第8難 ふぃーばー・たいむ
【2018年10月25日 内容微修正】
「…………んんぅ……あれ?」
目を開けると、そこには見慣れた天井が広がっていた。私は自分がいつの間にかパジャマを着てベッドの上にいることに気がついて、ゆっくりと上体を起こした。
「コマリ様……!」
いきなり名前を呼ばれてビックリして声のしたほうを見ると、左側に驚いた顔をした、何故か髪がボサボサの秋人さんが座っていた。
「秋人さん……どうしてここに?」
「どうしたもこうしたも……昨日、コマリ様が突然意識を失われて……」
「え、そうなんですか!?」
後から考えると、ものすごく間抜けな返答をしてしまった気がするけど、覚えていないのだから仕方ない。
「あっ、それより!」
覚えてない代わりにとっても大事なことを思い出した。
「なんですか?」
「今何時ですか!」
「午前八時三十二分です」
「遅刻だっ!」
ベッドから急いで降りようと布団をめくると、秋人さんが慌てて立ち上がって私の肩を押さえつけた。
「コマリ様、土曜日です、落ち着いてください」
「へ、土曜日?」
もちろん学校は休み。昨日の記憶がない分、曜日感覚もちょっと狂っていたようだ。ビックリして損した。
「なんだ、よかったぁ……」
「いいわけないじゃないですか!」
秋人さんが声を荒らげた。なんか、怒ってる?
「今日という今日は我慢なりません……いいですか、あなたのような体調の自己管理もできないクソガキが突然倒れたせいで、どれだけ人が心配したか、知りもしないでよく”よかった”なんて言えましたね」
「それは……」
たしかに、今は元気になったからいいけど、昨日私が倒れた時、みんなとても驚いただろう。それなのに、私ときたら……
コンコン――
「秋人様、先生をお連れいたしました」
「ああ、入ってくれ」
ガチャリとドアが開き、ダレンさんが一礼し中に入ってくると、その後ろからもう一人、中年から初老の間くらいの、白衣を着た
「先生、それでは、コマリ様のことをよろしくお願い致します」
秋人さんは白衣のオジサマに一礼すると、私には目もくれずに部屋を出ていってしまった。その様子を見ていたダレンさんとオジサマは目を合わせるなり苦笑いし始めた。二人とも、言葉をかわさずとも状況を察知したようだった。
「コマリ様、申し訳ありません……先程の秋人様の態度は、執事としてあるまじきものでした。後ほど私から言って聞かせておきますので、どうかお気を悪くなさらないでくださいね」
「いえ、秋人さんはまったく悪くないんです。私が……」
ダレンさんの謝罪に、秋人さんが何も悪くないことを伝えようとしたけれど、そこから先は白衣のオジサマに止められてしまった。
「小日向さん、秋人君と色々あったのでしょうが、まずはあなたの体調を整えることが先決です。その後でそちらの問題を解決しましょう」
でも……って言葉を続けそうになったけど飲み込んだ。また体調を崩したら秋人さんの、みんなの心配が無駄になってしまうし、何より秋人さんの気持ちを踏みにじるようなことはもうしたくない。
「……はい、よろしくお願いします」
私の返答に、白衣のオジサマは笑顔で返した。
「さて、自己紹介が遅れてしまいましたね。もうお気づきかもしれませんが、私は影沢家のかかりつけ医を務めさせていただいております、
白衣姿からそうかなーとは思っていたけれど、やっぱりお医者さんだった。すごく物腰柔らかな話し方で、見た目からも優しそうな感じが伝わってくる。
私も簡単な自己紹介をしたのだけど、進藤先生は昨日も私を診てくれていたらしく、大体のことは秋人さんから先生に伝えられていた。私は昨日、進藤先生が診てくれたことなんて今の今まで知らなかったから、改めて謝罪とお礼の言葉を伝えた。
「それが私の仕事ですから、気にする必要はありませんよ」
進藤先生はそう言って、話題を逸してくれるかのように私の体調について話題を変えてくれた。昨日の倒れる前の体調とか、最近の生活で変わったことはなかったか、あとは持病がないかとか……いわゆる問診を受けて、熱を測って、聴診器を当てられて、一通りの検診が終わったところで結論が出た。
「おそらく、心因性の発熱でしょう」
「心因性?」
何のことだか分からず、思わず首を傾げた。
「ええ、小日向さんは最近、環境の変化やテスト勉強などで多忙を極めていたと伺っていました。小日向さんは先程、最近の生活で特に変わりはなかったとおっしゃいましたが、おそらく、自分でも知らないうちにストレスを溜め込んでしまっていたのでしょうね」
「ストレス、ですか……」
心当たりがないわけではないのだけど、まさか自分にとってそこまで深刻なものだとは思わなかった。
