第9難 びー・いん・らぶ・うぃず

 春也さんの車に揺られて早一時間。揺られて、とは言ったもののさすがはHIBARIの車、しかも(車に詳しくはないから多分だけど)お高いやつっぽくて揺れは少ないしすごく静かな走行音の車だ。でも、揺れが少ない理由はこれだけじゃなくて、運悪く渋滞に巻き込まれてほとんど進んでないからなんだけど……

「いやぁ、ごめんね……マラソン大会で規制かかってるの、すっかり忘れてたよ」

「いえ、渋滞だけで済んで良かったです」

「はははっ、コマリちゃんらしいや。他にどんな災難に遭ったことがあるの?」

「そうですね……」

 渋滞で暇を持て余している私に気を遣って、春也さんはたくさん話しかけてくれていた。最初は学校生活のこととか、他愛もない話をしていたのだけど、次第に話題は私の運の悪さにシフトしていった。

「中学一年生の夏なんかは、通学途中に帽子が風で飛ばされてトラックの上に落ちちゃって……それで、走って汗だくになって追いかけたんですけど、そのトラックは給食の配送のトラックで、私の学校の前で止まって結局帽子は学校の前で落ちて返ってきたっていう……」

「えーっ、なにそれ! 超ギャグマンガみたいな展開じゃん!」

 春也さんは私の話に大げさなくらい反応をしてくれる。それも、ネガティブな同情とかな反応とかじゃなくて、私の嫌な思い出をその明るい笑顔で吹き飛ばしてくれている感じ。いつもなら人に話しても、同情されたり、ドン引かれたり。話してもこっちが申し訳なくなることが常だった。今までになかった反応に、私はいつの間にか心地の良い、安心感のようなものを抱いていた。

「ふふっ……思い出しただけでも笑えてくるね」

「もう、春也さん、笑いすぎですよ……でも、聞いてくれてありがとうございます」

「ううん、俺は楽しく聞かせてもらってるから……むしろコマリちゃんの方こそ、話してくれてありがとう」

「いえ、こうやって話すとすごく気が楽になりますし……それに、今まで災難に遭ったことも、春也さんを笑わせられたから無駄じゃなかったんだなって思います!」

「…………っ」

 春也さんから言葉が消えたから、ふと隣を見ると、春也さんの左頬と左耳が真っ赤になっているのが見えた。

「春也さん、熱いですか? お茶飲みます?」

「え……ああ! うん、ありがと!」

 さっき自動販売機で買ってきた緑茶のボトルを春也さんに手渡すと、春也さんは勢いよく飲み込んだのだけど……

「ゲホッ、ゴホッ……!」

「春也さん、大丈夫ですか!」

「うんっ……ゴホッ、ダイジョブッ……」

 春也さんはその後なんとか気管から緑茶を追い出したけど、『恥ずかしいところを見せてしまった……』とぼやいてから、何故か押し黙ってしまった。




「よし、計画変更!」

 しばらく黙っていたと思ったら突然大きな声を上げて渋滞を抜けるように細い道路に入っていった。

「ごめんね、ホントは近場でベタにお茶したり、ゲームセンター行ったり、カラオケでも行ったり、楽しくデートしようと思ったんだけど……」

「あ、そうだったんですね!」

 初耳だけど、本当にデートっぽいことしようとしてたんだ……

「でも、マラソンで全然近づけそうにないから、代わりに海に行こうと思います!」

「え、海ですか? でも、もう泳げない期間なんじゃ……」

「大丈夫、見せたいものがあるだけだから!」

「そうですか……?」

「今ここから向かうと、更に一時間ちょっとかかるんだけど、コマリちゃん、体調はどう?」

「はい、おかげさまでバッチリです!」

「じゃあ、どこかでお昼ご飯食べたり、気になるところがあったら寄り道しながら行っちゃおうか!」

「はい!」

 春也さんの素敵な提案に、私の心は躍り始めていた。




「んー! 美味しい!」

「そうだね、こんなに美味しいロコモコがあるなんて俺も知らなかったよ」

 たまたま通りかかったハワイアンカフェにノリとテンションだけで入ったのだけど、大正解だった。二人ともお店のオススメのロコモコのセットを頼んで、談笑を交えながらゆっくりと食事の時間を満喫した。

