第5難 せぱれーと・ざ・ふぁみりー
【2018年8月7日 内容微修正】
――チュンチュン。
窓の外から微かに聞こえる、スズメの鳴き声かな。
今日は秋人さんが起こし来る前に目が覚めてしまった。
右を向くと、大きな茶色いテディベアがいて、左を向くと、小さなミントグリーンのテディベア。
この二匹に囲まれて起きれるなんて、なんて最高な朝だろう。
おかげで今日はぐっすり眠れて、起きたばかりなのに頭がスッキリとしている。
――コンコン。
「コマリ様、起床のお時間でございま……」
ドアを開けて入ってきた秋人さんが驚いたような顔をした。
「おはようございます」
「珍しく起きていらっしゃったのですか」
「一言余計です」
秋人さんは部屋のカーテンを開け、私から布団を剥いだ。
「コマリ様、今日は父が帰宅しますので、早速準備をしていただきます」
「準備、ですか?」
「はい、準備です」
なんだか嫌な予感がしたけれど、居候の身でありながらこの家の主を迎えないわけにはいかない。ここは秋人さんに素直に従おう。
「コマリ様、お顔をお拭きいたします」
私の洗顔中、秋人さんはずっと後ろに立っていると思いきや洗い終えると同時に顔にタオルを押し付けられた。
「むぐっ! あ、秋人さんっ……それ、くらい自分でっ!」
秋人さんの手とタオルをどうにか払いのけると、そこには秋人さんの満面の笑みがあった。
「……秋人さん、完全に楽しんでるでしょ」
「いえ、そんなことはございませんよ」
わざとらしくニッコリと微笑む秋人さん。そのままタオルで顔を拭くことを続行しようと、ジリジリと近寄ってくる−−と、その時。
「コマリ様、失礼いたします」
「芙由子さん!」
ナイスなタイミングで芙由子さんが部屋に入ってきた。
「コマリ様、お召し物をお持ち致しましたが……あら」
芙由子さんは私たちの状況をすぐに飲み込んだらしく、私の着替えを脇に置いて、ツカツカと近づいてきた。
「秋人様、失礼いたしますね」
主人である秋人に物怖じすることなく、彼からタオルを奪い取ると私の顔をタオルでぽんぽんと優しく拭いてくれた。
「秋人様、女の子のお肌はもっと大事に扱わなければいけませんよ」
芙由子さんの指摘に、秋人さんはバツの悪そうな顔をして、うむ、と一言だけ返していた。
「ゴシゴシと強くこすると、お肌に傷をつけてしまいかねません。それから、お肌の水分のとりすぎにもつながります」
「ほえ〜」
私も普段、顔を洗った時はゴシゴシと顔を拭いているので感心して芙由子さんの言葉を聞いていると、ふと秋人さんと目が合ったのだが、私の普段の行いを見抜いたのかバカにしたように鼻で笑った。
「このっ……!」
「はい、コマリ様、次は化粧水をおつけいたしますね」
芙由子さんは私の怒りを気にすることなく、棚からお高そうな化粧水を取り出すと自分の手に数滴出してそれを優しく私の肌に塗り込んだ。芙由子さんの手の感触が心地よくて、しばらくされるがままに任せていたけど、芙由子さんはこれでもかというくらい化粧水をつけるので私の肌はなんだかもうビジャビジャになっていた。
「氷室……それはつけすぎなんじゃないか……?」
私より先に痺れを切らしたのは秋人さんの方だった。
「あら、化粧水はつけすぎるくらいがちょうど良いのですよ」
化粧水でビジャビジャなおかげで目が開けられなかったのだけど、だんだん化粧水が浸透してきて目が開けられるようになると、そこにはとろけきったお顔の芙由子さんがいたので、私は芙由子さんの魂胆が何となく分かった。そういえば、さっきからほっぺたが特に念入りにケアされていた気がするし。
「芙由子さん、ほっぺた好きですよね」
「そうでございますねぇ……コマリ様はお若いので、特にお肌がもちもちしていて触り甲斐がございま……」
しまった、と言わんばかりの表情を一瞬見せた芙由子さんだったが、一つ咳払いをするとあっという間にいつものお仕事フェイスに戻っていた。
「ささ、スキンケアは入念にいたしましたので、次はお着替えしましょうね」
芙由子さんが我に帰ったのを見た秋人さんが、やっと終わったかというように盛大に溜息をつくと、自分の左手の腕時計をチラリと見やった。