「ええ、ストレスの怖いところは、人によって感じ方が様々な点、そしてだからこそ、自分でも意外と気が付きにくいものというところが非常に厄介なんです。そして、年を重ねるほど、ストレスの原因というのは複合的になってくる場合が多く、ストレスの原因を特定するのも難しい場合があります」
確かに、言われてみればここ最近はたくさんの変化がありすぎて、どれが自分にとってストレスになっているのかが検討がつかない。
「ですので、今小日向さんがやるべきこととしては、ストレスの原因を特定することではなく、ストレスを発散させることを第一に考えましょう。今回のはおそらく一過性の発熱だと思いますが、また急に発熱があった時は改めて詳しく検査をするので遠慮などせず、すぐに連絡してくださいね」
「分かりました、ありがとうございます」
とりあえず、変な病気じゃなくてホッとしたけれど、私にはまだ胸につかえているものが残っていた。
「ではまず、明白なストレスを一つ、発散させてしまいましょうか」
ダレンさんは話したくないのなら話さなくてもいいと前置きしつつ、秋人さんと何があったのか相談にのってくれた。
「実は……」
秋人さんとの朝の会話を、包み隠さずに二人に話した。私が無神経だったこと、秋人さんの気持ちを踏みにじるようなことをしてしまったこと、全部話し終えたら気持ちがちょっと楽になったけど、それでも私がしてしまったことに変わりはない。
「私、秋人さんにも、皆さんにもひどいことを……」
「それは違います」
ダレンさんがぴしゃりと言い切った。ダレンさんの強い語気に、私は次の言葉を待つしかなかった。
「学生の身分であられるコマリ様が、学業のことを心配するのは当然のことです。そして、秋人様は現在コマリ様の執事という身分であり、コマリ様の身の回りの世話、看病をすることは当然のことなのです」
「でも……」
「いえ、それが執事という仕事であり、それをやると決めたのは秋人様ご自身ですから、どんなことがあってもそれを放棄するのは許されることではありません。秋人様が仕事を放棄したのは、彼にはまだ甘えがあり、人間として未熟であったということの表れです」
「そうですねぇ、あれは秋人君なりの甘えなのでしょうね。それに、秋人君があんなに感情を表に出していたところは初めて見たかもしれませんね」
「え、そうなんですか?」
進藤先生の言葉に、私は驚いた。秋人さんって、意外と(私に意地悪する時は特に)笑うし、結構短気だからすぐ怒るし、心配性だし。
「コマリ様、秋人様があんなに感情をみせるようになったのは、すごく最近のことなんですよ」
ダレンさんの発言に、進藤先生が同調してクスクスと笑い始めた。
「だから、秋人君のことについて、君がそんなに責任を感じる必要はないのですよ。むしろ、彼があなたに感謝しなければいけないくらいだ」
「えっと、それは、どういうことでしょうか?」
「そうですね、ここから先はコマリ様と秋人様、お二人で解決するべきでしょう。私が秋人様を叱った後に連れて参りますので、その時にお話しましょう」
二人の会話のテンポに完全に遅れて、二人が何を考えているのかさっぱり分からなかったけど、『とりあえず、この話は以上で』ってことでダレンさんの微笑みにより話は打ち切られた。進藤先生もまだお仕事が残っているからということで帰っていった。
ダレンさんが体調を気遣ってくれて、遅めの朝ご飯に軽くつまめるものを用意してくれることになって、お食事をベッドまで運ぶことを提案してくれたけど、たくさん寝たから目が冴えてしまった私はいつもどおりダイニングルームまで行くことにした。
ダレンさんが朝ご飯を用意してくれている間に、私は着替えることにした。クローゼットから服(ヒラヒラふわふわではない)を取り出し、ゆっくり袖を通す。着替え終わったので部屋の外に出ると、芙由子さんが廊下で私のことを待っていた。
「コマリ様、ご無事で何よりです。それよりもう起き上がっても大丈夫なのですか?」
すごく心配してくれたみたいで、もう元気になったことを伝えるとすごい力で抱きつかれ、ここぞとばかりにすごい勢いででほっぺたに頬ずりされた。お互い冷静になったところで、昨日のことを聞くと、どうやら芙由子さんが気絶した私をパジャマに着替えさせてくれたみたいで、芙由子さんにも謝罪と感謝の言葉を伝えた。
「いえ、私にはそのくらいのことしかできず……代わりに秋人様が一晩中付き添うということで、あとをお任せしました」
「秋人さんが……」
ああ、だから今朝の秋人さんの髪はボサボサだったのか。何も気がつけなかった自分に、つくづく腹が立つ。
「コマリ様、何か気にかかることがあるのでしょうが、主人に従い務めを果たすことが私たち使用人、そして執事の仕事なのですから、何も気に病むことはないのですよ」