「ふう……ごちそうさまでした。お腹いっぱいです」

「デザートにパンケーキ……は無理そうだね」

「そうですね……頼まなくてよかったですけど、ちょっと残念です」

「んー、じゃあ、俺もポキとか気になるから、また今度二人で来ようか」

「はい! 楽しみにしてますね!」




「えっと、チョコレートフラッペドリンクを一つお願いします」

「俺は……キャラメルマキアートを一つ、以上でお願いします」

 先程のハワイアンカフェから車を三十分ほど走らせたところに、これまたおしゃれなカフェを発見し、そこでまた休憩を取ることになった。

「春也さん、甘いものがお好きなんですか?」

「うん、そうなんだよね……って、失敗した! コマリちゃんの前でくらい、ブラックコーヒーでも頼んでかっこつけとけばよかったぁ……」

 大げさに残念がる春也さんの様子がとても可笑しくて、笑わずにはいられなかった。

「ふふっ……でも、私は春也さんの意外な一面を知れたから、私は嬉しいですよ」

「コマリちゃん……それって、俺のこと、もっと知りたいって意味?」

「え……?」

 おちゃらけてた春也さんの雰囲気が急に大人の”ソレ”になって、優しいお兄さんだという認識から、改めて大人の男性だということを意識させられてしまう。

「あ、あの……それは、その……」

「お待たせ致しました」

 タイミング良く店員さんが二人のドリンクを運んできてくれた。春也さんの方を見ると、いつもの春也さんの”ソレ”に戻っていた。

「わぁ、美味しそうだね! 早く飲んじゃおう」

「は、はい……いただきます」

「んんー、このキャラメルマキアート、甘さと苦さのバランスが絶妙で超美味しい!」

「私のフラッペも、甘さ控えめですごくさっぱりしてて美味しいです」

「えー、いいね! ちょっとだけ味見してもいい?」

「はい、もちろんいいですよ」

 私のフラッペを差し出すと、春也さんは私のフラッペの入ったプラスチックカップを持ち上げ、ストローでフラッペを飲み始めた。

 ストローで……

 あれ、私のストロー……


 もしかして:間接キスでは?


「ほんとだー、これも美味しい! チョコなのに甘さがしつこくなくて飲みやすいね」

 気づいたときには時すでにめっちゃ遅し。

「春也さん、えっと、あの、その……」

「あ、ごめんごめん! いいよ、遠慮しないで俺のも飲んでみてよ」

 ちっがーう。そういうことではないんですけど……うん、春也さんが気がついてないならいいか……いいのか?

 心の中で一人で葛藤を繰り広げているうちに、私の前に春也さんのキャラメルマキアートのカップが差し出された。

「あはは……美味しそう、いただきます……」

 口の中いっぱいに甘さとほろ苦さが広がった。コーヒーはあんまり好きじゃないけれど、これは素直に美味しいと思った。

「おいし……」

「あはは、コマリちゃん、すごいことになってるよ」

 なんのことだろう、と不思議に思っていたら、春也さんが小さく手招きをした。わけも分からず少し身を乗り出すと、春也さんも身を乗り出して右手を近づけてきたと思うと、春也さんのゴツゴツとした右手が私の唇に触れた。

「なっ……!」

「口の周り、泡だらけだったよ」

 確かに、春也さんの右手には泡がついてて、でも、それを春也さんはお手拭きで拭うでもなくそのまま自分の口元に持っていった。

「あわ……あ、え……」

「コマリちゃん? フラッペ、溶けちゃうよ?」

「え、あ、はいっ」

 私の衝撃とは対象的に、春也さんがあまりにも平然としているものだから、大人ってこういうものなのかなってもうそれ以上深く考えないことにした。




「さて、着いたよ―!」

 春也さんとの楽しいドライブデートもついに最終目的地まで来てしまった。

「すごい、綺麗……」

 眼の前にはもう少しで地平線の彼方に消えていきそうな太陽と、それを反射してキラキラとオレンジ色に輝いている海が広がっていた。海なんて久しぶりで、その壮大な景色に思わず心を奪われてしばらく無言で見入っていた。

「……いやー、この夕日を見るために寄り道してたんだけど、コマリちゃんとのデートが楽しくて危うく見逃すところだったよ」

 春也さんはそういうと、ヘヘッと子どもっぽく笑ってみせた。

「そうだったんですか……私のために、ありがとうございます」

 今日のデートコースは想定外のものだったけど、それでも私のために一生懸命考えて行動してくれた春也さんに、感謝の念が尽きなかった。

「いいのいいの。俺にとっても良い息抜きになったし、それに……」

「それに……」

 さっきまで無邪気な顔をしていた春也さんが一転、今度は苦しそうな、切なそうな顔をしていて。

「コマリちゃんといると、素の俺でいられるっていうか、安心するっていうか……」

 春也さんの右手が、私の左頬と左耳にそっと触れる。そして私の右側には、春也さんの吐息。

「ねえ、コマリちゃんは俺のこと、どう思ってる……?」

「それって、どういう意味で……」


 ――ブロロロロロ…………バンッ!


 私の背後で、エンジン音がしたと思ったら大きな音がした。ビックリして後ろを振り向くと、そこには”彼”が立っていた。


「コマリ様、お迎えに参りました」

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