレンさんが迎えてくれた。秋人さんは車庫に車を駐めに行くということでちょっとだけ別行動。
「コマリ様、本日は春也様と秋人様がご無礼を働き、大変失礼いたしました」
ダレンさんに頭を下げられてしまった。そのお辞儀の姿勢すら完璧だなと一瞬感心してしまったけれど、そんなこと考えている場合じゃない。
「いえ、全然気にしてないというか、悪いのは私というか……それより、すごく息抜きが出来たから、とってもありがたかったです」
「それはそれは、そう言っていただけて何よりでございます」
ああ、そういえば、春也さんにお礼を言いそびれてしまった。今度会った時、ちゃんとお礼を言おう。
『俺、コマリちゃんのこと、好きになっちゃった』
ふと頭をよぎる、あの言葉。今度会った時、どんな顔をして会えばいいんだろうか。
「コマリ様、お顔が少し赤いようですが、お加減はいかがですか?」
「へっ……あ、いや、もう全然元気です! あははははは……」
今のはどう考えてもわざとらしすぎるよね。ダレンさんに考えていることがバレてないといいけど……
私の心配を察してくれたのか否か、ダレンさんはそれ以上つっこんで聞かないでおいてくれた。
夕飯が出来ているということで、ダレンさんのエスコートで席につくと、私と秋人さんの二人分のお食事が用意されていた。ダレンさんの勧めで秋人さんを待たずに先に夕飯をいただいていると、秋人さんが遅れてやってきて無言で食事に手をつけ始めた。
「秋人さん……」
「コマリ様、お食事中におしゃべりをするなんて、お行儀が悪いですよ」
いつもは注意されない注意をされた。それだけまだ私と話したくないということなのかな。ちょっと、というかけっこう凹むけれども仕方ない。ここでも私たちは二人とも終始無言で食事の時間を過ごすことになった。
その後も、寝る時間になるまで秋人さんは私のお世話をしてくれたけど、本当に必要最低限の声がけしかされなかった。嫌味ですら一言も言われなかった。嫌味を言われるのは嫌だけど、何故だか少しだけ寂しいような気がした。
「はぁ……」
色々思考を巡らせても出てくるのは溜息ばかりで、もう寝ようとしたその時だった。
コンコン――
「失礼致します」
部屋のドアを誰かがノックした。声の主はもう誰かは分かっている。
「えっと、はい、どうぞ!」
ベッドに腰掛けていたのだけど、その背筋が自然と伸びる。
ドアから入ってきたのはやっぱり、秋人さんだった。
「コマリ様、夜分遅くに失礼致しますが、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「はい、私も秋人さんとお話がしたいと思っていました」
とりあえず、秋人さんを机の椅子に座るように促し、私はそのままベッドの脇に座っていた。
「今朝はごめんなさい!」「申し訳ありませんでした」
「え」「あ」
謝罪のタイミングが被ってしまった。
なんだか可笑しくって、私がふふっと笑うと、秋人さんも困ったように眉尻を下げながらクスッと笑った。
「謝罪とは、なかなか難しいものですね」
「そうですね、タイミングとか、難しいですよね」
「…………」
「…………」
変な沈黙が流れたけれど、それは先ほどまでとは違って重苦しいものではなくなっていた。
「コマリ様、私は執事として、してはならないことをしてしまいました」
「そんな、私だって、秋人さんの気持ちも考えずに……」
「そうですね……アレは少し、ひどかったですね」
ド直球な反応に少し驚いて秋人さんの顔を見ると、いつもの嫌味な笑顔に戻っていた。いつもならイラッとするはずなのに、今だけはなんだかちょっと安心した。
「冗談です、コマリ様はテストのことで焦っていらっしゃった。そのお気持ちを受け止められなかったのは、私がまだ未熟だったからです」
秋人さんはすくっと立ち上がると、私の目の前まで歩み寄り、そのまま私の前で跪いてしまった。
「ど、どうしたんですか!?」
「――コマリ様、私は執事としてまだまだ未熟者ではございますが、これからもお傍に置いていただけますか?」
秋人さんが右手を差し出してきた。
「えっと、あの、そんな畏まらなくてもいいというか……」
「では、お許しいただけないと?」
「えっ、そうじゃなくて、えっと、こちらこそ、よろしくお願いしますっ」
差し出された右手に、私の右手を重ねると、その直後、チュッと軽やかなリップ音が部屋に反響した。
「〜〜〜〜っ!!!!????」
「手の甲にキスされたくらいでなんですか、コマリ様もそっちの方では未熟者ですね」
「は、はぁ〜っ!?」
信じられない、なんなんだこいつ! このタイミングで普通そんなこと言う!?
「なんでこんな、今……!」
「ふむ、そうですね。従属の証、とでも言っておきましょうか」
「普通の執事さん、こんなことします!?」
「さあ、私には分かりかねます」
このあとも、やいやい言い合ったけれど、結局私は秋人さんには勝てなかった、というかうまく丸め込まれてしまった。
秋人さんは自分の部屋に戻り、私も改めて寝ることにした。最後にまた言い合いになちゃったけど、あんなに寂しい思いをするよりは、いつもの小憎たらしい秋人さんでいてくれた方がずっと落ち着く……まあ、落ち着くって言ったら語弊があるかもだけど。でもやっぱり、仲直りできてすっごく嬉しかったのが一番正直な気持ちだった。
なんだか今日は長い一日だった。すごく疲れたから、今日はぐっすり寝られるな〜と最初は思っていたけれど……布団に入ったら今日のことを一気に思い出して、恥ずかしくなってきて足もなんだかムズムズしてきて、結局ちょっと寝不足になってしまった。
*
「秋人様、そのご様子だと無事解決できたようですね」
「……ダレン、俺がそんなに浮かれているように見えるのか?」
「いえ、そういうわけではございませんが、あなたに何年仕えているとお思いですか?」
「ふん……まあいいさ。それより、今朝言われた名前のことだが」
「はい」
「そんなものはない。だが、俺がするべきことは決まっている。贖罪、ただそれだけだ」
「そうでございますか」
「ああ、そうだ。それ以上でもそれ以下でもない。それがコマリ様に対して俺がやるべきこと、俺の仕事だ」
「……ええ、そうでございますね」
「ふぅ……秋人様も、素直じゃありませんね」
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