第3難 くらうん・ぶらざー
【2018年8月7日 誤字修正】
予定通り、午後から秋人さんと私はお買い物に来ていた。
お昼ご飯はお屋敷で秋人さんの手料理を食べ(※食事シーンはご想像にお任せします)、それから市村さんに車で街まで送ってもらった。
秋人さんは執事の服のまま外に出ようとしていたけれど、それはちょっと恥ずかしすぎるので私服に着替えてもらい、今はカジュアルに近いきれいめ系ファッションをしている。細身の身体によく似合うジャケットと白シャツ、靴はこれ多分とてもお高い革靴かな。シンプルな装いだけどなんだか完成されていて、すれ違う女性は皆モデルさんなんじゃないかと秋人さんを二度見三度見して通り過ぎていく。そういえば今日もメガネはかけてないな。
うって変わって私はロリータ系フリフリワンピース。もう公開処刑。穴があったら土葬されたい。
こんな恥ずかしい思いをしながら秋人さんと二人で書店に行ったり服屋さんに行ったり。あ、ちなみにお金は両親からもらっておいたやつです。
基本、秋人さんはついて来て荷物を持ってくれるだけ。というか、買ったそばから荷物を強奪されて勝手に持たれてしまっている感じ。
口を出したのは服を選んでいるときのこの一言。
「コマリ様、その服はバストのないあなたには襟が開きすぎています」
……ですって。
おかげで今日買った私の服は気がついたら襟付きの服ばっかりになっていた。
「コマリちゃん、可愛い服は買えたかい?」
「市村さん!」
店を出て歩いていると、角に止めてあった車から市村さんが出てきた。
市村さんは私たちを街まで車で送ってくれただけではなく、私たちが店を出る度に車を近くまで寄せてくれて、荷物はその都度置かせてもらっていた。
「市村さん、はい、これどうぞ」
そこまでしてくれる市村さんに買っておいた缶コーヒーを渡すと、市村さんは目を輝かせた。
「こっ……コマリちゃん……! オジサン嬉しすぎて涙が……」
ついに自分でオジサンと認めたのかー、と思っていると、秋人さんから次の買い物に行くと急かされてしまった。
「あーあ、オジサン、秋人お坊ちゃまからこんな優しくされたことないなー」
「市村、給料の代わりに缶コーヒーが良いのか?」
「秋人様のお役に立てて大変光栄であります」
学校に行くのに必要なものをだいたい買い揃えた頃には、日はとっくに落ちて、私たちももうクタクタになっていた。
「コマリ様、そろそろ帰宅いたしましょう」
「はい、そうしま……あ! ちょっとだけ待っててください!」
帰る間際、私の目に飛び込んできたのは一軒の雑貨屋さんだった。秋人さんをその場に残してきたのはささやかな復讐だったけれど、それ以上に”それ”を見つけたことが何より重要だった。
「おんなじ形、おんなじ色……」
店の奥、棚の一番上にあったミントグリーンのテディベア。店の外からでも分かった。家事で焼けてしまった家、私の部屋に置いてあったテディベアと、まったく同じものだった。
「それ、最後の一点なんですよ」
店の主人と思われる女性に声を掛けられた。
「あのテディベアって、あのドイツ製のものですよね」
「よくご存知ですね!」
店員さんもそのテディベアが好きだったらしくて、目を輝かせて説明してくれた。今置いてあるのは復刻版のカラーらしくて、今後は入荷の予定はないそうだ。
私のテディベアはお父さんが昔ドイツに行った時に買ってきてくれたもので、私のテディベア好きはそこから始まった。その大事なテディベアも、他のテディベアも、まだ確認はできていないけれど、あの火事では全部燃えてしまったのだろう。部屋を包んでいたあの炎がまぶたの裏側でフラッシュバックする。きっと、覚悟はしておかなきゃいけないだろう。
「……あの、すみません。その子、おいくらですか?」
店員さんから値段を聞いて、財布を確認すると、案の定足りなかった。全然予算オーバーである。お父さんから値段を聞いたことはなかったから、奮発して買ってくれたことを改めて思い知った。そのことで余計に胸が苦しくなってきた。
「ごめんなさい、また来ます」
お店を出ると、秋人さんが入り口の脇にビシッと立っていた。普通に立っているだけで絵になるからなんか腹立つ。
「用事は済みましたか」
「はい、行きましょう……」
明日お父さんに私のちょこっとだけ貯めていたお年玉預金を引き出せないか相談しよう。それまでどうか、あのテディベアが売れませんように。
誰かに祈ってみたはいいけれど、この時の私は、自分の運の悪さをきれいにすっかり忘れていた。
*
長いお買い物から帰ってきて、夕食を”食べさせられて”、ベッドで横になっていた。
スマホを手に持って、お父さんの連絡先を開いたまではいいけど、迷っていた。今の我が家にちょっとお高いテディベアを買う余裕なんてあるのか。私のお年玉だけど、まだまだ買わなくちゃならないものはたくさんあるし……
「うああああああああああああ……」
枕にうずくまって唸ってみた。