「氷室、俺はコマリ様の朝食の準備があるからお前は引き続きコマリ様のお召し替えを頼む」
「かしこまりました」
そう言い残すと秋人さんは綺麗に一礼し、足早に洗面台から去っていった。これで朝は秋人さんからの嫌がらせをされずに済む! そう思っていたのも束の間、芙由子さんが広げた服はこれまたファンシーというかなんというか、タイトルをつけるなら、『綿あめの擬人化』って感じのふわっふわなロリータ・ファッションで私はしばらくの間、絶句していた。嫌な予感、これだったか−−
着替え終えた私は芙由子さんに導かれるまま、いつも食事をしているだだっ広い部屋に行くと、そこには意外な人物たちがいた。
「おおっ! 誰かと思ったら、コマリ、見たことない格好をしているな!」
「お父さん!?」
「あら〜、可愛いじゃない。まるでお人形さんみたい!」
「お母さんまで!」
「やはり、コマリさんには何を着せても似合いますな!」
「秋三さんまで……」
そう、大きなテーブルにはお父さん、お母さん、秋三さんがすでに席についていて朝食を食べていたのだけど、食いしん坊なお父さんはすでに食事を終えようとしているところだった。
「さあ、コマリ様の席はこちらでございます」
いつの間にか私の横に立っていた秋人さんにエスコート(自然に手を引かれて椅子を引いてもらってナプキンをセットされるまでのいつもの一連の動作を)されながら両親の向かえの席につくと、その様子を見ていた両親が”あらあらまあまあ”という感じの茶化した視線を送ってきた。秋人さんのエスコートにすっかり慣れていた私は、それを両親に見られたことで羞恥心を取り戻して死ぬほど恥ずかしい感覚に襲われ始めた。両親がいたことに驚いて忘れていたけど、このロリータ服も秋三さんには申し訳ないけど死ぬほど恥ずかしい。
「そういえば……」
秋人さん、まさかお互いの親たちが見ている前で『あ〜ん』はしないよね……?
急に不安になってきて秋人さんを見ると、秋人さんはまた私の考えを見透かしたのかニヤリと笑みを浮かべると、『しませんよ』と小声で私に耳打ちした。
私の隣には秋人さんのお食事も用意されていたので、秋人さんも座って黙々と朝ごはんを食べていた。私も特に秋人さんに言うこともつっかかることもないので、久しぶりに平和な食事を楽しむことができた。ってか、いつもが”アレ”なだけで、平和な食事ってなんだ。
押し黙る子どもたちの一方で、親たちはしばらく世間話に花を咲かせていた。聞き耳を立てていたら特にHIBARIの車について話しているようだった。免許も持ってないし、車種とかにも疎い私にはなんの話かはさっぱり分からなかった。
私がご飯を食べ終える頃には全員すでに食事を終えていて、タイミングを見計らった芙由子さんが全員の食器を下げていった。その後すぐにダレンさんが全員に飲み物を用意してくれて、私はオレンジジュースをいただいた。
「コマリさん、朝ご飯は満足していただけましたか?」
秋三さんがいきなりこちらに話題を振ってきたから驚いたけど、正直にとても美味しいことを伝えると満足そうに笑ったと思えば、一息ついて急に真面目な顔つきに戻って本題を切り出した。
「コマリさん、実はあなたのご両親とはお話したのですが、大事な話があります」
「大事な話、ですか」
お腹がいっぱいで思考能力が余計に低下していた私は、まあ、帰れる日取りが決まったのだろうくらいに考えていたのだけれども、秋三さんから帰ってきた答えは想像の斜め上の答えだった。
「あなたのお父様のことですが、実はお父様が働いている会社は私どもの会社ととてもご縁のあるところでして」
え、初耳。と思ってお父さんの方を見たら、なぜか知らないけど照れたように頭をかいていた。なんなんだそのリアクションは。
「コマリ様はあまりご存知ないようですが、お父様は非常に優秀な人材でして」
ここでもまたお父さんは照れるようなジェスチャーを送ってきたけど、なんかこっちの方が恥ずかしくなってきたからスルーしておく。
「今後、私どもの会社にお力をお貸しいただくことになりました」