「そうなんですか……」
この影沢家の使用人の方たちは、基本的に「仕事だからやって当たり前」の世界で生きているみたいだ。私がまだ世間知らずだから、仕事に対してのスタンスだとか、心構えみたいなものがどういうものであるべきなのかはまだ分からない。でもやっぱり、そこを理解したとしても「彼らにやってもらうことが当たり前」とは思いたくはなかった。
「芙由子さん、いつもありがとうございます」
何のとりとめもなく言っちゃったものだから、芙由子さんは目をまん丸くして固まっていたけど、何故か頬が紅潮し始め、次第に小刻みに震え始めた。
「……コマリ様、貴方はどこまで尊いのですかぁ〜!」
しまった、と思ったけど、芙由子さんの動きの方が数段早かった。
「く、苦しいです、芙由子さん……」
芙由子さんの熱い抱擁に逃げ場を失った私は、しばらくの間芙由子さんのされるがままとなった。
やっとの思いで芙由子さんから解放されて、ダイニングルームに向かうと、なんだか懐かしいけど見慣れた献立が並んでいた。小さなカップに入った色鮮やかなサラダ、いちごジャムが添えられた焼き立てのトースト、半熟の目玉焼きとベーコン、そして牛乳。ダレンさんのエスコートで席に座らせてもらって、『いただきます』と手を合わせた。
「多かったら残してくださいね」
とダレンさんは気を遣ってくれたけど、昨日の夜何も食べてなかったからお腹はペコペコだ。まず最初に焼きたてのトーストにジャムを乗せてかじりついた。サクッと軽快な音がして、口の中に香ばしさが広がった。
「美味しい……!」
あっという間にトーストを食べ終わり、サラダ、目玉焼き、牛乳に手を付けていった。なんだか全部、すごく安心する味がして、自分の家に帰ってきたかのような感覚に浸っていた。
「コマリちゃんが倒れたんだって!?」
私のノスタルジックな雰囲気を一蹴するかのように、大きな声が静寂を突き破った。声が聞こえてきたダイニングルームの入り口の方を見ると、春也さんがダレンさんを捕まえて今まさに質問攻めにしようとしているところだった。
「あのぉ……」
春也さんがまったく私に気がついていないので、報告の意味も込めて一応呼びかけてみた。
「あれ、コマリちゃん! もう治ったの? 大丈夫? 寝てなくても平気? 熱は下がった?」
「はい、ええっと……」
「春也様、コマリ様はまだお食事中でいらっしゃいますし、病状のことは私が進藤先生から伺っておりますので、私から説明させていただきます。どうぞ、こちらへ」
見かねたダレンさんがうまく助け舟を出してくれて、春也さんは部屋の外へとうまく誘導されていった。春也さんの心配は嬉しいけど、とりあえずダレンさんのご厚意に甘えて朝ご飯を食べてしまおう。
十分ほど経って、ちょうど私がご飯を食べ終わった頃にダレンさんと春也さんが戻ってきた。何故か春也さんがしょぼくれたような表情で、無言で私の向かい側の席に静か〜に座った。
「コマリちゃん、ごめんね……疲れてるのに、大声で騒いじゃって」
座っている姿もしょぼくれていれば、声までしょぼくれていて、ギリギリ聞こえるかどうかくらいの小さな声で話す春也さんの姿は、まるで怒られて小さくなっている大型犬のように見えた。
「いえ、今はもう全然平気なので大丈夫ですよ。それより、心配してくれてありがとうございます」
しょぼくれきっていた春也さんの顔はさっきまでの様子が嘘のようにぱあっと明るくなり、今度は尻尾を振ってくる大型犬のように見えた。
「ううん、コマリちゃんが元気になったならそれでいいんだ! それにしても大変だったね、ストレスにやられちゃったんだって?」
「はい、自分でもまだピンときてないんですけど、そうみたいで……」
「……よし、決めた! コマリちゃん、ストレスを発散しに行こう!」
「はあ、それは嬉しいんですけど……具体的には何を?」
まあ、ちょっと散歩に連れて行ってくれたりするのかなー、なんてちょっとだけ甘い期待を膨らませている私の前まで春也さんはわざわざ歩み寄ってきた。
「コマリちゃん、ちょっと立って」
「はい」
春也さんの指示通り、椅子から腰を上げて直立した。すると、春也さんは失礼、と一言だけ言うと、私の腰と膝下に手を差し込んだ。まさか、と思ったその瞬間――理解するより早く、私の身体が浮き上がった。
「え、ちょっ!? 春也さん!?」
「よーしっ、そうと決まったら早速デートに行こう!」
「何がどう決まったんですか!」
私は”そのまま”春也さんの車に乗せられ、”デート”をすることになってしまった……
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