「コマリ様、早くも牛になられましたか」
ビックリしてドアの方を見ると、秋人さんがいた。
「ちょっ、勝手にドア、開けないでくださいよ!」
「奇声が聞こえたので心配したのですよ」
奇声は心外だけど、まあ、私が悪いよね。
「……どうなさいましたか」
「いえ、別に何も……」
秋人さんは入浴を勧めに来たらしく、私はそれに従った。
このお屋敷にぴったりなすごく広くて豪華な浴室で、お風呂好きな私は小一時間浴槽に浸っていた。ちなみに入浴剤はベタにバラの香りだった。
お風呂から上がり、用意されていたふっかふかのバスローブに着替えて外に出ると早速秋人さんに捕まって髪を乾かされてしまった。
「コマリ様のキューティクルを一刻も早く取り戻せるよう、精進いたしますね」
「うるさいです」
*
翌日、私は両親に会った。ファミレスで待ち合わせして、色々なことを話した。
急すぎて家はまだ見つからないそうで、家探しに色々な書類の届け出とかあって、ものすごく忙しいみたい。
秋人さんはというと、本来の業務、勉学に励むために大学に行きました。昨日はたまたま空いている日で、一日中付き添ってくれたけど、週に三日程度授業とかがあるらしい。
大学生って毎日学校に行かなくていいのかーと、ちょっと羨ましくなったけど、私も今週一週間お休みだから学校のみんなからすれば今の私も十分羨ましいだろう。
で、両親とたくさん話して別れたあとは、一人で街をぶらついていた。市村さんには帰りは遅くなる、と伝えたので大丈夫だ。
また両親にお金をもらって、昨日買い損ねたペンやノートなどの文房具や、秋人さんがいたから買いづらかった下着類なんかを一人で買った。
そうこうしているうちに、私の足は自然とあの雑貨屋さんへと向かっていた。
「はぁ……」
入り口から奥に見える、あのミントグリーンのテディベア。入ったら、買いにきたと思われそうで、遠くから眺めるだけにした。改めて財布を見たけれど、どう逆立ちしても予算不足で。
「コマリ様、何をしているのです?」
振り向くと、秋人さんがいた。
「わわっ! どうしてここに!?」
「昨日の買い物で、私も買わなければいけなかったものを思い出しまして」
「そうでしたか……」
秋人さんも買い物を終えたらしく、市村さんを呼んで帰ることにした。
「あの店で何を探しているのです?」
「いや、探しているというか、あのお店のもの、可愛いなぁと思って見てたんですよ」
笑って誤魔化してみたら、秋人さんからそれ以上聞かれなくて助かった。
*
屋敷に帰ると、どこからともなくいい匂いがしてきた。
秋人さん曰く、今日はちゃんと料理人の人が作っているらしい。むしろ今までの食事を秋人さんが作っていたことの方が驚きなのである。
秋人さんは食事の準備を手伝ってくるからと言って別れた。
そういえば、今日は秋人さんのお兄さんの春也さんが来るって言ってたっけ。
「あああー!」
春也さんのことを思い出していた矢先、春也さんと廊下で出会った。
「春也さん、こんばんは」
「はいはい、こんばんは」
私がお辞儀をすると春也さんも丁寧にお辞儀してくれた。
「えっと、申し訳ないんだけど……」
お辞儀の姿勢のまま固まってしまった春也さん。
「はい、なんでしょう……」
私も固まる。
「昨日、名前を聞き損ねちゃったから、お名前聞かせてください」
「あ、はい。私こそ言い損ねてしまって……」
「いやいや、俺の方こそ」
「いえいえ」
ものすごく申し訳無さそうにエンドレスにお辞儀をするものだから、もはやそれはお辞儀じゃなくて前屈になっていた。
「あの、とりあえず頭を上げてください!」
「はい!」
頼むとすぐに頭を上げてくれた。
「えっと、小日向コマリっていいます」
「コマリちゃんか! 可愛い名前だね!」
ほんと恥ずかしげもなく恥ずかしいことを言ってくれる。
「あの……これからお食事ですか?」
「うん、そうだよ。あ、でも今食堂覗いたら、もうちょい準備がかかるっぽいから一緒に時間潰さない?」
ということで、今、広いお庭を春也さんと歩いています。
「コマリちゃんは事故の被害者なんだって? 本当にごめんね、うちの秋人が……」
「いえ、私たちにも責任があるので……」
秋人さんと揉めた手前、運の話をするのはやめた。
「うーん、そうはいっても、話を聞く限り明らかに秋人が悪いし……償いって言っても、秋人が執事やってるだけだし……」
「いやいや、それが十分すぎるほどだと思うんですけど……」
「そんなことないって! 車もダメにしたみたいだし、コマリちゃんだって怪我したんでしょ?」
「あの、でも、家族みんな元気に生きてますし、秋人さんも十分謝ってくれましたし、私たちはもう、十分と言いますか……」
「そっかぁ……」
春也さんは一瞬だけうつむいて何か考え込んだけれど、すぐに私の方に真っ直ぐ向き直った。
「コマリちゃん、弟を赦してくれてありがとう」
初めて見た春也さんの真剣な表情は、どこか秋人さんに似ていた。