え−−
「コマリ、父さんな、秋三さんの会社で働くことになったんだ!」
「にゃんですとうっ!?」
「父上、それは……!」
驚いたのは、私だけじゃなくて秋人さんも初耳だったようだ。
「うむ、要するに、引き抜きだ。」
難しいことはよく分からないけど、とにかく、お父さんが秋三さんの会社で働くことになったことだけは分かった。
その後もよくよく話を聞いていると、海外での勤務経験、英語とドイツ語の言語力、あとはコミュニケーション能力とか海外とのパイプ役としての能力がすごい買われたらしい。
「それでな、コマリ……実は、父さん、新しくできたドイツ支社に数ヶ月行くことにしたから!」
「え、それは、どういうこと……?」
お父さんが答えるより先に、お母さんが口を開いた。
「お父さん、ドイツにできた新しい会社のサポートをすることになったの。それで……忙しくなりそうだから、お母さんもドイツに行って、お父さんを支えようと思ってるの」
「お父さんな、火事で色んなものを失くしちゃった分、バリバリ働いて稼いでくるつもりだから、コマリは何も心配しないでいいからな!」
「え、いや、ちょっ……私は?」
そうだ、両親が二人ともドイツに行くなら私はどうなるのか。いきなりドイツの学校に転校? え、ドイツ語とか一ミリもしゃべれないし。友だちは? 勉強の進度はetc.etc...ほんの数秒の間に心配事が山のように降り積もっていた。私の心境を察した秋三さんが、コマリさん、と優しく私の名前を呼んだ。
「貴方のことは、ご両親が帰ってこられるまで私どもが責任を持ってお守り致します」
「それは、私は、このままここに残るということですか?」
「はい。必要とあらば、どんなことでも手配致しますので、私にでも秋人にでも、気兼ねなくお申し付けくださいね」
「……そんな勝手なことを!」
私より反発したのは、隣に座っている秋人さんだった。
「秋人……お客様の前だぞ、弁えろ。それに、これは小日向さんご両親の同意も得た上での決定だ。お前は、小日向さんのご意向に文句を言える立場か?」
秋三さんは静かに秋人さんをなだめたけれど、その冷静さとは裏腹に言葉はすごく威圧的な感じがした。優しそうなおじさまだと思っていたけれど、社長をやっているだけあって結構厳しい人なのかもしれないと初めて気付かされた。
「あ、あの、秋三さん、秋人さんのご意見を聞いていない私たちに非があるので……秋人さん、ご迷惑であれば私たちもまた、別の方法を考えますので、遠慮なくおっしゃってくださいね」
私のお父さんが秋人さんに助け舟を出したけれど、そんなことは……と、秋人さんは意外にもあっさりと引き下がってしまった。
そこからはもうトントン拍子に話が進み、両親はまた今日から海外赴任の準備のために更に忙しくなるらしい。
「コマリ、心配なことがあったらいつでも連絡していいからね」
両親はそう言い残して市村さんの車で影沢邸から去ってしまった。続いて秋三さんも仕事のために自宅を後にしてしまった。
「なんか、すみません……」
「いえ、こちらの方こそ……」
秋人さんと、私の部屋で二人きりになって、私はベッドにぼーっと座っていたのだけど、なんだかいたたまれなくなってとりあえず謝ってみたら、ベッドの反対側に腰掛けていた秋人さんも同じ気持ちだったみたいだ。
「私の父は、ああ見えて結構強引なところがありまして……」
「いやいや、私のお父さんとお母さんも、結構破天荒っていうか……」
「…………」
「………………」
お互いに、まあ一週間くらいでこの生活も終わるでしょ、くらいに軽く見ていた打算がいとも簡単に打ち砕かれたことによって、お先真っ暗、五里霧中、未知との遭遇(?)、といったような状況がピッタリであった。
私は、秋人さんとの生活が嫌なわけではない。でも、やっぱり自分の家(今はないけど)とは違って完全にくつろげるわけじゃないし、いきなり他人に囲まれて生活するとなるとストレスがないわけがない。それに、何より秋人さんに執事を続行させるのが何よりも辛い。
「秋人さん」
背を向けたまま名前を呼んでみた。
「何でしょう」