「ってことで、なんか欲しいものある?」
次の瞬間に春也さんの表情はひょうきんな笑顔に戻っていた。
「え、欲しいものですか?」
「うん、なんか金で解決するみたいな流れになってるけど、ただの金持ちの酔狂っていうか、こんな可愛くて健気な子に対してのお近づきの印に、みたいな?」
「いやいや、そんなのいいんですよぉ!」
「いやいや、お兄さん、働いてるから秋人みたいに執事は出来ないじゃん? ホントはコマリちゃんのそばにいてお世話したりあんなことやそんなこともしたいんだけど……」
さらっと危ないことまでいい出したけど、ここはスルーしておこう。
「お兄さん、金だけはあるからね! 可愛いコマリちゃんに、何か買ってあげたいんだ!」
「うーん、特に……あ」
あの雑貨屋さんのテディベアのことを思い出してしまった。
「え、なんかあるの?」
興味津々の顔で私を見つめてくる春也さんのプレッシャーに負け、口を割った。
「いや、その、私……テディベアとか好きで……」
「えー、そんなのでいいの? 車くらいまでなら買ってあげられるよ」
「馬鹿じゃないですか! ……あ」
思わずでた”馬鹿”。私の顔からサッと血が引いていく。
「……ふ、あはははははは! コマリちゃん、なんて顔してるの!」
「あばばばばばばば……ごめんなさい、わたし、なんてことを……!」
春也さんは縮こまる私を見て笑い続けた。
「いいのいいの、気にしないで! 俺に馬鹿って言ってくれるの、コマリちゃんくらいしかいないから!」
「うっ……それは、余計にごめんなさい……」
「ううん、みんな、俺たちの、”影沢”の肩書とか立場しか見てくれないからさ、人間として向き合ってくれて、すごく嬉しいよ」
いや、私の口が滑っただけだから。私が馬鹿なだけだから。
「いや、それは、私が世間知らずなだけというか……」
「いいのいいの、コマリちゃんはそのままでいて、そのままで俺たちと付き合っていってよ」
「はあ……」
なんか、よく分かんないけど、赦されるどころかツボに入ったみたいで良かった。
「……コマリ様、こんなところにいらしたのですね」
ちょうど私たちの会話の切れ目を狙ったかのように、秋人さんが植え込みの裏から現れた。その瞳は私に向けられることはなく、冷ややかに春也さんに向けられていた。
「夕食の時間まで、時間を潰そうと散歩してました。ね、春也さん?」
「うん! 短かったけど、超楽しかったよ!」
私たちの対応に、秋人さんは何故か少しムッとした表情をしたように見えた。
「それより秋人、夕飯の準備できたのか?」
「……はい、準備が整いました、春也さん」
あれ、”お兄さん”とかで呼ばないのか……となんとなく考えていると、突然鼻がムズムズし始めた。
「へ……ヘックシュイ!」
盛大にくしゃみをぶちかまし、恥ずかしさのあまり、二人から背を向けた。
「コマリちゃん、大丈夫!?」
慌てる春也さんとは対象的に、秋人さんは言葉を発するよりも先に身体が動いていた。
――ふわり。
「秋人……さん?」
秋人さんは着ていたジャケットを脱ぎ、私の肩に掛けてくれた。
「……ようやく名前、呼んでくれましたね」
初めて耳元で聞く彼の声は、私の脳みそに深く、深く響いて。
「……え?」
驚いて秋人さんの顔を見ると、初めて見る、柔らかな笑顔。
もしかしてさっきの表情は、春也さんの名前を呼んだから……
「……鳥頭であらせられるコマリ様は、私の名前など五分も留めていられないのかと思っていました」
ぐぬぬぬぬぬぬ……にゃんとも、この男というやつは……!
「え、何々、何の話?」
「なんでもありません。さて、コマリ様。温かい料理を食べて、身体を温めましょう」
私たちは、屋敷に戻って三人で超豪華な夕食を食べました。
――秋人さんの”あーん”の光景を見た春也さんが羨ましがり、春也さんまで”あーん”をしてきて、春也さんと秋人さんが”あーん”で競り合うという地獄絵図の中で。
*
「あ、もしもし親父?」
「どうした、春也」
「親父さぁ、秋人のためにコマリちゃんを利用してるでしょ」
「……なんの話だ」
「だから、コマリちゃんのために泊めてるんじゃなくて、秋人のために留めてるんでしょ?」
「何を馬鹿なことを……だが、あいつは、秋人は人との関わりを避けすぎている。秋人にとってコマリさんとの関わりは、良い薬になるかもしれないな」
「なるかもしれない、じゃなくて、最初からそう思ってたんだろ」
「そんなわけないだろう」
「……そうですかい」
「……ああ、そうだ春也。鹿児島でな、可愛い洋服のブランドを見つけたので何着かそっちに送るとダレンに伝えておいてくれ」
「コマリちゃんの服?」
「そうだ」
「娘ができたみたいで、テンション上げてんだろ」
「夢だったからな」
「ほんとは、自分のためにコマリちゃんを留めたんだったりして」
「……切るぞ」
「否定しろよな」
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