秋人さんもきっと背中を向けたままだ。
「このまま数ヶ月間、秋人さんに迷惑をかけ続けるのは嫌なので、執事はもう辞めてもいいですよ」
私の提案に、秋人さんは少しの間無言で考えていた。この微妙な間が怖い。
「……コマリ様は、私に迷惑をかけたくないと」
「そうです」
「それで、執事を辞めても良い、と」
「……はい」
「……辞めてもいい、という言い方は私がコマリ様に許可を取らねばならないと、そういう意図がお有りのようですね」
要するに、この男は私の言い方が上から目線に感じて気に入らなかったらしい。
「そんなつもりはありませんでした」
イラッとして後ろを振り返ると、そこには意地悪な笑みを浮かべた秋人さんがいつの間にかこちらを向いていた。
「そうでしたか。まあ、私は辞める気はないのですが……どうしても、コマリ様が辞めてほしいと懇願するならば辞めてさしあげましょう」
なんなんだこの男は……! 非難の眼差しを送ってさしあげたけれども、彼はそんな私の視線にもどこ吹く風。逆にこれが私の闘争本能に油を注いだ。
「分かりました! では私の執事を辞めてください、お願いいたします!」
こうなったら意地でも辞めてもらうんだから!
「……案外素直に意見を聞ける方なのですね。感心いたしました」
ああああああああ、なんだこの男、ぶん殴りたい! こんな感情は人生で初めてだ。車に轢かれようがボールが頭に直撃しようがそんなこと思わなかったのに。そしてなんなのその表情は、本当に感心したみたいに目を丸くするな!
「ですが……」
「ですが?」
まだ言うかこの男は。
「……コマリ様からクビにされた、という事実自体、癪でございますので当面は執事を務めさせていただきますね」
「にゃ……にゃんですとぅ……」
八方塞がり。最初から秋人さんは何を言われても執事を辞めるつもりはなかったみたいだ。
「これからもよろしくお願いいたします」
これまた意地悪なニッコリ笑顔を浮かべた秋人さんを見ていたら、なんだかもう勝てない、というか諦めもついてきた。
「こちらこそ、お願いしますね」
なんだか今の言い合いでエネルギーを使い果たしたみたいでどっと疲れが襲ってきた。そういえば、昨日寝るのも遅かったし、今日は朝早かったからな。
腕を思いっきり上げて、伸びをすると気持ちよかったのと同時に大あくびが出てきた。
「ふあ〜ぁ……」
しまった、と思うより先に秋人さんの『はしたない』の余計な一言が飛んできた。やっぱりイラッとしたけれど、もう言い返す気力も残ってはいなかった。
「コマリ様、どうやらお疲れのようなので仮眠をとってみてはいかがですか。昼食時には私が起こしますので」
誰のせいで疲れていると……まあ、もういいや。
「そうですね、それは助かります」
秋人さんにしては非常に気の利いた提案だと思ってしまった。それが私の大きな間違いだった。
「それじゃあ、おやすみなさい」
ベッドに仰向けになって目を閉じると、左側のマットレスが沈む感触が合った。まさか……
「なんでナチュラルに添い寝してるんですか」
目を開けるとすぐ横に切れ長の瞳、通った鼻筋、整ったお顔。いくら秋人さんでも流石にドキッとしてしまう。秋人さんがいわゆるイケメンだということを改めて思い知らされる。でもそれを秋人さんに知られるとまたいじられそうだから、何食わぬ顔をして反対側に身体ごと顔をそむける。
「何か合ったとき、すぐに対応できるかと」
「添い寝の必要なくないですか」
「添い寝にはリラックスの効果があるとかないとか」
「ないこともあるんじゃないですか」
不毛なやりとりを終えると、しばらく静寂が続いた。隣に秋人さんがいることをどうしても意識してしまって眠れない。
−−背中にふと、優しく何かが触れた。それは一定のリズムで私の背中に触れる。お母さんが、赤ちゃんを寝かせるときにやるやつだ、と気づいてなんだかまた馬鹿にされているのかと思ったけど、そのリズムはとても心地よくて。
悔しいけれど、私はすぐに意識を手放してしまった。
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